【特集】2年生の重量級エース・山口剛が早大2連覇を決めた!…全日本大学王座決定戦【2009年9月26日】

(文・撮影=増渕由気子)



 早大の2年連続2度目の全日本大学王座決定戦優勝を決めたのは、2年生の山口剛だった(右写真)。4月のJOC杯ジュニアオリンピックの男子フリースタイル84kg級でチャンピオンに輝き、今年はいよいよ学生王者を狙う早大重量級のエースだ。

 だが山口は8月の全日本合宿でひざを負傷。「全治2ヶ月、長ければて4ヶ月」という絶望的な診断を医者から下された。9月中旬に行われた全日本学生選手権は無念の欠場。その分、今大会に出場できるように調整を続けていた。

 2年生ながらチームの信頼は厚い。55kg級学生王者の藤元洋平が「山口が重量級にいないと勝てない」と話すように、重量級のエースに成長。本来は84kg級だが、96kg級、120kg級を中心に試合に出た。

 「本当なら試合ができる状態ではなかった」という山口。練習もグレコローマンしかできず、得意のタックルを封印せざるをえなかった。山口の魅力は柔道あがりの組んでからの投げ技。だが、「84kg級なら組み負けないが、それ以上の階級になると、力負けするので、一番使いたい技はタックルだった」。生命線であるタックルをひざの痛みにより、封印せざるをえない状況だった。

 拓大との決勝戦は、チームスコア3−3で自分に勝負が回ってきた。相手は4年の金光正浩で、96kg級を主戦場とする選手だ。第1ピリオドを奪って王手をかけた第2ピリオド。力比べをしていたら負けると察した山口は、なんと禁断のタックルを解禁。「アドレナリンが出て痛みを感じなかった」と、4年の金光を上回る強い気持ちでひざの痛みを打ち消した。前半1分で2度の低空タックルをきれいに決めて2−0とリード。その後はローリング地獄で7−0とテクニカルフォールで勝ち、早大2連覇に花を添えた。

■日体大の先輩たちを倒すために早大へ

 山口がレスリングを始めたのは中学時代の柔道の強化の一環だった。だが、練習に出入りしていた中津商高のレスリング部顧問・有賀浩樹氏の人柄にひかれて、高校からは本格的にレスリングを始めた。

 高校3年生の時に有賀監督の母校である日体大に出げいこに行ったことが、今の山口につながっているという。「斎川哲克さん(2007年大学四冠王)、門間順輝さん(2008年大学王者)や松本篤史さん(2008年大学二冠王)がいてボッコボコにされました。純粋にすごい選手だと思いました。高校チャンピオンになって自分は強いと思っていたけれど、井の中の蛙(かわず)でしたね」と衝撃的な出げいこだったことを覚えている。

 日体大に進学して、この最強メンバーと毎日練習する環境を手に入れるか、それとも、あえて他大学に進んで最強メンバーと公式戦での対戦権を手に入れるか迷ったそうだ。山口が選んだのは後者だった。「早大の環境で強くなれた。あの時の選択は正しかった」。常にライバルの顔を思い浮かべて早大で腕を磨き、同門として松本らの背中を追うのではなく、公式戦という最高の舞台で対戦し、その強さを肌で感じることで、山口はハイスピードで成長を遂げてきた。

 「こうやって強くなったのも篤史さんたちのおかげです」とライバルの先輩たちに敬意を表す。松本とは練習試合を含めて10回ほど戦っているが全敗している。「学生が終わるまでには、篤史さんに勝ちたい」と先輩超えに意欲を見せる。今大会は日体大が決勝に進出せず、直接対決はお預けに。松本は4年生のため、11月の全日本大学選手権が学生同士で対戦できる最後のチャンスとなりそうだ。2ヶ月後には、痛めていたひざも完ぺき治るころ。100パーセントの力を持って、山口は憧れの先輩・松本篤史超えを果たせるか―。


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