【特集】吉田沙保里の兄・栄利さん、“五輪チャンピオン製造工場”を語る【2008年10月31日】



 「顔が似ているから、地元ではボクまで有名になっちゃって…。悪いことできないですよ」。大阪・吹田市で行われた押立杯関西少年少女選手権で、2度の五輪の金メダリスト、吉田沙保里選手(ALSOK綜合警備保障)の兄で三重・一志ジュニアのコーチ格として参加していた吉田栄利さん(ひでとし=右写真)は、そう言って笑った。

 自らは一志中学時代に全国大会2連覇、鹿児島・鹿屋中央高校時代にインターハイ王者になるなどした強豪選手だったが、五輪には手が届かず、妹に五輪出場の夢を託し、その思いを実現してくれた。現在は父が指導する一志ジュニアを仕事の合間をぬって応援し、選手の育成に力を注いでいる。

■ニコニコ顔で練習していては、試合で泣いてしまう

 一志ジュニアは「勝つこと」に徹しているクラブだ。栄勝さんの時に鉄拳も辞さない厳しい指導は全国にとどろいている。沙保里選手が五輪V2を達成しても、入部したいという選手が増えるわけではないのは、厳しいというイメージが先行しているからか? 

 栄利さんは「道場が狭いから、特に選手募集はしていません。そのためだと思います」と説明する。ただ、厳しいイメージが来にくくしていることは否定しなかった。「来るな、とは言っていないんですが、中途半端な厳しさではない、というオーラが出ているのかもしれません」と笑った。
 
 体力づくりや集団生活を学ばせるといったことより、勝つことを何よりも優先して考えるクラブである。「勝てばうれしいし、負ければ泣くのが選手。ニコニコ顔で練習していたら、試合では泣いてしまう。勝つための練習をすることで、体力もつくし、子供の成長にもつながります」と栄利さん。

 自らが一志ジュニアで学んでいた時は、そうではなく、けっこう楽しさが中心にあったという。しかし、それでは試合で勝てなかった。「父は、それではダメだと反省したんでしょう。指導が変わっていきました。兄(長兄・勝幸さん)とボクが実験台で、反省点を直していって沙保里で成功したんですよ」(左写真=選手のセコンドにつく栄利さん。その右は勝幸さん)

 世界最強の選手を育てた栄勝さんも、そこに至るまでは試行錯誤の連続だったようだ。栄利さんの目には、父が指導で毎日のように研究していた姿が焼きついている。「強豪選手のビデオを見て、『小学生でもこんな技をやっているのか』と驚いたり、他のクラブの練習を研究したりして、選手を勝たせるための努力はすごかった」と振り返る。

■タックルのない選手では世界で勝てない

 いま、一志ジュニアで最も心がけていることが攻めるレスリング。「2時間の練習のうち、1時間半はタックルの練習です。グラウンド練習はほとんどしません。沙保里のレスリングを見ても、それが分かるでしょ」。勝っても、攻撃のないレスリングで勝った時は栄勝さんのカミナリが落ちる。

 「これも父の反省なんじゃないかなと思います」と栄利さん。栄勝さんは現役時代、徹底したカウンターの選手で、あとは投げ技で攻める程度。タックルなどしたことがない選手だったそうだ。「結局、オリンピックの最終予選で負けてしましました。タックルのない選手では勝てない、そう思ったのだと思います」。

 時に「小学生に対して厳しすぎるのでは?」と誤解をまねく栄勝さんの言動だが、栄利さんは、すべて教え子のことを思っての行動ととらえている。「よく『周囲に何と思われても、(クラブの)選手が喜んでくれれば、それでいいんだ』と言います。信念を持っているすばらしい指導者だと思います」と言う。

 タックルを続けながらも負けた選手には、「オレの指導が悪かった」と、その選手にあやまるという意外な(?)一面もあるというから、一方的な厳しさだけではない。「自分の子がよければ、というところはなかった。どの選手も平等に接してきた」。これらもすごいと思うことだ(右写真=1995年に全国中学生選手権で2連覇を達成した時の栄利さん)

 栄利さんには、沙保里選手の活躍はどう映っているのか。「やはり誇りですよ」と言う一方、兄として厳しくも見ている。「ワールドカップで負けた時の沙保里は、ちょっと有頂天になっていましたね。勝つのがあたりまえだ、みたいに。だから、負けて泣いたんです」。北京オリンピックで伊調千春選手が負けても涙ひとつ流さなかったのは、「やることをすべてやったからだと思います。(ワールドカップの時の)沙保里は、やるべきことをすべてやっていなかった。だから泣いたんです」。

 2歳になる千沙都(ちさと)ちゃんの父親。妻のおなかの中には第2子がいる。「英才教育でオリンピックを目指させるの?」という問いに、「そうですね」とにっこり。千沙都という名前は、伊調千春選手と妹から1字ずつ取ってつけたもの。聞くまでもない質問だったかもしれない。

(文・撮影=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》