【特集】19年目の“グランドスラム”達成! 山梨学院大が大学グレコローマンに確かな足跡を残す【2008年10月25日】
今年5月の東日本学生リーグ戦決勝で日体大を破り、7年ぶりの優勝を遂げた山梨学院大が、全日本大学グレコローマン選手権の大学対抗得点で昨年の覇者・日体大を2・5点差で下し、第20回大会にして初優勝を飾った(右写真=胴上げを受ける下田正二郎部長)。
高田監督は「今年の最大の目標だった。ラッキーだった面もあるけど、うれしさもある。ホッとした」と優勝決定後の第一声。2・5点という差は、山梨学院大の1人でも下の順位だったら、あるいは日体大の1人でも順位が上だったら、優勝を逃していた差だった。
それだけに「ラッキー」という言葉もうなずける。また、「(この大会の優勝は)最初で最後になるかもしれない」と謙そんしたが、年間の4つの団体戦(東日本学生リーグ戦、全日本学生王座決定戦、全日本大学グレコローマン選手権、全日本大学選手権)のすべてで優勝を経験したことになり、「歴史に名を残せた。自分のやってきた足跡を残せた」とうれしそうだった。
■なぜか優勝がなかった全日本大学グレコローマン選手権
1990年に高田裕司監督が教員として赴任し、コーチとしてチームを指導してから19年目。高田監督(当時コーチ)就任後、数年で強豪の仲間入りを果たし、1999年には全日本学生王座決定戦と全日本大学選手権、2000年には東日本学生リーグ戦でそれぞれ優勝を飾ったが、この大会だけは優勝がなかった。
山梨学院大の最近の団体戦成績 | ||||
年 | リーグ戦 | 王座決定戦 | 大学G選手権 | 大学選手権 |
1990年 | B優勝 | 5 位 | 5 位 | 8 位 |
1991年 | 8 位 | 4 位 | 3 位 | 6 位 |
1992年 | 4 位 | 6 位 | 3 位 | 4 位 |
1993年 | 3 位 | 5 位 | 5 位 | 2 位 |
1994年 | 2 位 | 3 位 | 2 位 | 4 位 |
1995年 | 4 位 | 4 位 | 3 位 | 4 位 |
1996年 | 2 位 | 4 位 | 3 位 | 4 位 |
1997年 | 4 位 | 4 位 | 3 位 | 4 位 |
1998年 | 5 位 | 5 位 | 3 位 | 3 位 |
1999年 | 2 位 | 優 勝 | 3 位 | 優 勝 |
2000年 | 優 勝 | 2 位 | 2 位 | 2 位 |
2001年 | 優 勝 | 2 位 | 3 位 | 2 位 |
2002年 | 2 位 | 3 位 | 8 位 | 優 勝 |
2003年 | 4 位 | 1回戦敗退 | 10 位 | 8 位 |
2004年 | 3 位 | 2回戦敗退 | 7 位 | 8 位 |
2005年 | 5 位 | 2回戦敗退 | 6 位 | 4 位 |
2006年 | A組3位 | 2回戦敗退 | 3 位 | 5 位 |
2007年 | A組2位 | 1回戦敗退 | 3 位 | 3 位 |
2008年 | 優 勝 | 1回戦敗退 | 優 勝 |
今年は60kg級に昨年優勝の倉本一真、96kg級に明治乳業杯全日本選抜選手権の王者であり学生王者の山本雄資、120kg級に学生王者のボリス・ムジエフを擁するメンバー。高田監督は、この3人が優勝することで団体優勝をもくろんでいた。
もっとも、8月の全日本学生選手権では日体大が4階級で優勝し、山梨学院大は96・120kg級の2階級。戦力的には日体大の方が有利。第1日(軽量4階級)は日体大が2階級を制し、山梨学院大は6点差の2位。96kg級、120kg級で優勝すればこの6点差は埋まり、逆転も考えられる差だった。しかし最終日、84kg級が初戦敗退でポイントを取れず、優勝の望みが消えかかった。
しかし勝利の女神は山梨学院大に向いていた。日体大に決勝進出選手がなく、3位決定戦で敗れた選手もいて望みが復活。120kg級決勝でムジコフがフォール勝ちして優勝が決定すると(右写真)、本部席にいた下田正二郎部長、高田監督ともほっとした表情を浮かべた。
■グレコローマンは日体大と拓大だけじゃない! 他大学の励みになる!
「インカレの優勝数を考えると不利だったけど、やってみないと分からないね」と高田監督。最近、グレコローマンといえば日体大と拓大が飛び抜けているように思われているが、「山梨学院大でもできることが証明された。他の大学の励みにもなるでしょう」と、多くの大学で競い合っていくことを望んだ。
「歴史に名を残せた」という言葉は、自分の通ってきた道を振り返った時に感じることに起因する。足跡が残っていないというのは寂しいこと。高田監督は1976年モントリオール五輪を含めて世界を5度制し、アジア大会2度、全日本選手権は10度優勝しているが、全日本学生選手権は歴代優勝選手のどこを探しても名前がない。優勝を狙えた年は世界選手権と重なって不出場だったためだが、「やっぱり寂しいよ」と言う。
この大会の大学対抗得点は、2位が2回、3位が10回と、これも立派な足跡と思われるが、世界を制してきた人間として、「優勝」がほしかったはず。4大大会のすべての歴代優勝大学に名を刻めたことで、19年の歴史の重みがぐっと増したことだろう。
この勢いで、来月の全日本大学選手権も優勝し、年間の3大会制覇なるか。
(文=樋口郁夫、撮影=樋口、増渕由気子)