【特集】“暫定世界チャンピオン”の返上にかける!…女子63kg級・西牧未央(中京女大)【2009年12月16日】

(文=樋口郁夫)



 現役の世界チャンピオン、女子63kg級の西牧未央(中京女大=左写真)が正念場を迎えた。ジュニアと学生の世界チャンピオンを経て昨年、今年と世界一に輝いた西牧。しかし、長らくこの階級で無敵だった伊調馨(ALSOK綜合警備保障)を破っての世界一ではないため、周囲のみならず本人にも“暫定世界チャンピオン”という思いがあった。

 伊調が北京五輪後の休養を終えて第一線に復帰してくる今大会こそが、本当の意味での「世界一決定戦」。2度の世界選手権を上回る試練に立ち向かっていかなければならない。加えて、59kg級時代に勝てなかった世界V4の山本聖子(スポーツビズ)がこの階級に挑んでくることになった。復帰後の山本の実力は未知数だが、今回の天皇杯全日本選手権(12月21〜23日、東京・代々木競技場第2体育館=同級は23日)は、世界チャンピオンの真価を問われる大会となる。

■打倒伊調へのエネルギーは十分! 今こそ勝負の時

 「もう世界選手権で優勝したことなんて忘れてしまっています。国内の大会がすごくなってきて、そちらに気持ちが行っています」と西牧。伊調がカナダでどんな練習をやっていたかを知るすべはない。世界で最も過酷でハイレベルの練習をやっている中京女大での練習に比べれば、もしかしたら追い込み方が足りないかもしれない。仮にそうであっても、「伊調馨」という選手は別格であり、最大のライバルとして警戒すべき選手だという。

 「粘りがあります。(練習で)攻めることができても、最後の最後でポイントを取らせてくれない。そのしつこさを一番注意しなければなりません」。北京五輪の準決勝で、マルティン・ダグレニエ(カナダ)に瀬戸際まで追い込まれながらも、最後に逆転勝ちした粘りは多くの人たちの脳裏に刻まれている。練習で何度も手合わせしているだけに、その粘り強さをだれよりも知っているのが西牧だろう(右写真:2008年世界選手権で優勝した西牧を祝福した伊調馨=左)

 西牧は、これまでに出場した大陸選手権などの国際大会は、すべて63kg級に出場している(団体戦のワールドカップを除く)。2005年アジア・ジュニア選手権、同年世界ジュニア選手権、2006年世界学生選手権、同年ゴールデンGP決勝大会(すべて優勝)。しかし全日本選手権やジャパンビバレッジクイーンズカップ(現全日本女子選手権)の国内大会では、59kg級、または67kg級に出場。伊調との対戦を避けていた。西牧は「(その段階では)闘っても勝てなかったですよ。まず世界選手権に出たかったので…」と、伊調との闘いを避けた理由を正直に話した。

 選手を育てるに際し、ある程度の実力がついたら、まず最強の選手に挑ませ、たたきのめされた中からはい上がらせる方法があるだろう。一方で、地力がつくまで待ち、「これなら勝てる」となってから勝負を挑ませる方法もある。中京女大の栄和人監督が選んだのは後者だ。両者は練習で何度も闘っている。前者の方法をとる必要はなく、伊調のいない道で世界一を目指すことになった。

 「伊調に挑む日のために、エネルギーを貯めていたわけだね」と聞くと、「貯めるだけのエネルギーはなかったですよ」と笑った。だが「今の貯蔵庫は?」との問いには、「十分に(エネルギーが)貯まりました」ときっぱり。満を持しての全日本選手権だ。

■オリンピックへの強い思いが、北京へ行くことを拒んだ

 復帰してくる山本はどうか。「体が大きくなっていると聞いていましたし、オリンピックを目指して復帰してくる以上、63kg級に出てくるとは思っていました」と、この階級への参戦は想定内。10月の全日本女子オープン選手権での試合をビデオで見て、「まだ本調子ではないみたいですね」との感想を持った。一方で、練習したことのある選手からは「めちゃくちゃ強い」という情報を得ているそうで、警戒せねばならない相手であることは間違いない。

 59kg級時代の対戦は2006年ジャパンビバレッジクイーンズカップ準決勝の1試合だけで、0−2(0-2=2:13,2-3)で惜敗している(左写真)。「微妙な判定でしたけど、自分のレスリングをさせてもらえなかったということです」と実力の違いだったと思っている。ほかに全日本合宿で何度も練習し、当時はまだ勝てない相手だった。それでも、そうした意識が影響することは「ありません」と語気を強める。口には出さなかったが、「ブランクのある選手には負けません」という気持ちが心の中にあるのは容易に想像できる。

 大阪・吹田市民教室時代から全国に名をとどろかせてきた強豪だ。それでも、オリンピックのマットに立つことを心底から意識したのは、北京五輪で伊調が金メダルを取った時だったという。2004年アテネ五輪の時は、まだ考えられなかった。女子レスリング関係者なら忘れることのできない2001年9月19日の女子の五輪種目採用決定の日のことも「覚えていないです」。意識の中にオリンピックの存在は全くなかった。

 一方で、北京五輪には現地に行くこともなかった。中京女大は期待のホープのモチベーションを高めるため、世界選手権や五輪に若手選手を連れていっており、西牧ほどの実績のある若手選手なら、手を上げれば北京五輪の応援&視察団の中に入ることはできた。事実、高校1年生の時にあった2003年のニューヨーク世界選手権の時は現地に赴き、世界最高レベルの大会をその目に焼き付けている。

 しかし、北京には行かなかった。「他人が輝くシーンを見たくなかったの?」という問いを、はにかみながら肯定した。五輪への思いが強いだけに、五輪の地に行く時は自分が輝く時−、という決意がゆえの行動だろう。

■伊調のほか中国、カザフスタンがいたので慢心はなし

 北京五輪後の1年4ヶ月間の3選手を比べた場合、練習の量・質ともに自分がナンバーワンだという自負はある。全日本合宿で鍛えたのも自分だけ。打倒伊調という大きな目標があったので、世界一に輝いた選手にありがちな心のすきは微塵もなさそう。

 3度のワールドカップでは中国(景端雪=2006・07年67kg級世界チャンピオン、孟麗麗=2005年67kg級世界チャンピオン)、カザフスタン(エレナ・シャリギナ=北京五輪63kg級3位)の選手に負けており、それも慢心とは縁のないチャレンジ精神を持って日々の練習に打ち込める材料のようだ(右写真=スパーリングの合間にも、マットの隅で吉田沙保里から指導を受ける西牧)

 「練習量というのは、自信になります」と言う西牧が、“暫定世界チャンピオン”の肩書きを返上し、“真の世界チャンピオン”に輝くことができるか。


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