担当記者の2007年世界選手権


 昨年の取材日記では、「来年は女性記者に書かせます」と宣言しました。しかし、Y・M記者が本職の都合でどうしても来ることができません。今回、アシストしてくれる藤田絢子記者は、早大スポーツの記者で、まだ学生。いきなりの大役は無理だと思われ、やむなく(!)、昨年に続いて裏側から見た世界選手権を書くことにしました。

 記者仲間からは「オレ達の悪行が会社にばれるから」と不評ですが、読んでくれている人からは意外にも好評(!?)。ということで、今年もおつきあい願います。(文・撮影=樋口郁夫)


15日(土) 16日(日) 17日(月) 18日(火) 19日(水)
20日(木) 21日(金) 22日(土) 23日(日) 24日(月)


【9月15日(土)】
矢吹建夫カメラマン(右)と記者デビューする藤田絢子記者。
 いよいよアゼルバイジャンへの出発の日。日本選手団は英国航空にて、ロンドン経由でアゼルバイジャン入りしますが、ホームページ・スタッフ軍団は、アエロフロートでモスクワ経由で入ります。え? 「貧乏だから、安いアエロフロートしか使えないんだろ」だって。

 そうなんですけどね。でも、日本テレビの解説として現地入りする高田裕司専務理事や協会監事で支援役員の保岡さんも同じ便ですし、19日に日本を発つ福田富昭会長もアエロフロート(お2人は当然ビジネスクラスですが…)。さらに駅・コンビニ売りの発売部数日本一の東京スポーツの記者とカメラマンもこの便です。私たちを“貧乏軍団”と呼ぶ人は、日本テレビや福田会長にも同じことを行ってくださいね!

 で、モスクワ空港で6時間の待ち合わせ。話好きの高田専務理事がけっこうおしゃべりしてくれ、時間があっという間にたつ。それでも横になっていた方がいいと思い、筆者はロビーの隅っこのフロアで、約1時間くらいゴロンと横になった。旅の恥はかき捨てといいましょうか、健康の方が大事なわけです。

 それでもバクーまでの3時間ちょっとをぐっすり寝ました。いつ、どこででも寝られる…八田イズムの精神は、記者にも脈々と受け継がれています。

 バクー空港に到着し、記念に写真をパチリ。するとガードマンが「フォトグラフ、ノー」と言ってきた。続いて「私はどうでもいいが、セキュリティーTVが撮影している」といった意味のことを言ってきた。KGB(古い!)に連行されないよう1枚でやめました。
 
モスクワで6時間の待ち時間。高田専務の話術であっという間だった。   バクー空港に到着し1枚をパチリ。このあとKGBに連行された(うそ!)

【9月16日(日)】

ビル・メイ記者と再会。左は矢吹カメラマン。
アゼルバイジャン料理。手前がケバブー。
世界遺産のメイデンタワーの前で記念撮影。
 ホテルには午前5時ごろに着いた。眠い。とにかく部屋に入り、10時すぎまでお休み。11時にロビーに降ると、本HPで英文ページを担当しているビル・メイさんに遭遇。約1年ぶりの再会。メルニク復帰の情報などの御礼を伝える。海外の貴重な情報源。今大会では日本テレビの外国選手インタビューの役目もやることになったそうだ。

 その後、IDカードをもらいに行くが、セキュリティーが厳しく、受付の部屋へも順番でなければ入れてもらえない。何度もの押し問答。気の短い私は、さらに問題を起こしそうなので、矢吹カメラマンが代わって対応。何とか40分後にIDカードをもらう。

 その後、東京スポーツの中村亜希子記者と大森裕太カメラマンらに「ブランチに行こう!」と声をかける。「ブランチなんてカッコつけるな」との声が上がったが、無視して外へ。ツアーコンダクターはロシア語、ペラペラの旅行代理店ブンキョーインターナショナルのターニャ古賀さん。ロシア語で注文してくれ、ケバブーなどを満喫。メイさんはビールをジョッキで2杯と、早くも自分のペース。

 14日から現地入りしているターニャさんの話によると、ひどい大会運営で、ターニャさんも何度か切れそうになったとか。上からの指示が何もなく、下の人間が何をしていいか分からないとか。IDカードの発行だけからして、そのことが理解できる。来年の東京での世界女子選手権、大丈夫かな? ワールドカップより一回りもふた回りも大きな大会なんですよ。

 その後、世界遺産になっているメイデンタワーへ。中村記者と大森カメラマンら3人が先導。しかし、いつの間にか見失い、5人でぶらぶらと歩きながら到着。そこで先発隊と合流。先発隊は「なにグズグズしてんの」と思ったようだが、私たちは「置いてきぼりして…。冷たい人たちだ」と思いました。

 カスピ海を臨む景色を見たあと、タクシー2台に分乗して会場へ。1台があわや交通事故に遭いそうになったとか。こちらの運転は荒っぽい。バスでの移動が一番いいようだ。

 計量は時間の3時になってもいっこうに始まる気配なし。選手はみんなグターとしている。メディカルチェックで血圧まで測っていて、そこで時間がかかっているらしい。日本から来ている増島先生に聞くと、メディカルチェックで何をやるかは特別に規定はないそうだ。他にも、係員が組み合わせ抽選をするパソコン(昨年あたりからパソコンを使っての抽選となっている)の操作にも手間取っているようだ。

 それにしても、聞いていた通りのひどい運営。計量を終えた笹本選手はALSOK綜合警備保障の大橋正教監督に「パソコンも使えない人間が仕事をやるな!」とはき捨てたとか。減量している選手は、私たち以上にイライラしたことでしょう。

 終わって記事をアップし、ホテルへ戻ったあと、明日からの健闘を祈ってトルコ料理店で食事。レスリングの名物カメラマンの保高幸子カメラマンが合流してきた。

 店は最初はガラガラだったけど、そのうちにお客でいっぱいに。おいしいと評判の店なのだろう。確かにおいしかった。ナンが出てきたら、メイ記者が「これは何(ナン)ですか?」。メイさんが日本語のギャグを言うとは思わなかった周囲は、理解するまでに10秒近くかかりました(私はすぐに分かりました)。
 
