【特集】60kg級での経験をもとに、55kg級で再び世界を目指す清水聖志人(クリナップ)【2008年11月30日】



 全国社会人オープン選手権大会のフリースタイル55kg級は清水聖志人(クリナップ)が優勝(左写真)。12月21日からの天皇杯全日本選手権の出場権を手に入れた。清水が55kg級に出場するのは2年ぶりのことだ。

■55kg級のエリート選手が、60kg級では挫折の連続

 清水は茨城・霞ヶ浦高から日体大に進学し、4年生の時に学生二冠王に輝いたエリートレスラー。2004年には55kg級で全日本選手権2位の成績を残している。学生時代は学生と全日本レベルの大会、そして海外遠征などで減量は毎月のこと。減量がたたって体は悲鳴を上げていた。試合後はリバウンドで体重が68sに達することもしばしば。「体が正常ではなかった」と振り返り、減量中に意識をなくして倒れることもあった。

 55s級に限界を感じ、社会人2年目で60s級に階級を上げることを決意。階級アップと同時に2006年の全日本社会人選手権で優勝。10月のNYACオープン国際大会(米国)で優勝し、社会人部門の年間MVPにも輝いた。だが翌年、清水はスランプに陥る。60s級の全日本選手権デビューは藤本健太(当時日大クラブ)にストレート負け。半年後の全日本選抜選手権では優勝候補の高塚紀行(当時日大)を下したものの(右写真)、準々決勝で高校の後輩・大沢茂樹(山梨学院大)に逆転フォールで敗退。

 2007年12月の全日本選手権でも湯元健一(日体大助手)に逆転負けを喫し、北京五輪の切符がかかった今年6月の全日本選抜選手権では新進気鋭の小田裕之(国士大)に黒星。55s級の華々しい成績から一転して表彰台なしへ。2007年は「悔しい一年でした」という屈辱を味わった。「人生の目標が北京五輪。(道が閉ざされて)引退する予定だった」と、今夏はセカンドキャリアを視野に入れたという。

■北京五輪の55kg級決勝をテレビで見て、引退の気持ちが消えた

 しかし、目標だった北京五輪をテレビで観戦した清水の心境に変化が出てきた。以前慣れ親しんだ階級の55s級では松永共広(ALSOK綜合警備保障)が決勝に進出していた。相手のヘンリー・セジュド(米国)を見て、清水は20年ぶりの日本男子の金メダルを確信した。なぜなら、清水は2007年5月に米国ナショナルチームの合宿に参加した経験があり、ヘンリーとは気心知れた間柄だった。「ヘンリーは若くて練習量が多く、階級は違うけど一番手合わせした選手でした」。いい練習にはなったが「松永先輩の方が強いと思った」。しかし、そのヘンリーが松永を倒してしまった。

 引退を視野に入れていた清水だったが、ヘンリーが金メダリストになったことで気持ちに変化が起きた。「もう一度、55s級でやってみたい」「五輪ではなくても“世界”の舞台で闘ってみたい」―。その気持ちの追い風となったのが自身の体の状態だ。

 月1度の減量で体を壊した4年前と違い、社会人になってからは体重調整は年2、3度。そのため体の調子もよく、普段から60s台の前半に落ち着いた。「落とせる」という自信もあり、12月の全日本選手権は55s級でエントリーすることを決意。出場権を取るために、全国社会人オープン選手権大会に出場した。

 今大会、元全日本2位の清水からしたら優勝は当たり前だった。不安は2kgオーバーの計量(55kgの場合は57kgまで落とせばいい)ながら、高校生以来の当日計量をこなしたことだ。そもそも60s級に階級を上げた理由の一つが、ワンデートーナメントの試合になったこと。減量直後の試合が最もきつく、清水の鬼門は1回戦だった。だが、計量後すぐに始まった初戦では「思ったより動けた」と、体はいつもどおりだった。大会も全試合フォール勝ちで、難なく全日本選手権の切符は手に入った(左写真=決勝もフォール勝ち)

 2年間の60s級生活に別れを告げて再び55s級に挑戦することになったが、60s級に階級変更したことに後悔はない。「55s級で続けていても体が持たず、もっと前にやめていたと思う」と言う。

■55kg級に出場が予想される選手には負けなしの実績が生かされるか

 この2年間は筑波大大学院体育研究科スポーツ健康システムマネジメント専攻で高度競技マネジメントの勉強を積んだ。1月には「日本レスリング協会におけるキャリアサポートに関する研究」という修士論文を提出する。「大学4年間で自身の競技力に関する学問は突き詰めたので、大学院では高度競技マネジメントを勉強しました」。

 国際大会で勝つには、選手個人の強さはもちろん、組織のあり方も重要になってくる。「競技団体の行うキャリアサポートシステムをレスリングに特化した形で論文を書きたかった」という清水はレスリングの練習の合間を縫って論文執筆に励んでいる。忙しい日々だが、2年間の大学院生活の内容は充実そのもの。東京五輪誘致の事務総長・河野一郎氏のゼミに所属し、柔道の山口香氏などの豪華な指導教員に、レベルの高い学生たちとスポーツトレーニングのディスカッションを行うこともしばしば。「競技の考え方が変わりました」と視野が広くなったそうだ。

 現在26歳の清水は「ロンドン五輪が目標とは、はっきり言えない」と言う。だが、北京五輪を見て感じた「世界で勝ちたい」という目標は本物。「来年のデンマーク世界選手権大会にすべてをかけたい」と、世界での闘いも燃えている。

 これまで55kg級で負けたことのある選手は、松永のほかは齋藤将士、長尾勇気、杉谷武志など。齋藤は階級を上げており、あとは第一線を退いた選手。すなわち、今回の全日本選手権に出場が予想される選手には、だれにも負けていない。それだけに自信がある。2年ぶりの55s級で“台風の目”となれるだろうか−(右写真:2004年に55kg級で全日本2位になった清水=左=。これ以上に輝くことができるか)

(文・撮影=増渕由気子)


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