【特集】姉のパワーに頼らない奮戦も、無念の3位…男子フリースタイル84kg級・浜口剛史(浜口道場)【2008年11月23日】



 2004年アテネ五輪・2008年北京五輪の銅メダリスト、浜口京子選手の弟・剛史(浜口道場)が昨年に続いて全国社会人オープン選手権のフリースタイル84kgに出場。固い守りで1、2回戦を勝ち抜いたものの、準決勝で2003年のインターハイ王者の荒川翔(東洋大ク=当時茨城・霞ヶ浦高)に1−2で敗れ(右写真)、昨年に続いて決勝進出ならなかった。

 準決勝は第3ピリオドの後半、相手の圧力で場外際に追い込まれ、必死に防戦したが場外へ押し出されて痛恨の1失点。残り26秒では逆転できなかった。「去年も3位で、全然進歩がない」と悔しさをにじませ、「試合になるとタックルができない」と敗因を口にした。

 1回戦はフォール勝ち(7-0,4-0)、2回戦は2−0(1-0,1-0)と防御はしっかりできていた。しかし「攻撃ができなければ勝てない」と厳しく振り返る。日大の練習に参加させてもらったり、姉の指導をしている赤石光生コーチのアドバイスを聞いて鍛えてきただけに、やってきたことを試合で出せなかったことがもどかしそう。

■姉・京子に代わり、マットサイドから3ヶ月の愛息・京太郎クンが見守る

 この大会で優勝すれば、12月の天皇杯全日本選手権への出場権を手にすることができた。「狙っていました」と言う。「自分自身で何かを残したい。『アニマル浜口の子』、『浜口京子の弟』じゃなく、自分自身の何かを」と、挑戦を続けてきた。

 現在28歳であり、この先、何年も挑み続けられるものではないが、「このままでは終われない。もう少し頑張りたい」という。その決意の表れが、昨年はセコンドについてくれた姉に、今回は試合出場を教えず来たこと。7月の全日本社会人選手権に出た時は、姉が五輪前で来ることができず、「ちょっと不安だった。これではダメ。1人で闘うことが必要」と考えての行動だった。

 浜口道場の川瀬主将がセコンドから力強いアドバイスを送ってくれたこともあり、「気持ちはしっかり持って闘うことができた」と、この点では成長の跡がはっきり。もっとも、精神的成長の源は、8月に父親になり、マットサイドから長男・京太郎クンが見守っていたことかもしれない(左写真=試合を終え、妻・香枝さんと京太郎クンにねぎらわれる)

 「いや〜、まだ何も分からないし、闘う姿を見せよう、なんて気持ちはないですよ」と照れたが、愛息の前でぶざまな試合はできない。大きな励みを持った浜口が、2009年に勝負をかける。

(文・撮影=樋口郁夫)


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