   
メイデンタワーの展望台からカスピ海を望む。   ビル・メイ記者の乾杯。写真には写っていないけど10人で前夜祭。   佐野ミキティー・カメラマンとトルコ料理。

【9月17日(月)】

 この日から試合開始。ホテルを朝8時15分発のバスで会場へ。サマータイムを使っていることもあって、朝8時ごろに本当の夜明けがやってくるような感じ。そのかわり、夕方は6時であってもまだ昼間という感じで、エネルギーの消費を抑えるには、絶対にサマータイムの方がいいはず。地球温暖化防止を訴える日本はなぜ採用しないのか。

私たちを覚えていてくれたアレクサンダー・カレリン
広い試合会場。器は申し分ないが、運営は最悪!
表彰式の盛り上げもまあまあ。かつてはありえなかった仕掛けも。
 会場へ到着すると、プレスセンターはあるものの、会場にいわゆる記者席というものない! 一般の観客席に混ざって試合を見ろということか。一応、記者のスペースらしきところはあるが、机もなければ電源もない。IDカードのチェックをする係はいるが、ほとんど機能を果たしていないから、一般のお客さんがどんどん入ってくる。

 試合を終えた選手をつかまえるミックスゾーンまでの道のりが、これまた話にならない道を経由していかなければならない。総距離は300メートル近く。選手をつかまえられるものではない。

 カメラマンはカメラマンで、アリーナに入ろうとすると、「おまえ達は入れない」と拒否される始末。観客席から試合を撮影するということか。強引に通ろうとすると、グーっと押し返される。女性カメラマンが「痴漢〜!!!!」とかの大声を挙げると、さっと離すといった光景が繰り返されて(らしい。私は見ていないけど)何とか入れたらしいが、ひどい運営だ。

 こんな運営にビル・メイ記者も怒り心頭。私たちと違って英語がきちんと使えるので、国際レスリング連盟(FILA)のプレス担当にガンガン抗議し、記者席のスペース、電源、机の確保を約束させた。やはり英語を使えると強い。ただし、それが実現するのはいつになるか分からないとか。最終日だったりして。

 記者席に座ってちょっと落ちつくと、隣のブロックにアレクサンダー・カレリン(ロシア)の姿あり。私や東京スポーツの中村亜希子記者あたりは、すぐに反応。しかし、日本から来ている他の記者はあまり反応を示さない。

 角度的に見えなかったのかもしれないが、2000年に引退しているので、最近レスリング担当になった記者には、カレリンの名前も通じないのか。カレリンは引退しても永遠のスターであってほしいと思う筆者は、ちょっぴり寂しかったが、外国のいろんな人が入れ替わりたちかわりカレリンに挨拶に来るのを見て、ホッとした。一般にはともかく、レスリング界では永遠のスターなのだ!

 中村記者ととも駆け寄り、昨年の大会でインタビューに応じてくれた御礼を言うと、ニッコリ応じてくれた。来年もまた来てね!

 試合は笹本選手が決勝へ進み、日本選手として24年ぶりの世界王者誕生の期待が出てきたが、あと十数秒を守り切れずに無念の銀メダル。あと十数秒だっただけに、無念さが残る。表彰式を終え、日本テレビのインタビューを終えて記者団の前に来てくれた笹本選手だが、スポーツ医科学委員会の増島ドクターが「ドーピング(検査)があるかもしれないから、ちょっと待って」とのこと。

 ふつうはすぐに係員が来てドーピングルームに連れていくのだけれど、誰も来ない。「だったら、ないんじゃないの」なんて勝手に決めてしまうと、「ドーピング拒否」となって失格にされかねない。そんなひどい運営なのだ。そして増島ドクターの予想どおり、2位の選手へのドーピング検査もしっかりありました。よかった!

白いシューズ姿の笹本選手。
 で、その笹本選手、試合写真を見ると分かるけど、白いシューズをはいて試合していたんですよね。今までにはないスタイル。スポーツ選手は縁起をかついで着るものにこだわったりすることがあるので、そのことを聞いてみると、「みんな同じこと聞いてきますね。何も意味はありません」との答。紺とか黒とかのシューズが主流の中、白いシューズって、やっぱり目立つんですよね。

 プレスセンターに戻って記事を書いていると、しばらくしてロシアの記者が来て、「そこはオレ達の席だ」と言ってきて、机に貼り付けている名刺を指さした。そんなもの気がつかなかった。争いを好まない筆者は、ふだんなら「そうなの」と素直に譲ったと思うが、原稿を書いていてチョー忙しかったので、「この部屋はノン・リザーブド・シートだ」と反論。

 「オレ達は朝早くに来て、ここを確保したんだ」と言ってきたので、「だったら朝一番に来て、すべての机にJAPANと貼り付けたら、おまえ達はどこにも座らないのか」と言い返したかったが、英語が出てこない。せめて「何時間もいなくて、そんなこと言う権利があるのか」ぐらい言いたかったが、その言葉も出てこず、「アイ・ドント・ノー・ザッツ・ルール」などと言って無視し、パソコンに向かう。

 こちらの剣幕がすごかったのか、「ま、いいよ。ここが空いているから」と他の机に移っていった。ちょっぴり罪の意識を感じたが、人のよさもケース・バイ・ケス。権利をとことん主張しなければならない時だってあるのだ。

 夕食は10時半から、ビル・メイ記者ら6人で昨日のお昼を食べた店でとった。

 
メーンポールではなかったが、初日から日の丸が揚がった会場。   プレスセンター。2日目にはLANがダウンし、混迷を極めた。

【9月18日(火)】

 参加国・選手数が史上最高となった世界選手権。1階級54選手なんてことは、これまで見たことも聞いたこともない。そのため、この日から試合開始が当初の9時から8時に繰り上がった。前日の午前セッションは3時近くまで続いた。それよりトータルで30選手くらい多いのだから、この判断は正しいだろう。9時開始なら4時を回ってしまう可能性もある。

