【特集】ラスト12秒を守れず! しかし世界王者撃破の実力は本物…男子フリー60kg級・高塚紀行【2008年3月19日】








 北京五輪出場権のかかったフリースタイル60kg級の決勝戦。トレードマークとも言えるオレンジ色のレスリングシューズの高塚の体が躍動した。ラスト12秒で貴重な1点。これが決勝のポイントとなり、北京五輪行きのキップを手にするところだった…。

 しかし12秒後、歓喜を目前とした高塚の両親ら日本関係者はどん底にたたき落とされた。電光掲示板のタイムが1から0になる瞬間、痛恨の1失点。現実というドラマが巻き戻しできるのなら、そこにいた日本人のだれもが巻き戻してほしかったはず。夢であってほしい…そんな思いが渦巻く中、高塚は頭をかかえてマットに伸びていた
(右写真)

 ドゥットのあのタックルを受け止めず、ステップバックしてかわしていれば…。いや、その前にフットワークを使って相手の周りをグルグル回ってくれるだけでよかった。「なぜ、12秒を守り切れなかったのか…」という思いが、だれの脳裏にも何度もめぐっただろう。

 だが、これが現実だ。表彰式中泣きじゃくり、うなだれてフロアを出た高塚に、富山英明強化委員長が「ラスト1秒がこんなに厳しいものだということが分かっただろ。泣いているヒマはないんだ。明日から練習だ。前を向け」と厳しく声をかけた。

■1ポイントをリードし、舞い上がってしまった!?

 準決勝までの3試合、高塚はすべての実力を出し切った。相手をマットにたたきつけるタックルではなく、相手に圧力をかけながら前へ進み場外へ押し出す攻撃がさえ、相手の反撃を許さなかった。2006年世界チャンピオンをも破った攻撃。

 それは休けいをはさんで行われた決勝でも続き、第1ピリオドを高塚らしい動きで3−0で取った。第2ピリオドは取られたものの、第3ピリオドの終盤、高塚らしい攻撃で相手を場外に押し出し、勝利を引き寄せた。

 だが、「勝てる」と思った気持ちが高塚の動きを狂わせたのか…。ドゥットの執念の攻撃をがぶって守り、一度は突き放した。2度目の攻撃もがぶった
(左写真)。「あと数秒、こらえれば…」。そうした思いがあったかどうか定かではないが、柔らかいドゥットの体が高塚の脇をくぐり抜け、次の瞬間、高塚の背後に回っていた。

 「相手に近づかず、手を出したりして突き放せばよかったが…」。絞り出すようにその瞬間を振り返った高塚。「1点をリードして舞い上がってしまい、自分の考えがまとまらなかった。相手の方がオリンピックへの思いが強かったのか…」。

■「金メダルに近づいた」と、霞ヶ浦高校の先輩の太田拓弥・早大コーチ

 ほんのわずかの狂いが、痛恨のラスト12秒の悪夢につながった。「もっと勝ちにこだわり、勝つレスリングをやらなければならない。同じ失敗は繰り返したくない」。傷心の表情の中で自分自身に言い聞かせるように話した姿に、来月の第3ステージ第1戦に向けての決意が感じられた。

 そんな高塚に、茨城・霞ヶ浦高校の先輩にあたり、1996年アトランタ五輪銅メダリストの太田拓弥・早大コーチ(長島和幸の応援で現地へ)は「緊張した気持ちをあと1ヶ月続けて練習できる。ここで出場権を取るより、取れなかったことで逆に金メダルに近づいたと思う。高塚の力は世界のトップクラス。落ち込まずにがんばってほしい」とエールを送った
(右写真=試合後、泣きじゃくる高塚を激励する和田貴広コーチ)

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



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