【特集】北京五輪2選手が破れ、新たな闘志!【2009年12月23日】

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



 北京五輪の代表選手が相次いで敗れた。男子フリースタイル60kg級では、湯元健一(ALSOK綜合警備保障)が準決勝で小田裕之(国士舘大)に1−2の逆転負け。女子51kg級では48kg級銀メダリストの伊調千春(ALSOK綜合警備保障)が決勝で世界3位の甲斐友梨(アイシン・エイ・ダブリュ)に攻め入るすきをつくることができずに0−2で敗れた。

 湯元は腰の手術に踏み切り、9月の国体で優勝という試運転をして臨んだ大会だった。当然、優勝を狙っていた。それだけに「メチャクチャ悔しい」と振り返った。攻撃し続けなければならないのに、「心の中で(返される)怖さみたいなものがあった」という。「これがブランクの影響かな? オリンピックの前は試合が多くて、試合慣れしていたから(こんなことはなかった)」と振り返った。

 小田には北京五輪前の全日本選抜選手権で負けていたが、特別に苦手意識を持っているわけではない。ただ研究されていたという。「相手の左手を取って攻撃するのが自分のパターン。左手を出してこなかった」と言う。

 だが、この黒星で闘争心にいっそう火がついたようで、「ここで終わったら口だけになってしまう。来年は全大会優勝する。海外遠征に選んでもらえるかどうか分からないが、海外ででも鍛えたい」と話した。充電期間は終了。2012年ロンドン五輪へ向けて気合が入るきっかけとなる黒星だったようだ。

 伊調は敗北後、「楽しかったです」と第一声。カナダにいた10月に首を負傷し、帰国して治療するなど体調は万全ではなく、「1試合勝てたらラッキー」くらいの気持ちだったという。「今のレベルは、そのくらい高いでしょう」−。

 北京五輪の直後は引退もほのめかしたが、この敗戦によってロンドン五輪を目指す気持ちになった。「もし今日優勝できていたら、もっとレスリングをやりたいという気持ちが起こったかどうか分からない。神様が私に良い試練を与えてくださったと思っています」と話し、いずれ48kg級に落として五輪3度連続出場を目指すことを宣言。

 来年4月からら青森県で教員をやることになり、妹・馨(63kg級)とも別々の生活になる。新たな挑戦となるが、「初めて出場した世界選手権が2位で、アテネ五輪の翌年は出られなかった」と、負けてからが自らのスタートと言い聞かせるように話し、ロンド五輪のスタート点に立った。


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