 しかし、この変更が報道陣にきちんと伝わらない。こうしたことは、当然のことながらプレスセンターにも大きく掲示し、注意をうながすべきだろう。試合会場では何度かアナウンスしていたそうで、それを聞いていたビル・メイ記者がしっかり私たちに教えてくれたが、ロシア語と英語だし、日本人の耳には雑音にしか聞こえていない。

ヘイダル・アリエフ競技場。大統領の名前がつけられている。
アゼルバイジャン応援団。熱心なのはいいが、アルメニアに対しての姿勢はほめられない。
国歌が演奏されず、混乱する66kg級の表彰式。
 そのため、9時だと思って会場に来た記者やカメラマンもちらほら。松本慎吾選手の試合は8時半ころで、見事に撮り損ねてしまった人もいた。こんなところにも、史上最低の運営が表れている。

 あと、ひどいと思ったのはアルメニアに対しての観客のみならず役員の態度。両国はかつて激しい紛争をし、現在は停戦しているが、仲は最悪の状態。そのため、アルメニアの選手が出てくると親のかたきのようなアンチ・アルメニアの応援が飛び交う。

 どの階級だったか忘れたが、アゼルバイジャンとアルメニアの試合なんて、会場全体が戦争状態(アルメニアの人間はいないのだから、一方的ないじめだが…)。アゼルバイジャンがポイントを取ろうものなら、耳が痛くなるほどの大歓声。アルメニアがポイントを取ると、一斉にブーイング。観客だけでなく、役員も。

 もしアゼルバイジャンの選手が負けようものなら、生きて会場を出られないくらいに殺気だっている。いや、勝ったアルメニアの選手も襲撃されそうなムード(この試合はアゼルバイジャンの勝ち)。

 「スポーツに政治を持ち込むな」と考えた筆者だが、逆に考えるなら、このくらいの応援があるから、代表選手に必死さが生まれるのかもしれない。勝っても負けても「よくやった」と労をねぎらう日本方式では、本当に世界で勝てる選手は生まれないのかもしれない、と思うのだった。

 午後の部では、メイ記者の強い抗議が実り、記者のスペースにやっと机ができた。電源もどこかから引っ張ってきてくれ、コンセントもできた。しかし机は最前列のみで、依然、多くの記者にとっては不自由さは変わらない。

 そのセッションで、国際問題にまで発展しそうな不祥事が! 66kg級の表彰式で、ブルガリア選手が優勝したのに、別の国の国歌が流れてしまったのです。表彰台の前で写真撮影していたコーチらが、「違う! 違う!」と本部席にアピール。しばらくして別の音楽が流れましたが、これも違う。

 1分、2分…。いっこうに流れず、ついに観客の大きな拍手で表彰式が終わった。これは、まずいよね。外国人は日本人と違い、国歌や国旗に対して愛情を持つ人が多い。世界チャンピオンになり、そこでの国歌演奏をどんなに心待ちにしていたでしょうか。ブルガリアがどんな行動を起こしたか分からないけど、このチョンボは大きいよ。まあ、本人は拍手を受けて観客に感謝して表彰台を降りたけど。

 ファイナルの最後の階級では、加藤賢三が周囲の予想を裏切って(!)3位決定戦へ。準決勝では、あと10数秒を耐えれば決勝進出だった。そう考えると惜しかった。その3位決定戦の観客席で日の丸を振る一行が。藤田絢子記者が取材してみると、バクーにある日本大使館員の新井聡さん。1年9ヶ月、こちらに住んでいるそうだ。

 新井さんによると、アゼルバイジャンの在留邦人は35人くらい。 皆応援に行きたいけれど、仕事が忙しくてなかなか来れないとのこと。そこで大使館員同士で話し合い、何人かに声をかけ応援に駆けつたという。 小旗をアゼルバイジャン人にも配り、応援を手伝ってもらったそうで、ありがたいことだ。「国歌を聴きたいですか?」の問いに、「そうですね」。この期間中に、必ず聞かせます! と思う筆者でした。

 夕食は、先に仕事を終えた藤田絢子記者と佐野ミキティー・カメラマンが大橋正教・ALSOK綜合警備保障監督にご招待されたので、ビル・メイ記者、矢吹カメラマンと3人で10時40分からホテル近くのいかにも地元の店というところで、シシカバブーとビール2杯。これで総額7マナト(約900円)。安く上げるには、(ちょっと汚いけど)こうした店に限ると思いました。
 
   
記者スペースにやっと机が設置。   日の丸を持って加藤賢三選手を応援する日本大使館の新井さん(左)。   午後10時10分。記者室には日本協会HP軍団のみがが残っていた!

【9月19日(水)】

 3日目。笹本、加藤両選手の活躍により、仕事がハードだったので、早くも全身にけだるさがある。朝、しっかりと起きられない。ホテルでの朝食は取らず、7時すぎのバスで会場へ。メイ記者のFILAプレス対応への猛抗議が実ってプレス対応はかなりよくなってきたが、カメラマンは場所をめぐってまだ小競り合いが起こっている。

 その頂たるものは、事前に申請しておいた某写真エージェンシーがIDを発行してもらおうとホテルにある関係者受付に行ったところ、200ドルを請求されたというもの。そうでなければ発行してもらえそうでなかったため、時間もなかったので150ドルに負けさせて払い、IDをもらって会場に直行したそうだが、これはぼったくり以外、何ものでもない。その150ドルは受付の人間が横取りしたのだろう。

 保高カメラマンらが「そんなバカな話はない」として、正式に抗議させたそうだが、こんなことがまかりとおったら大ごとだ。徹底抗議を期待したい。

机のない記者席で仕事をする各社の記者。
久しぶりに食べた中華料理。4人で92マナト(約1万2000円)と、こちらの感覚ではちょっと高かったが。
一度体育館の外に出ると、厳重なチェックを受けなければ入れない。
 この日から男子フリースタイルがスタート。選手数はやはりこれまで以上だが、フリースタイルは進行が速い。グレコローマンでは、グラウンド攻防に入る前のコイントスから試合再開まで平均で約30秒あり、2ピリオドで試合が終わったとしても、試合時間+1分かかる。100試合で100分の試合時間増。時間がかかるわけだ。

