【特集】ホイッスルを持ってマットに戻ってきた1999年世界カデット女王、竹中奈々さん【2008年10月30日】



 少年少女の大会にママさんレフェリーの存在は珍しくなくなったが、第22回押立杯関西少年少女選手権のマットには、25歳、今風レディーのレフェリーの姿があった。1998年と99年の世界カデット選手権40kg級に、吉田沙保里選手(現ALSOK綜合警備保障)らとともに出場し、98年は2位、99年大会は見事優勝しているの竹中奈々さん(京都・網野高〜関大卒=左写真)。この大会の審判長を務めた竹中道場の竹中伸行代表(国際審判員)の長女だ。

 関大を卒業したあと、企業に勤めて東京勤務も経験したが、思うところあって退職。整骨院で補助をやり、今は柔道整復師を目指して資格獲得の勉強中だ。

 これまでにも少年少女の大会で審判を頼まれ、何度かホイッスルを吹いている。「小さい子のレフェリーは楽しいけれど、難しい面もありますね。けがをさせてはならないと気も遣います」と言いながらも、社会人になって一度は離れてしまったレスリングと接することができて楽しそう。

■父は世界を巡った国際審判員、兄も西日本学生連盟の審判委員長

 ママさんではないが、この9月、日本永住を決めている中国人と結婚し、家庭におさまっている。柔道整復師の資格獲得を目指しながらも、生活は落ち着いた。レスリングを経験しているだけに、選手の動きはきちんと読み取ることができる。女性レフェリーが少ない現在、貴重な存在になってほしいところだ。

 「まだ、上を目指すかどうかは考えていません。自然の流れで、そうなるかもしれませんけど…」。父が国際審判員として世界のいろんなところに行っているのを見てきた。伸行さんによると、フランス、フィンランド、ドイツ、カナダ、ベラルーシなど。「いいなあ、って思いました」と言うから、何らかのきっかけがあれば、正式な審判の道に足を踏み入れる可能性はある(右写真=父・伸行さん、兄・伸太さんとともに)

 兄・伸太さん(1999年世界カデット選手権出場)も同志社大時代に審判委員長を務め、この大会もさばいている。審判の血は子供たちに間違いなく受け継がれているようなので、奈々さんの決心が待たれる。

 まな娘が地元に戻ってきてうれしそうな竹中さんは、娘の人生に自分の希望を強制するつもりはない。しかし、「JOC杯をもらって、世界カデット選手権に派遣してもらって優勝させてもらった。レスリングに恩返ししてほしいとは思いますね」と話し、できればレスリングに接し続けてほしいと願っている。


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