【特集】レスリング界の異端児・大沢友博(茨城・霞ヶ浦高監督)「教え子が金メダルを取るところが見たい」【2009年11月27日】

(文・撮影=増渕由気子)



 来年のNHK大河ドラマは幕末を生きた坂本龍馬が主役となる『龍馬伝』に決まった。明治維新を決定付けた薩長同盟の立役者として知られる一方で、日本で初めての株式会社を設立するなど経済面においても坂本龍馬の功績は大きい。その当時の常識を打ち破った破天荒な生涯を送ったことから、「幕末の異端児」との異名をとる。

 レスリング界の“異端児”といえばこの人。今年の高校総体(インターハイ)で20度目の優勝を飾った茨城・霞ヶ浦高の創部から支える大沢友博監督だ。今月8日には地元・茨城で高校総体20回優勝記念祝賀会が盛大に行われ、関係者が400名以上もかけつけた(右写真)。大沢監督は、その大舞台で自身を「厳しさでは日本一、優しさでも日本一、そして日本レスリング協会が生んだ30年に一人の異端児の大沢友博です」と自己紹介した。 

■“異端児・大沢”は運命だった!?

 大沢監督の指導方法は高校レスリング界に衝撃的だった。日本協会・福田富昭会長から「」(マルキチ)と過激な表現で称されるほどの名匠は、1979年に同校にレスリング部を創部すると、その徹底的な指導法で、2年でインターハイ初出場。創部8年で全国制覇を成し遂げ、その後は前人未到の11連覇を含む20回ものチャンピオン・チームを作り上げてきた。

 そのやり手の大沢監督も、今月15日には55歳を迎えた。奇しくもその日は幕末の異端児・坂本龍馬と同じ誕生日。大沢監督の異端児ぶりは、まさに“天性”のものなのかもしれない。

 大学より厳しい練習を積んでいると言われる秘密は、「年間100回を超える遠征」だ。土・日曜日や長期休暇になると、午前中は東洋大など都内の大学に積極的に足を運んで合同練習を行い、午後は霞ヶ浦のマットでもう一度練習。OBで2006年に世界3位になった高塚紀之(現日大コーチ)も「土台は霞ヶ浦で作った」と振り返る。

 OBに当時の練習状況を話させたら切りがない。夜中の練習、真夏に窓を閉め切って暖房をたいての練習。「悪魔大魔王より厳しくて怖い」とのことから、ついた呼び名は「魔王」。大沢監督は「当初、自分がそう呼ばれていることは知らなかったんです。でも、1980年の後半になると、あちらこちらから、焼酎の『魔王』が送られてきて…。『魔王』が名酒なのは分かっていましたが、自分の呼び名にちなんで送られているとは思いませんでした」と振り返る(右写真=祝賀会の二次会で、教え子の暴露話に苦笑いの大沢監督)

 ネタバレしたのは、とある祝勝会の時に保護者から「魔王」と呼ばれたこと。これでやっと気がついたそうだ。

■「優しさでも日本一です(笑)」

 大沢監督はただ、怖いだけではない。「大事な試合の前に風邪をひいたら、『オレは風邪をひいていいとは許可していない』と言われた」とこっけいな当時のエピソードを振り返るOBがいれば、「タバコを見つかって寮を飛び出し、地元(八丈島)に逃げ帰ったら、翌日、大沢先生が迎えに来た」と話すOBもいる。愛嬌があり、かつ情熱のある教師の一面をのぞかせる。 

 2007年全日本選抜選手権王者の大沢茂樹(現プロ格闘家)は「授業中に寝ていると、どこからか大沢先生が教室に入ってきて起こされた」と振り返る。今でも空き時間には、授業中の見回りは行っているようだ。

 大沢監督の中に「レスリングさえ強ければそれで良し」という文字はない。学校生活も、部活動も、高校生として最高に全うするために全力で生徒たちをサポートしているのだ。その証拠が、あれだけ厳しい練習をこなしながら、事故はゼロという事実。愛情ある徹底した選手の管理能力にも長けている証拠だ(右写真=夫人とツーショット)

 それは一般の学生にも注がれている。「東京遠征に行ったときのことです。上野でフルフェイスのヘルメットをかぶったバイクとすれ違ったんですが、目を見ただけで、『この目、どこかで見たことがある』と感じました。すぐにバイクのナンバーを確認すると土浦でしたので、ウチの生徒だと確信して、後日見つけ出しました」(注・同校はバイク禁止)。これは偶然の話ではない。後日、今度は御徒町で別の生徒がバイクを乗り回しているところを見つけたそうだ。

 タバコについては「私と目が合った瞬間、目をそらすんです。それで何かあるなと思って近づくと、臭いで分かってしまうんです」。OBたちは、悪さをすると同時に「なぜか大沢先生が現れた」と口をそろえる。大自然の八丈島で育った大沢監督の嗅覚と視力は、尋常ではない野生並みの察知能力があるのかもしれない。

■次の目標は25回の優勝と教え子の金メダ

 高校生の全日本チャンピオンを輩出(フリースタイル52kg級・石島勇次=1989年)したほか、卒業後に全日本チャンピオンや世界選手権代表になったOBは数知れない。1996年アトランタ五輪の唯一のメダリストの太田拓弥(現早大コーチ)や2006年世界3位の高塚など世界で通じる強豪選手も輩出している(左写真=今年8月のインターハイ団体で優勝し、胴上げされる大沢監督)

 だが、多くのOB達に囲まれて終始ご機嫌だった大沢監督の顔が真剣なまなざしに変わった。「まだ(世界で)金メダルに届いていない。30年間それを求めて、モチベーションが高い選手を育ててきた」と胸を張るとともに、森下史崇(現3年生=55kg級)、稲葉泰弘(警視庁=55kg級)、高塚、大沢(ともに60kg級)、森川一樹(山梨学院大=66kg級)など2012年ロンドン五輪を目指せる現役若手選手に希望を託した。

 チームのスローガンは「勇往邁進」。1992年に学校オーナーの藤井紫悠氏から送られた大切な言葉だ。「この言葉を信じてこれからもやっていく」と大沢監督。ロンドン五輪で霞ヶ浦初の金メダリストをという夢を見ながら、今後も指導に“邁進”することを誓った。


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