 しかしフリースタイルの軽量2階級がともに初戦敗退。グレコローマンの新庄選手も敗れ、午前セッションで日本3選手が早くも消えた。こうした面でのスピーディーさは必要ない。午後の仕事は楽になるが、気持ちの張りがなくなる。やはり、この1週間は忙しくても日本選手が勝ち上がってくれた方が気持ちの張りが出てくる。

 この日から、ブラジル・リオデジャネイロで行われていた柔道の世界選手権を取材した記者、朝日新聞の柴田記者や毎日新聞の来住記者らが合流した。そのとたんに日本の快進撃がストップ。「悪玉菌を持ってきた」という話で持ち切りになった。やり玉に挙げられた記者は「世界陸上を取材した記者がブラジルに来たから不振だった」と、諸悪の根源は世界陸上だという言い方をしていたが…。。

 敗者復活戦に出る選手もいないので、時間があき、ならば外へ食事に行こうとなって、10分くらい歩いたところにある中華料理店へ。久しぶりに米(炒飯)を食べ、少しは気持ちが持ち直した。

 午後セッションの前には、ビル・メイ記者とともに昨年6月のゴールデン・グランプリ決勝大会の際に写真を送ってくれたチャールズさんと初対面。協会ホームページの英文ページを見て、書いてあるメールアドレス宛にわざわざ送ってくれた人だ。ビル・メイ記者の英訳がすばらしいこともあり、このホームページはけっこう世界ででも見られているようだ。2年前は、イランの記者から「もっと早く更新して」と言われたし。

 チャールズさんには日本から持ってきたお土産を渡す。アゼルバイジャン料理を招待されたので、明日の昼食ということでお受けした。メールというものができ、初対面の人ともこうした関係が築きやすくなった。世界は狭くなったとともに、英会話の重要性を再認識。もっと話せるようになりたい!

 この日の夜は共同通信の小林伸輔記者(ロンドン支局)、森本任記者(東京運動部)と会食。5マナト(約650円)で行けるくらいの距離を、「10マナト(約1300円)でなければダメだ」というタクシーにやむなく乗り、プレスセンターの女性役員に聞いたアゼルバイジャン料理店へ。

 2003年からロンドン支局勤務の小林記者は、私が共同にいた時の1989年、大阪運動部で一緒にプロ野球を担当していた3年下の後輩だ。私が今はなき近鉄担当で、小林記者が阪急から変わったばかりのオリックス担当。当時のオリックスは、売り出す一手段としてプロ野球初の女性広報を採用していて、“オリ姫”と名づけられていた。

 小林記者はこのオリ姫と仲がよく、周囲からけっこう焼きもちを焼かれていた。グリーンスタジアム神戸(現スカイマークスタジアム神戸)での試合のあと、タクシーで神戸の街へ消えることでも有名だった。そのオリ姫も1年でオリックス本社へ戻っていった。「オリ姫と秘密の場所にしけこめなくなって残念だね」と声をかけると、「何意味不明のこと言ってるんですか!」と怒ってきたことが昨日のことのように思い出された。あれから18年が経ったとは思えない。今でも1年に1度くらいはオリ姫と会っているのだろうか。

 ここは年上の自分が払わなければならないケースだが、小林記者が「会社の経費で払えるから大丈夫です」と強く言ってきたので、お言葉に甘えた。石川聰社長(私たちの大阪時代の運動部長。共同通信初の運動部出身の社長です)、ごちゃんです!
 
記者席で応援するカレリン。その左の毎日新聞・来住記者は寝ているように見えるが…。   共同通信ロンドン支局の小林伸輔記者(左)と18年ぶりの再会。北京五輪の共同のエース記者だ。

【9月20日(木)】

 朝、記者席(机つき!)で試合を見ていると、肩をポン!とたたく人物あり。カナダ在住の世界選手権6度優勝、浦野弥生さん(元京樽)で、国際レスリング連盟の殿堂入りの表彰式のため、わざわざバクーまできた。日本からもう1人受賞した金子正明さんもバクー入りしている。もちろん自費だ。やはりそれだけ価値ある賞なのだろう。

 浦野さんとは時々メールしているが、会うのは確か2003年ぐらいに夫とともに帰国したとき以来だ。夫のオダガキさんに「アイ・メット・ユー、フォー・イアーズ・アゴー」と話しかけたら、浦野さんが「日本語でいいわよ」だって。日系カナダ人だけど、日本語もかなりいけることを忘れていました。

FILA殿堂入りのためにカナダからバクー入りした浦野弥生さんと夫のオダガキさん(左)。右はメイ記者。
プレスセンターでハンバーガーと紅茶・コーヒーの提供が始まった。
左からバレンチン・ヨルダノフ(ブルガリア)、高田裕司、アルセン・ファザエフ(ソ連=ウズベキスタン)。この写真のすごさが分かる人は、かなりのレスリング通です。
 その浦野さんから、「私のホームページの写真、みんなからよくないって言われるのよ。変えてよ」と言われました(ここをクリック)。筆者はけっこう気に入っているんだけ、まあ、帰国したら昔の写真を探してみましょう。忘れなかったらだけど。

 午前セッションは2時ころ終了し、昼食を食べにいくほどの時間もない。そこで日本から持参したカップヌードルが初見参。2個しかなかったので、藤田絢子記者と1個ずつ食べる。

 いいところのお嬢様にこんなみすぼらしい昼食を食べさせることに心が痛んだが、記者志望とのことなので、「記者はこんな生活になるんだよ」と教えるには最高の実地体験。「みじめな食事が嫌なら、記者になってはダメ」と教えるには最高の教材だ。

