【特集】北京五輪へ! 逆転代表にかける(2)…男子フリースタイル120s級・荒木田進謙【2008年3月15日】








 北京五輪の出場権がかかるアジア選手権(3月18〜23日、韓国・済州島)で“日本代表デビュー”を果たす男子選手は、フリースタイルとグレコローマンで1人ずつ。初めて身につける“本当の意味でのジャパンのシングレット”の重みを感じつつ、五輪キップのかかった重圧の中ででも闘うことになる。

 フリースタイルは120s級の荒木田進謙(専大=
右写真)。「自分がアジア選手権に行くとは考えていなかった」と、今回の代表入りは予想外のものだった。全日本選手権優勝者の田中章仁(FEG)が代表発表直前に負傷し、急きょ2番手の荒木田に白羽の矢が立てられた。「田中先輩がけがをしていることは知っていましたが、間に合うと思っていた」と、代表入りは晴天のへきれき。それでも「自分なりに追い込んでいましたので、準備は整っています」と頼もしい姿勢を見せた。

■弱冠19歳、天真らんまんの天才ボーイ

 大学1年生で全日本の頂点に立った重量級のエース・田中は“50年に1度の逸材”といわれているが、荒木田も負けていない。高校時代に2年連続で三冠王に輝き、そのいずれの年も全日本選手権で2位に入賞。昨年12月の全日本選手権で脚光を浴びた“タックル王子”こと高谷惣介(京都・網野高=フリースタイル74kg級)以上の注目を浴びてきた。

 大学に入ってもその輝きは増すばかり。全日本学生選手権で史上16人目となる1年生王者に輝き、2006年にはアジア・ジュニア王者にも輝いた。120kg級にもかかわらず、軽々と片足タックルを決め、ダッシュもできる身体能力には脱帽だ。

 荒木田と田中、どちらも天才的なレスリングセンスを持つが性格はまったくの逆。田中は冷静で不言実行派であり、温和なイメージが強いが、荒木田は天真らんまんな性格。おしゃべり好きでテンションは常にハイ。2時間以上たっぷり練習した後でも、歌を歌いながら部屋へ引き上げていく姿は日常茶飯事だ
(左写真=全日本合宿の練習試合で田中と闘う荒木田)

 こんな性格に120kg級の巨漢が加わればナショナルチームでの存在感は随一だ。「ボク、まだ19歳なんですよ!(3月26日で20歳) タックル王子(高谷)と1歳違いです!」という言葉がむなしいくらいに貫禄十分だ。

■笑顔の裏に苦労あり・・・選手生命の岐路に立たされた2007年

 2007年の荒木田は、19歳にして選手生命の岐路に立たされていた。右ひざの全十字じん帯を断裂。インカレ2連覇、アジア・ジュニア選手権の連覇がかかっていたが、100パーセントの力では戦えない状況であり断念。世界選手権の選考会を兼ねた6月の全日本選抜選手権をも棄権し、8月に右ひざにメスを入れた。ひざの全十字じん帯断裂は復帰に少なくとも半年かかるのが一般的。この手術で北京五輪挑戦は終わったに等しい状況といえた。苦渋の決断だった。

 しかし、4ヵ月後の全日本天皇杯の決勝戦のマットに荒木田は立っていた。「ボクは最後まであきらめない心があるんですよ」と驚異的な回復力でカムバックした。田中に敗れ惜しくも準優勝に終わったが(右写真=
4年連続で、決勝で田中と闘う荒木田)、無事、ナショナルチームに復帰。右ひざの回復も順調で追い込むレスリングができているという。

 「これも、佐藤(満)コーチ、久木留(毅)コーチ、そして温かい言葉で励ましてくださった馳(浩)監督のおかげです。今回は田中先輩がボクに代表を譲ってくれたんですよ。だからボクが出場権を取って来て、借りを返したいですね。そして6月、また先輩とガチ勝負したいです」

 タックル王子に次ぐ若さでナショナルチームを盛り上げる19歳の荒木田は「まぁ、オレを見てって感じですよ!」と、10代最後の大会で北京五輪につながる勝利を誓った。

 グレコローマンでは96kg級の加藤賢三(自衛隊)が早々と北京五輪の出場を決め、重量級の復権にかけることになった。だがフリースタイルの重量級は、1992年のバルセロナ五輪を最後に以後3大会連続で出場の道が閉ざされている。

 日本の最重量級での五輪出場を−。19歳の若さで日の丸を背負うレスリング界の”ぽっちゃり王子”に注目だ!

(文=増渕由気子)



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