【特集】野球からレスリングへ転向し大学2位へ! 全日本選手権にかける…男子グレコローマン74kg級・中村大悟(早大)【2009年11月4日】

(文・撮影=増渕由気子)



 天皇杯全日本選手権が近づいてきた。来年の世界選手権へ向けてのスタートとなる大会だが、レスリング生活の総決算としてマットに立つ選手もいる。先月の全日本大学グレコローマン選手権74kg級で2位になった中村大悟(早大=右写真)も、その一人。高校時代までは甲子園を目指す野球の選手で、格闘技には無縁だった。格闘技の素人が大学進学後にレスリングを始め、4年で日本の最高峰の大会に出場するのは快挙と言える。

 中村は、小中学校時代はボーイズリーグの「城南ドリームボーイズ」で主将を務め、関東制覇もしたトップ選手だった。その実績をもって野球推薦で早稲田実業高校に入学。ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手(現早大3年)の一つ上で、ともに甲子園を目指した間柄だ。「僕の最後の夏は、西東京大会でベスト4でした。斎藤は2年生でレギュラーでしたよ」。

 惜しくも甲子園の土を踏むことはできなかったが、最後の夏が終わった瞬間、野球をやり切った気持ちでいっぱいだった(左下写真=早実高野球部時代の中村)。「完全燃焼したんですよね。だから大学では新しいことに挑戦しようと思ったんです」。中村が目をつけたのは、2004年アテネ五輪で話題をさらったレスリングだった。動機は単純だった。「競技人口が少ないから、すぐ上に行けると思った。甲子園の次はオリンピック目指そうかなと。単純にナメていたんです」。

■希望に満ちて入部したレスリング部、すぐに士気が下がった!

 内部推薦で早大進学が決まっていた中村は、そんな“不純な動機”から、早実野球部で同級だった藤村周平を誘い、2006年4月、早大レスリング部の門をたたいた。当時の早大といえば、前年の東日本学生リーグ戦で35年ぶりに日体大を破ってグループ優勝し(決勝で拓大に敗れる)、飛躍の真っ只中。主将はフリースタイル66kg級全日本王者の佐藤吏(現ALSOK綜合警備保障)。

 佐藤以外にも、2004年高校三冠王者のルーキー、大月葵斐(3年生の時に大学王者)などがいて昇り竜の勢いがあった。そんなチームメートを見て、中村の士気はすぐに下がった。「オリンピックなんて無理だ。早大の中でさえトップにはなれない…」。

 しかし、辞める気持ちにはならなかった。その最大の理由は、「レスリング部のチームの人間力に心がひかれたから。ミーティングで競技のことを真剣に話している佐藤先輩たちの姿が印象的だった」。野球部の仲間の多くが、そのまま早大の野球部に入部するのを横目に中村は、レスリングに青春を捧げることを決意した。

  レスリングで大成した選手は、大きく二つに分かれる。一つはキッズ・レスリングあがりの選手。北京五輪でメダルを獲得した6選手のうち5選手はキッズレスリング出身で、幼少からレスリング始めることが強さにつながったという見方ができる。

 もうひとつは、柔道や空手など別の格闘技をやっていて、大学からレスリングを始めて大成するケース。近年でいえば、グレコローマン84kg級で2度の五輪に出場した松本慎吾(日体大教)がインターハイの柔道で2位の経歴を持つことが有名。グレコローマン74kg級で2008年全日本選抜選手権優勝の葛西直人(自衛隊)、同級で2009年全日本選抜選手権優勝の金久保武大(日体大大学院)も柔道からの転向選手。中学時代まで柔道の選手だったという強豪選手は少なくない。

■野球部のエリート扱いから一転、無名の新人でしいたげられることも

 中村はそのどちらでもない。早大は積極的に強豪チームと合同練習しており、他大学との練習に参加することはできたが、一部のトップ選手からは「大学から始めた? じゃあ、おまえとはいいや」と、スパーリングを断られることもしばしばで、初心者だからこそしいたげられる一幕もあった。中学では野球で関東を制覇し、名門・早実のユニフォームにそでを通して野球界で常にエリート扱いを受けてきた中村にとっては、大きな試練だった。

 大学のキャンパス内では野球部の元同僚から変わり者扱いをされた。「中学の関東チャンピオンが、なぜ大学から格闘技を?」。斎藤佑樹投手にも「先輩、なぜレスリングなんですか? 一緒に野球やりましょうよ」と声をかけられた。

 でも、中村は入学当初の信念を曲げることはなかった。「オレはレスリングを4年間、やり遂げる。1からのスタートだし、(試練は)仕方がないこと」と耐えた。「野球でうまくなれたのは、才能じゃなくて努力だった。もともと不器用で、練習に練習を重ねて野球で結果を出せたんです」。レスリングでも同様に努力に努力を重ねた。

■新人戦Bグループの優勝で、やっと経験者とまともに練習ができた

 2年生(2007年)の東日本学生春季新人戦でBグループ(大学進学後にレスリングを始めた選手、またはリーグ戦二部リーグの選手)優勝を飾ると、Aグループの選手たちともまともに練習ができるようになった。わずか4年間でレスラーにふさわしい鋼(はがね)の肉体を手に入れた。その4年間の努力の結晶が、全日本大学グレコローマン選手権で準優勝という結果(右写真=全日本大学グレコローマン選手権決勝で闘う中村)

 格闘技歴がなく、大学進学後にレスリングを始めた初心者からのスタートでトップ選手になった例としては、陸上から転向してグレコローマン57kg級で全日本2位になった深水真司(1990年、日体大)、野球から転向してグレコローマン52kg級で世界6位になった中森昭平(1993年、日体大)らがいるが、最近では皆無だった。「これで全日本選手権にも出られます。引退試合になります。鶴巻宰選手(自衛隊=世界選手権代表)と対戦してみたい」。中村は“大学から初めてもレスリングで上にいける”ということを証明してくれた。

 卒業後の進路は、「マスコミ業界で働いてみたかった」と記者を希望し、スポーツ報知から内定をもらっている。「斎藤佑樹に関する記事なら、僕はいい記事書けますよ。自信あります! そのほか、団体競技と個人競技を経験したので幅広く記事がかける気がします」。日本屈指のメジャー競技である野球で成績があり、オリンピックでメダルを取れる競技のレスリングで全国レベルの実績を持つ記者なら、競技経験を生かして選手の本音に迫ることができるのではないか。

 将来の名記者を目指す中村の最初で最後の全日本選手権はいかに。


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