【特集】道は違っても、故郷に錦を飾る日を夢見て必死の闘いに挑むブランコ・マキシモ(ベネズエラ=日大卒)【2008年12月15日】



 異国の日本で7年以上レスリングに打ち込んだ。高校(宮城・仙台育英)時代は全国大会優勝なしの存在。そこからはい上がって、日大時代の2005年に学生二冠王者に輝いた。しかし今春、北京オリンピック出場の夢破れた。ベネズエラ出身のマキシモ・ブランコ(左写真)が、総合格闘技の世界で光り輝く日を夢見て、努力を続けている。

 今年7月、総合格闘技イベント「戦極」の育成選手としてプロへ転向。8月末にパンクラスでデビューし、その時は実質的な勝利をおさめたが、ルールに抵触した攻撃があったため無効試合へ。10月1日の第2戦は、わずか22秒、バスター(プロレスでいうパワーボム)でKO勝ち。恵まれた体力を武器に、プロで順調なスタートを切った。

 しかし今月7日、東京・ディファ有明で行われたパンクラス大会で、プロのキャリア6年、ライト級5位の花澤大介13(コブラ会)に2ラウンド2分19秒、肩固めを極められてしまい無念のギブアップ負け。レスリングにはない技の防御に課題を残した形となった。

■第2ラウンド途中まで攻勢も、一瞬にして流れを変えられた

 総合転向のあと練習している吉田道場から、滝本誠(シドニー五輪柔道金メダリスト)、中村和裕といった同道場の先輩がセコンドについて試合開始。第1ラウンドは、グラウンドで下になるシーンもあったが、ブリッジワークで返す驚異的な体力で脱出。パウンド(グラウンドで仰向けになっている選手への上からのパンチ)も一発一発が強烈で、明らかに攻勢をとった。

 第2ラウンドも攻勢だったが、四つんばいの相手に前方からひざ蹴りを見舞った攻撃が反則ととられイエローカード。再開後にタックルでテークダウンを取り、上のポジションを取って再び攻勢をとったが(右写真)、うまくリバースされ(上下を入れ替わられる)、肩を固められ、じりじりとけい動脈を絞められてしまった。

 「1ラウンドは攻勢だったので、油断があった。課題を残しちゃったね」。3戦目にして黒星を喫し、がっくりの表情のマキシモ。応援に来ていたベネズエラ在住30年の阿久津英紀さん(明大OB=元ベネズエラ・ナショナルチーム監督)からの「あれほど関節と絞めに注意しろと言っていただろ」という叱咤(しった)を、「はい」と神妙な顔で聞きながら(左下写真)、未知の闘いで勝ち抜くことの難しさを痛感したようだ。

 スタンドでのラッシュ攻撃は、まだ荒削りとはいえ、レスリング選手特有の瞬発力をフルに使って攻勢をとる力は十分。ベネズエラではテコンドーに打ち込んでいたこともあり、パンチやキックは全くの素人ではない。阿久津さんによると、日本の子供のケンカは組み合うことが多いが、ベネズエラでは殴り合いになることがほとんど。マキシモもケンカはけっこうした方だというから、闘争心も十分だ。

 しかし、そのラッシュだけで勝てるほど、今の総合のレベルは低くない。しのがれてグラウンドに持ち込まれ、下になってしまうと、そこからの反撃ができない。レスリングではそうした体勢になることイコール負けであり、そこから先の防御がありえないのだから、それも仕方あるまい。セコンドが「脚のクロスを解け」「首に手を回されるな」などとアドバイスを送るが、アリ地獄に落ちるかのように不利な体勢へ。練習では「しっかりやっていた」という関節技の防御だが、逃げることができなかった。

 レスリングでは、グラウンドになって15秒くらいしてニアフォールへ進展しなければスタンド(ブレーク)になるが、総合のブレークはもっと時間が長く(団体によって違うが1分から2分)、じわりじわりと攻められてしまう。このあたりの感覚の違いも、体で覚えなければならないことのようだ。

■一流選手になるまで、ベネズエラの両親には「レスリングをやっている」

 「こんなんじゃ、いつまで経っても育成選手だね」。自虐的に黒星を振り返ったマキシモだが、まだ3戦目。試合で負けてこそ技の攻防を覚えるもの。潜在能力は十分にあるのだから、これからが楽しみだ。

 25歳。当初は2012年ロンドン五輪を目指し、総合をやりながらレスリングにも挑むつもりだった。プロの世界の厳しさの前に「もうレスリングはやらないかも」と言う。そのくらいの覚悟で打ち込まなければ、プロの世界では大成できないかもしれない。

 母国の両親には「(殴り合いのある格闘技は)心配するから、『レスリングをやっている』と言っている」そうだ。「志ならずんば、死しても帰らず」の心意気。道は違っても、故郷に錦を飾るために、マキシモの必死の闘いが続く。


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