51㎏級の坂本日登美(自衛隊)が最強のまま引退!

sinkai

 51㎏級の”オリンピック”のマットで坂本日登美(自衛隊)が完全燃焼した。世界女子レスリング51㎏級で世界V6を達成。内容も無失点で全試合フォール(1試合はテクニカルフォール)の完全勝利。決勝戦はわずか53秒でフォールを奪った。「東京の世界選手権が自分のオリンピックだと思って全力で試合をした」と坂本は、吉田沙保里、伊調馨(ともにALSOK綜合警備保障)らが北京五輪で金メダル獲得後に見せたパフォーマンスと同じく、セコンドのコーチに抱えられてマットを1周。地元・日本のファンに世界6度目の笑顔を振りまいた。

 試合後のインタビューでは感極まって最初の言葉が涙でなかなか出てこなかった。その涙には訳がある。「このマットで引退するって決めていました」と今大会が現役最後と決めて臨んでいたのだ。激戦を終えて18年間のレスリング人生が走馬灯のように駆け巡ったのだろう。涙をこらえながらのインタビューでは支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを繰り返した。


手に入らなかった五輪行きの切符


 「世界無敗の女王」という最高級の肩書きを持つ坂本だが、手に入らなかった称号がある。それが「五輪代表」という肩書きだ。五輪に”縁”はつきものだが、それが坂本にはなかった。2001年には世界V2を達成しFILAの年間ベストレスラー(男子も含む)に選ばれ、妹・真喜子(自衛隊)とともに”姉妹でアテネ五輪”へいい弾みとなるはずだった。だが、発表された採用階級に坂本の階級”51㎏級”はなかった。  一方でまだジュニアの部だった妹が48㎏級で頭角を現し、一躍アテネ五輪最有力候補になったことで、「妹を嫌いになった」ときもあったようだ。「階級を下げることも考えたが、両親からは姉妹対決をしてほしくないと言われて、48㎏級には落としませんでした」。両親の期待に応え、階級を1階級上げて、55㎏級に挑戦したが、2002年の全日本選手権では吉田にわずか25秒でフォール負け。アテネ五輪の挑戦は終わった。その後、しばらく坂本はマットを離れた。「一番辛かった時期でした」。

 北京五輪選考の火蓋を切った2004年の全日本選手権。そこから坂本の第二のレスリング人生が始まった。所属を和光クラブ(その後自衛隊へ)に移籍し、階級も慣れ親しんだ51㎏級に戻して、再び世界チャンピオンにカムバック。今大会を含めて4年連続女王の座に就いた。結局、現役生活で世界選手権、W杯、アジア選手権など世界選手権(シニア)の主要3タイトルで無敗という大記録を作り上げてしまった。

 世界女王になると、いつも坂本が漏らす本音がある。「51㎏級が五輪階級だったら、このままオリンピックにいけるのに…」。
 日本人史上2人目となる世界V6を達成しても坂本は、「(優勝回数については)何とも思わない」の一点張り。世界選手権を何度も制した坂本のモチベーションは五輪の二文字しかなかった。最強の冠を与えられても「結局五輪には行ってないので…」と語る坂本。同世代で活躍している吉田沙保里や伊調姉妹は、五輪金メダル効果でいまや国民的ヒロインだ。現役引退の理由の核心は自分の階級が五輪階級ではないからということが大きいようだ。


階級が増えたら復帰の可能性?


 FILAは女子の7階級五輪採用を謳っている。ロンドン五輪で女子の階級が増える可能性はゼロとは言えない。「もし、51㎏級相当の階級が五輪採用になったら?」の質問には「そんなに簡単に五輪は目指せるところではないですが、心が揺れるかも」。

 「本当に引退してしまうのか?」という雰囲気の中での引退会見。だが、坂本本人は「この世界選手権が私のオリンピックだから」と、無事その”オリンピック”で優勝を収めたことでスッキリした表情。「オリンピックには行けなかったけど、レスリングをもう一度やってよかった。地元の日本で有終の美を飾れてよかった。今後は妹のロンドン五輪のサポートをしたい」。坂本一家悲願の五輪のために、まずは明日12日に、伊調姉妹に続く、姉妹で世界チャンピオンを目指す。



(文・増渕由気子 撮影・矢吹健夫)



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