【特集】無冠の帝王・倉谷修平(日体大)がついにタイトル獲得! 学生大会で有終の美【2008年10月24日】



 ついに獲得したタイトルだった。全日本グレコローマン選手権74kg級の倉谷修平(日体大)は、中井伸一(中大)との決勝戦を2−1で制し、やっと勝利宣告を受けた(右写真=中井を攻める倉谷)。倉谷にとって最後の学生の大会となる今大会。全日本選手権も含めて表彰台に昇った経験は数え切れないほどしてきたが、ビッグタイトルには、いつもあと一歩及ばなかった4年間。最後のチャンスをものにした倉谷にはようやく安堵の表情が見られた。

■表彰台へは何度も登ったが、優勝がなかった2年間

 山梨の韮崎工業高校から日体大に進学し、1年の春に新人戦74kg級優勝。2年ではJOC杯ジュニアオリンピックで優勝し、新人戦は84kg級も制した。ジュニアを卒業するころには、すでにシニアで有望な選手へ成長。全日本選手権でも表彰台に上がり、あとは日本一の学生になるだけだった。だが、ここから倉谷の苦労は始まった。

 優勝候補で臨んだ3年の全日本学生選手権(インカレ)。決勝までトントン拍子に勝ち上がった。だが決勝戦第1ピリオドを奪ったにもかかわらず、同門の田中悠一に逆転負けし、準優勝に終わった。今夏のインカレも予定通りに決勝へ進出したが、またも同門(さらに同期)の金久保武大にストレートで敗退。2年連続、タイトルまであと1勝としながら、不本意な形で終戦。「練習はガツガツやっているつもりなんですが、欲がないのかな…」。力を出し切れず大会を終える倉谷には、いつも悔しさだけが残った。

 そんな倉谷に安達巧監督は最後のチャンスを与える。各大学から各階級に1選手しか出られない今大会に、学生2位の倉谷を指名した。“無冠の帝王”から“大学王者”の肩書きを戴冠する最後のチャンス。倉谷は今回も下馬評どおりに決勝へ。鬼門の決勝で倉谷は、高校時代の同門・米満達弘(拓大)と対決する予定だったが、米満は残念ながら大会を棄権。代わりに決勝に進出してきたのは中大の中井伸一だった。

■学生時代の集大成は全日本選手権で優勝すること

 「初めての対戦」と一抹の不安を抱えながら決勝のマットに上がった倉谷はあっさり第1ピリオドを奪うも、第2ピリオドで粘られて逆転。その時、今までの記憶がよぎった。「また、負けてしまうかも…」。それでも第3ピリオド、スタンドでポイントを取り、こん身のローリングで加点して勝負を決めて終了(左写真=第3ピリオドで地力を発揮して優勝)。4年生の最後の学生大会でやっとチャンピオンに輝いた。「4年間や切りました。優勝できてよかったです」−。

 学生大会で有終の美を飾った倉谷だが、もうひとつやり遂げたいことがある。それは天皇杯全日本選手権で決勝の舞台に上がることだ。「いつも3位」と、表彰台でお馴染みの顔だが、準決勝の壁が敗れない。北京五輪選考が終わった今年6月の明治乳業杯全日本選抜選手権は、強豪が抜け、若手には最大のチャンスだった。だが、「自衛隊の葛西に負けてしまいました」と、ノーマーカーに不覚。ビッグタイトルを手中にできなかった。

 「今度こそ全日本で勝てるように!」。学生ナンバーワンレスラーとして、12月の全日本選手権のマットで、集大成の試合に臨む。

(文・撮影=増渕由気子)


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