【特集】家族と同僚の期待に応えて北京行きキップを獲得…男子グレコ84kg級・松本慎吾【2008年3月23日】








 男子グレコローマン84s級の準決勝でキルギスの選手を下し決勝進出を決め、2大会連続の五輪出場が決まった瞬間、松本慎吾(一宮運輸)は雄たけびをあげて、こぶしを突き出した(左写真)。カメラのフラッシュが松本の潤んだ目をいっそうキラキラさせた。
 
 2002年の釜山アジア大会で優勝して以来、日本グレコローマンのエースとしてチームを引っ張ってきた。だが、昨年9月にアゼルバイジャンで行われた世界選手権ではまさかの初戦敗退。敗者復活戦にも回れず五輪出場権を逃した。“失敗”を犯してからの半年間、頭をよぎるのは五輪出場権のことばかり。9連覇を達成した天皇杯全日本選手権でも勝利に喜ぶことはなかった。

 そのつまずききを振り返った瞬間、松本の声が震えだし、みるみるうちに目から涙があふれだした。「妻と子供を連れて(五輪)に行きたいと思っていた…」。家族との約束を果たした安堵感が涙をさそったのだろうが、その理由は家族愛にとどまらない。

 「同期の笹本(睦=60kg級)が『慎吾の(五輪出場が)決まらないと、(自分の)五輪のことは考えられない』って雑誌のインタビューで言ってくれて…。大会前も昨日も、『慎吾なら大丈夫だよ』ってメールをくれた」と同期の支えがあったことも告白した。

■グレコローマン・チームに笹本との二本柱ができた

 これでアテネ五輪と同様に盟友・笹本との出場を決めた松本。「スタートラインに立つことができた。北京では笹本と(一緒に)メダルを取りたいです」と大きな目標を掲げた。

 出場枠を持っているイランが決勝戦に上がってきたため、準決勝で目標を成し遂げた松本は決勝戦へのモチベーションが上がらなかった。それでも「北京でメダルをとるためには負けられない」と闘志を再燃させて決勝のマットへ。一番手ではないが、「二番手であっても強い」(松本)という今年のイランのワールドカップ代表のネマトプール・タレブ相手に、大接戦を演じ、最後は得意の俵返しで勝負を決めた。

 「アジア大会の優勝はあるけど、アジア選手権は初タイトルなんです。普通にうれしいです」と、試合後の会見では、涙にくれた準決勝直後の囲み取材とうってかわって終始ご満悦。今後は海外修行を含めたスケジュールを立てていることも明らかにした
(右写真=表彰式後、家族らの祝福に応える松本)

 2007年世界選手権銀メダリストの笹本睦に、2008年アジア選手権王者の松本慎吾−。30歳の同期生が、グレコローマン・チームの”両横綱”として北京五輪に挑む。

(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)



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