 そのカップラーメンをすすりながら、「スポーツナビ」で日本ではこの大会がどんなふうに報道されているかを見ていたら、日本テレビの長島ディレクターが「何を食べているんですか」と笑いながら入ってきた。その後ろには、放送で特別ゲストを務める山本(現姓佐々木)美憂さん。

 パソコンの画面は、ちょうど「湯元健一が五輪出場資格を取れず、山本KID徳郁にもチャンスが出てきた」というページだった。偶然というか、何というか。「美憂ちゃん、これ、どうなの?」と記事を見せると、「ハハッ…」と笑ったきり。まあ姉弟といえども、他人の心のうちは分からないでしょうな。

 午後は3時から女子48kg級の計量。日本の報道陣の動きが慌しくなった。しかし、通常は認められている計量会場への記者の立ち入りが禁止。入り口で頑強(でもないけど)なガードマンが徹底チェックしている。密着取材の日本テレビのスタッフも困惑顔。

 筆者も入り口で写真を撮ったら、ガードマンから強引に取り上げられてしまった。「撮影禁止」とはどこにも書いてないじゃないか! 怒り心頭だったが、5万円近くもするカメラの奪還が先だ。身振りで「消去すればいいんだろ」と言って、やむなく消去。

 それでもカメラを返そうとはしない。これにはかなり頭にきた。「マイ・カメラ!」とやや声を荒らげる。相手は、まだ残っているとか、また撮ろうとするだろう、みたいなゼスチャア。日本語で「いいから返せ!」などと怒鳴りちらし、奪い取った。

 それにしても計量会場での取材や写真撮影は普通に認められている。不正のないように「計量は公の場でやる」と規則で定められているのだ。ちょっと釈然としない。

 この日は敗者復活戦に出場する選手はいても、ファイナル・セッションに出場する日本選手は残念ながらなし。試合終了が8時ころで、8時30分にはすべての記事をアップして終了。まだホテル行きの選手バスが残っていたので、乗り込んで待っていたが、いつまで経ってもスタートしない。

 近くにいたタクシーと交渉してみると、普通は5マナトのところを7マナトとの答。「5人いるけど、いいか」と聞いたら、OKとのこと。定員オーバー(後部座席に4人が乗り込む)でタクシー帰り。日本チームには警視庁の人間も数人いるけど、外国だから大目に見てね。

 この日は何かのイベントがあるらしく、街には至るところに警察官の姿が。その度に後部座席の一人が身を隠し、何はともあれホテル着。部屋に着いて食事に行こうとすると、、カスピ海の方から花火が何発も見えました。花火大会だったようです。
 
計量会場の入り口で足止めをくらった日本テレビ・スタッフ。   部屋の窓から見えた花火大会。(コンパクトカメラではよく撮れない)

 【9月21日(金)】

 この日まで午前8時開始。男子フリースタイル重量級はやや出場選手数が少なく、女子は男子に比べるとフォールでの決着が多いので、12時すぎに午前セッションを終了。小平選手が出場する敗者復活戦まで約4時間の時間あり。

日本料理店で食べたにぎり寿司。日本の味だった。
日本料理店でばったりあった大使夫人の安部利子さん(中央)。右から2人目は佐藤麻理子さん。
体育館から歩いて数分の場所にあった日本大使館(6階部分)。日の丸が掲げてあったが、普通は見落とす。
 外へ行けるのはこの日が最後だろうと思い、藤田絢子記者、佐野ミキティー・カメラマンと3人で外へ出かける(矢吹カメラマンはプレスセンターで写真の整理)。2日前に行った中国料理店の前に「窓」という日本料理店があった。

 店の前まで行って、「外国で日本料理を食べなくってもね…」「高いだけで、おいしくないんじゃないかなあ」などと優柔不断な会話を1分くらいした後、「ここまで来たんだから、入ろう」とドアを開ける。禁煙席へ行くと、日本女性から「あー、いらっしゃい、ビル・メイさんですね」と声をかけられた。

 「は?」。これまで、メイ記者と間違われたことはない。よくよく聞いてみると、日本大使館で働く人の夫人でバクー在住2年半の佐藤麻理子さん。レスリングの世界選手権がバクーであるにあたり、このホームページのこのページをしっかり見ていて、私たちのことが記憶にあったとのことです。

 藤田絢子記者を見て「空港での写真が載っていましたよね」、佐野ミキティー・カメラマンには「ピンク色の服を着て食事している写真がありましたよね」。もちろん2日目に新井さんが応援に来た記事も読んでいました。そうですか、しっかり読んでいてくれたんですね。うれしい。でも私はメイ記者ではないので、きちんと名刺を渡しました。

 3人いらっしゃった中の1人は、安部忠宏大使の夫人の安部利子さん。もうひと方は、アゼルバイジャンの方ですが、日本語がぺラペラ。3人で午前セッションを応援し、午後セッションの開始を前に食事中だったのこと。

 「午後の部は日の丸が揚がります」と話すと、「期待しています」とのこと。テーブルは別だったのですが、帰る直前に立ち話となり、アゼルバイジャンのいろんな話を聞かせてもらいました。選手団には日本大使館に来てほしかったという意味のことも言われました。

 そういえば、どの国で世界選手権があっても、日本大使館にあいさつに行ったという話はあまりきかない。(1988年にパキスタン・イスラマバードで行われたアジア選手権で、君が代のテープを持っているのを忘れ、大使館に相談に行ったことはありました。その時はそれがあいさつがわりとなり、最終日には晩さんに招待していただきました)。

 もう日本を代表するスポーツになったのだから、事前にその国の大使館に連絡してあいさつに行き、応援をお願いするとかのこともいいような気がしました。異国に住んでいる人は、日本人と会えることがとてもうれしそう。国すべてを合わせて35人しか日本人がいない国なら、よけいそうだと思う。

 この日本料理店は、最近できたそうで、数ヶ月前までは洋品店だったそうです。この日の注文は、にぎり寿司、天ぷら、焼き鳥、やきうどん。味はソ連流日本食ではなく、日本の味そのものでした。向こう側にいた地元の人らしき人が、フォークで巻き寿司を食べていたのには、ちょっぴり笑いましたが。

