【特集】驚異的な強運で五輪連続出場を決める…男子フリー66kg級・池松和彦【2008年3月20日】








 「変な感じです」。開口一番、フリースタイル66kg級の池松和彦(K−POWERS)は照れ笑いを浮かべた。アテネ五輪後は低迷を続け、引退説も流れていた池松が、アジア選手権で驚異的な運の強さを見せた。池松自信も「五輪によく絡んでいるな」と驚くほどのめぐり合わせの結果だった。

 アジア選手権1位が五輪出場権獲得の基本条件。だが、優勝国がすでに五輪出場権を獲得している場合はその規定があてはまらない。今回のフリースタイル66s級では、池松が敗れた相手で優勝を成し遂げた北朝鮮は世界選手権に不出場で、規定上、アジア選手権で優勝しても五輪出場権の獲得はならない。さらに反対ブロックから勝ち上がったモンゴルもすでに出場権を獲得しており、3位で五輪出場権に手が届くことになった
(右写真=3位決定戦で勝った池松)

 池松の運の強さはこれにとどまらない。反対ブロックの3位はインドが獲得したが、インドもすでに五輪出場権を獲得していたために、プレーオフを行わずに池松の五輪出場が決定した。

 「決定戦をやるとおもって準備していたのに」。少し消化不良の様子を呈した池松の姿が会見場にあった。全日本優勝者の池松が代表権を取るとその時点で五輪代表に決定する。日本には、2位以下の選手が最後の奇跡を信じて練習を積んでいる。「優勝して決めたかった」。アジア3位で五輪代表に決まった池松は少し、申し訳なさそうに語った。

■OBの久米氏の指導でスランプを克服

 アテネ五輪までは順調だった池松も、この4年間にはどん底も経験した。アテネ五輪まで休みなく走ってきたために、その後、燃え尽き症候群に。2006年には代表落ちも経験し、スポンサーを背負う身分でありながら、「レスリングが楽しくない。痛いし辛いし」と刺激的な発言も見られた。練習も週休5日状態。それでも「北京五輪」という最終目標は見失わないでいた。

 スランプ時代を乗り越えられたのは、レスリングの枠を越えて付き合った人たちからの温かい言葉。その応援に応えるべく、12月の全日本選手権に向けて、練習の取り組み方法を変えた。日体大は最高の環境だが、OBとなった池松を手取り足取り教えてくれるコーチはいない。大学まで徹底した管理で練習に取り組んできた池松は、この4年間は自分自信で調整する力を見につけた。

 自己管理をしても客観的に自分を分析する人は少ない。そんな中、昨年9月からOBの久米貴幸氏が池松を直接指導。これが全日本選手権の復活の足固めになった。

 一度嫌いになったレスリングを「今はまた楽しくなった。別のおもしろさを見出しだ」とコメント。アテネ五輪は不本意な形で終戦となっているだけに、2度目の五輪ではその雪辱を晴らす。

(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)



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