 その午後のセッション、観客席には安部利子夫人ほかの応援団の姿が。会場の一角であっても、日の丸の旗が振られるのは選手にとってとても心強い応援だろう。その期待にこたえ、伊調千春選手が金メダルを獲得。広い体育館にこの大会初めての君が代が鳴り響きました。

 日本料理店で「絶対に日の丸が上がります」なんて宣言したけど、伊調選手とメルレニの午前の試合の出来を比べると、かなり心配していたんです、本当は。でも、それを乗り越えて勝つんだから、すごいですね。

 その伊調選手の試合後、安部忠宏日本大使が夫人とともに控室を訪れて祝福。多くの世界選手権に行ってきたけど、日本大使が直々に祝福に来たのは初めてだ。「明日は選手のためにおにぎりを持ってきたい」とまで言われ、木名瀬重夫コーチほか日本選手団は大感激。やはり、もっと早くに日本大使館と接触しておくべきでした。
     
日の丸の小旗が振られている場所へ行ったら、アゼルバイジャン人だった。大使館の要請のようだ。   大きな日の丸を持って応援に来てくれた安部利子さんら。
   日の丸が上がった会場。男子の試合が終わって観客の大半が帰ってしまったのは残念。

   
伊調千春選手の優勝後、日本へメールを打ちまくったALSOKの大橋正教監督。   宿敵を破って2連覇を達成した伊調選手に大勢の報道陣が集まった。これだけの報道陣は日本だけ。   妹の優勝に笑顔の兄・寿行さん。

【9月22日(土)】

観客が少なくなり、一般の人もいてごったがえした記者席もごらんの通り。
日本の小旗を背に君が代を聞く吉田沙保里選手。
 大会も6日目。多くの選手、役員、報道陣が胃をやられ、下痢などの症状が出ている。女子の栄和人監督の「下痢菌で金を取る」というオヤジギャグに笑っているうちはいいが、発熱があって真っ青な顔で何度もトイレに駆け込む記者も少なくない。

 かくいう筆者も、この日ごろから便がおかしくなった。正直なところ、体育館の大のトイレにはいきたくなかった。いわゆる和式トイレ。生まれてから大人になるまで和式で育った筆者だが、最近はもっぱら洋式で、和式トイレには抵抗がある。体育館のトイレは、特別に汚いということはないが、きれいとまでも言えない。

 しかし、背は腹に変えられず敢行。日本の和式トイレの感覚で、ドアを開けてそのままの向きで用を足す。後で分かったことだが、こちらのトイレはドアを入り、180度回転して座るのだそうだ。日本の和式便器のようにいわゆる“金かくし”でもあればそう判断しただろうが、そんなものはない。

 ちょっと汚い話で恐縮だが、水が流れる穴が壁側にあるので、日本式にして用を足すと、きちんと流れない時が大変だ。180度回転して座れば、モノは穴にきちんと落ちるというわけ。外国へ行くときは、その国のトイレ文化(?)も勉強して行かなければならないと痛感した次第。せっかくだから写真を取って説明しようかと思ったが、あまきれいな写真ではないから割愛します。ご了承願います。

 さて会場を見渡してみると、観客がかなり少なくなっていた。イスラム教徒の多いアゼルバイジャンでは、女子の試合はまだ受け入れられていないのだろう。昨日も、男子フリースタイルの96、120kg級の試合が終わると、女子48kg級の試合を見ることもなく、多くの観客が帰っていった。筆者なら、せっかく来たのだから、最後まで見ていくよ。貧乏性だから、来た以上は最後まで見なければ損という気持ちからだけど。

ついに出た! 記者の惨めな食事。日本から持参のインスタントおにぎりです。
ロシアの総合スポーツ誌の表紙になったかわいいナタリア・ゴルツ。
 でも、在留邦人の方は前日に続いて応援に来てくれ、安部大使夫人や佐藤麻理子さんからは、前日お話されていたように選手におにぎりの差し入れまでしていただき、チームは感謝感激。優勝した吉田沙保里選手が「観客席の日の丸を見たら勇気づけられました。勝ったあと、(両手を上げて)あいさつしなければ、という気持ちになりました」と話していました。

 これだけのことをしていただいた大使館、在留邦人は世界選手権初のことだろう。日本レスリング協会の歴史に、永久に残しますからね。

 話は前後しましたが、吉田沙保里選手と坂本日登美選手の2階級金メダル獲得により、記者の仕事もいよいよフル回転状況へ。51kg級決勝が日本時間の夜10時半ころで、朝刊新聞は締め切り前の一番慌しい時間。時間との闘いで、試合結果が分かって送信、コメントが一言でも取れたら送信、優勝記事を書いては送信…で、朝刊の最終版(都内に配る版)の締め切りでもある9時から10時ころまで、どの記者も血走ってしまう。

 Aという新聞の紙面に吉田のコメントがきちんと載っていて、Bという新聞の紙面には一言も載っていない、となったら、B新聞の記者はデスクから「何やってんだ!」と大目玉をくらいかねない。いい成績だった時には、新聞業界もすごい闘いが演じられているのです。

 本ホームページはライバルといえる社はないけれど、優勝者が出た時は多くの記事・写真を限られた時間でアップしなくてはならなくなる。新聞記者と同じように石炭をたかないと(相撲用語=急ぐ)その日のうちに必要な記事がすべてアップできなくなるので、必死の数時間となる。食事なんてとっている時間はない。この日は日本から持ってきたお湯を入れてつくるおにぎりが役にたった。いよいよ記者の惨めな食生活です。

 最低限度の記事・写真のアップを終え、残りはホテルへ行って続けようと思って、10時半ころに体育館の外へ出ようとすると、木名瀬重夫コーチや吉田沙保里選手とばったり。日本テレビの生中継に出演していたのだという。木名瀬コーチが「まだ仕事していたんですか?」とびっくり。「いえ、これからホテルに帰って続きです」と言うと、「そうだったんですか。ご苦労さまです。ありがとうございます」と感謝の表情。

 吉田選手に「やったねー!」と声をかけると、「ありがとうございます。樋口さんに、いつもいい記事を書いていただいているからです」との答。レスリングも一流だけど、社交辞令も一流なんだね。「心にもないこと言わなくていいよ」と返すと、「ホントです。いつも感謝しています」だって。ありがとうね。お世辞であってもうれしいよ。その一言が、どんなに疲れをいやしてくれることか。どんなに勝ち続けて有名になっても、そう言ってくれる気持ちだけは忘れないでね。

 そんな吉田選手の思いやりに感激してホテルへ戻ると、吉田選手のライバルの一人(にならないか…)で、美人レスラーとして名高いロシアのナタリア・ゴルツがいた。3位に終わり、表彰式の後はボロボロ涙を流していたけど、数時間経っていて、気持ちはかなり落ちついた様子。

 ビル・メイ記者から、ゴルツが表紙に使われているロシアの総合スポーツ雑誌(日本でいうなら「Number」みたいな雑誌)をもらっていたので、ミーハー気分でサインを求めた。嫌な顔もせず、筆者のIDカードを見て名前(日本でいう「〜さんへ」)も入れてくれた。レスリング選手って、平均して優しい人種なんですね。でも、吉田選手とゴルツとが闘う時は、100パーセント吉田選手を応援しますけどね。

【9月23日(日)】

 大会もいよいよ最終日。朝、会場へ行くバスで浅草応援団とばったり。いよいよだと決戦ムードが高まる。その数時間後、浜口京子選手が不運な形で敗れてしまった。すぐにミックスゾーンとなっている通路へ。母・初枝さんの「判定は審判が決めるんだ。何も言うなよ!」という威勢のいい言葉が響いた。

浅草軍団の会場入り。右端は浜口選手の弟の剛史さん。
3面マットで同時に日本選手が試合(写真は2面)。記者もカメラマンも困りました。
 問題のシーン、マットサイドにいた日本チーム役員などには、ジャッジ席の役員やカメラマンの背中に隠れて、よく見えなかったようだが、記者席からは何の障害物もなくはっきり見えた。ズラテバの背中はしっかりとマットに向いており、どう考えても浜口選手の2点だと思った。

 ひどい判定であっても、両者2点だろう、と。ところがズラテバに3点が入っただけ。これだけ微妙な判定なら、絶対にビデオチェックがあると思っていたら、チャーマンもコントローラーも全く動かず。こんなひどい判定はない。ビデオを見てそうなったのなら、まだ分からないでもないが、見もしないということが納得できない。

 あるコーチは「ここは共産圏なんだよ」と吐き捨てた。チャーマンがロシア人で、レフェリーがマケドニア、ジャッジがキプロス。そしてコントローラーがモンゴル。4人のうち3人が旧社会主義国の人間。ロシアとブルガリアなんて兄弟みたいなものだし、モンゴルは最近頻繁にブルガリアへ遠征に行っている。

 言いたくはないが、日本つぶしの暗黙の了解があったと思えてしまう。すぐに日本協会の福田富昭会長が動き、国際レスリング連盟の会長や審判委員長もミスジャッジを認め、ビデオをチェックすることをしなかった不手際を謝罪した。「あの審判は降格されるだろう」と口にした審判もいたそうだ。しかしルールで勝敗が変わることはなく、むなしさだけが残った。

 伊調馨選手は快勝続きで勝ち上がって決勝進出を決めたものの、午後のセッションまでの間のプレスセンターは、重苦しい雰囲気というか、虚脱感が漂う。

 そして午後セッション。さらに大きな衝撃が。伊調馨選手が安定した闘いで金メダルを決めたのが、せめてもの救いですが、どの記者もなかなか現実を受け入れられないような感じでした。しかし、浜口選手は気持ちが落ちついたあと、きちんと記者の前に出てきて、話をしてくれました。

 前日の正田絢子選手の敗戦のあとにも、栄和人監督が正田選手の気持ちが平静になったのを確認し、記者の前に出してくれました。ある記者から「レスリングってすごいですね。きちんと報道陣の前に連れてきてくれるんですね」と驚いていましたが、高田専務理事によると、「負けても報道陣にきちんと対応できる精神力をつけること」も、八田イズムの精神なんだそうです。

気を取り直し、応援に来てくれた母・初枝さんに抱きついてフォールした浜口京子選手。
プレスセンターで最後まで仕事をしていた東京スポーツ・中村亜希子記者。
 誤審によって歯車が狂った浜口選手の五輪出場資格逃しは、多くの人が頭にきて怒り心頭だと思いますが、筆者は時間がたって冷静になってみると、ふと、ある出来事が頭をよぎりました。

 アテネ五輪で笹本睦選手が世紀の大誤審を受けましたが、その約1ヶ月半くらいあと、駒沢体育館で日体大の藤本英男部長と話をしていた時、笹本選手があいさつにきました。そこで「あの誤審はないよな。マリオ(FILA審判員長)の野郎が…」などと話したら、笹本選手が「どんなに言っても結果は変わらないので、何も言いません。前半にポイントを取られたから負けたんです。ポイントをリードしていれば誤審があっても負けませんでした」と言ってきたのです。

 一番悔しい本人が、こう口にし、気持ちを切り替えて練習に打ち込んでいたのです。この姿勢があったからこそ、今回の栄光につながったのだと思います。もし誤審にこだわり、「オレの勝ちだ。あれさえなければ、金メダルだった…」などと思っていたら、今回の銀メダルはなかったでしょう。

 浜口選手、本当に悔しくつらいと思います。しかし、誤審にこだわっていては前進できないと思います。笹本選手を見習い、「第1ピリオドを取られたから負けた。第1ピリオドを取っていれば、誤審があっても負けなかった」という気持ちになることが大事なのではないでしょうか。3年前の笹本選手の言葉を思い出し、強くそう思った次第です。

 最終日のため、午後セッションは普通より1時間早くスターでした。72kg級のファイナルに日本選手がいなかったこともあって、ほとんどの記者が予定より早く仕事を終了し、9時半から予定されている恒例の協会役員と報道陣の打ち上げに時間どおりに参加できそう。その数は30人近く。ほんの5、6年前では考えられない数の報道陣がバクー入りしていました。

 1人、また1人とプレスセンターを去っていき、“閉店”を通告された9時15分には数人のみ。「あと15分」「あと10分」と伸ばしてもらい、9時40分には私と東京スポーツの中村亜希子記者の“いつもの2人”と、時事通信の荒木記者の3人だけが残り、打ち上げへ向かいました。

 一時は蹴っ飛ばしたくなるほど頭にきた大会運営ですが、ビル・メイ記者の尽力もあって後半は比較的スムーズに。そうなると、最後に会場を後にするときは、名残惜しくなってしまいます。どの大会もそうですけどね。

 打ち上げには30分遅れの10時に合流。各記者のあいさつでは、産経新聞・森田記者のプロ顔負けの芸人芸が大爆笑をさそったり、「チーム最年長の…」とあいさつした今泉雄策・日本協会副会長に対して、保岡陸朗・日本協会監事(支援役員)が「私が77歳で最年長です」とクレームをつけるなど、最終日の悔しさを忘れるように騒ぎました。

 でも私は終了後、12時近くにホテルへ戻って執筆を再開。本当は打ち上げの途中で抜けたかったのですが、そんなムードではなく断念。そのため仕事終了は午前2時。これもホームページ記者の宿命ですから、いいんですけど、疲れたー。ロビーまで記事の送信に行くと(ワイヤレスLANはロビーでした使えないのです)、カナダへ帰る浦野弥生さんにばったり。そこで、ある報告をしておきました。それは明日の項目で書きましょう。
 
協会主催の役員・報道陣の恒例の打ち上げ。総勢60人で実施。   チームを支援してくれたアシックスの方々。

 【9月24日(月)】

 午前2時、最終日の記事を書き上げ、記事の送信でロビーへ行くと、カナダへ帰る浦野弥生さんとばったり。前日朝、「宮崎先輩が結婚したってうわさ聞きましたけど、本当ですか?」と聞かれていた。宮崎先輩とは浦野さんの日体大柔道部時代の先輩で、レスリングでは後輩にあたる1996年62kg級世界チャンピオンの宮崎未樹子さんのこと。いま栃木で高校の先生をやっています。

 で、すぐにメールを打って聞いたところ、事実でした。幼なじみというわけではないそうですが、故郷の青森の同期生だそうです。そのことを浦野さんに報告すると、「そうですか。おめでとうとメールします」とのこと。京樽クラブで練習しているとき、私も何度も取材し食事もした選手です。

 今年度から協会広報委員にも名を連ねてもらっています。すぐに教えてくれればいいのに。まあ、とにかくおめでとう。宮崎さんに「おめでとう」メールを送りたい人は、ホームページ・アドレスまで送ってください。必ず届けます。

モスクワ空港で買った三角サンド。なんと180ルーブル(約850円)。高い!
ロシア料理を写真におさめる藤田絢子記者。
 2時から約30分横になり、2時半には起きて荷物の整理。3時10分にはロビーへ。空港までは藤田絢子記者、矢吹建夫カメラマン、保高幸子カメラマンとともにタクシーを使っていく予定でしたが、ホテル前にカザフスタンやスウェーデンなどのチームを送るバスがあり。私たちはチーム・メンバーではないので含まれていないのですが、「パート・オブ・ジャパン・チーム」と交渉すると、「席はあいているからいいよ」との答。タクシー代をもうけた!

 バクー空港でいざ飛行機に乗ろうとすると、同じ便で日本テレビのゲスト解説で来ていた山本美憂さんが、「妹(聖子=世界V4)の陣痛が始まって、間もなくみたいです。モスクワに着くころには生まれていそう」とのこと。モスクワにちなんで、「モス子というのはどう?」なーんちゃって。でも、美憂さんが生むんじゃないの。だいいち、男の子だそうです(その後、無事出産されたそうです)。

 そのモスクワでは11時間の待ち時間があるので、空港の外へ出て赤の広場などを観光。私は5月のアジア選手権(キルギス)の帰りにも行ってきたけど(約7年ぶり)、その時は何かの行事があって赤の広場は立ち入り禁止。今回、久しぶりに赤の広場に脚を踏み入れた。10年ぶりの矢吹建夫カメラマンは懐かしそう。初めての藤田絢子記者は写真を取りまくるなど、けっこうはしゃいでいた。

 佐野ミキティー・カメラマンは同じアエロフロートだけど、夕刻にモスクワに到着する便なので、バクーにおいてきぼり。「アホだー。早い便にすればよかったのに」と思っていたら、午前中、アゼルバイジャン大使館の佐藤麻理子夫人にバクーの街の観光につれていってもらったそうだ。大使館の方には最後の最後まお世話になりました。

 25日朝10時すぎに成田空港に到着。佐野ミキティー・カメラマンや浅草応援団などモスクワ乗り換え時間が1時間の人たちのスーツケースが届かないアクシデントがあったが(モスクワ空港での積み替え、間に合わず!)、一部の記者の下痢以外、大きなアクシデントもなく終了(私の胃は持ち直しました)。

 第1ターミナルへまわって英国航空で帰国する日本チームを迎え、来年3月のアジア選手権(韓国)での五輪出場権獲得に早くも思いを馳せながら、帰路につきました。

 本ホームページは、9月22日には三連休の初日であるにもかかわらず、1万4000件を超えるアクセスがあるなど、通常より多くの方にアクセスしていただきました。ご愛読、ありがとうございました。(完)
 
赤の広場でホームページ軍団で最後の記念撮影。   女子チームの帰国。報道陣とサポーター、一般客でごった返した。


《前ページへ戻る》