【特集】21歳の雑草選手が快挙! 原動力は学生へのライバル意識…グレコ66kg級・清水博之2007年2月16日】







 ドーハ・アジア大会銅メダリストの飯室雅規(自衛隊)が7連覇を達成したのだから、全日本選手権の男子グレコローマン66kg級は「順当な結果だった」と言うべきなのかもしれない。しかし、決勝戦で飯室が対峙(たいじ)した相手が清水博之(自衛隊=左写真)だったことは、誰も予想していなかった「番狂わせ」だ。滋賀・日野高時代は全国王者にはるか遠かった21歳。自衛隊の宮原厚次監督が「必死で練習すれば勝てる。勝ちたいなら、必死で頑張れ」と、他の選手の尻をたたく材料にもなった無名選手の躍進は、レスリング界に大きな一石を投じた。

 高校時代の清水は、2年生(2002年)のインターハイで1回戦負け、3年生(2003年)の全国高校生グレコローマン選手権でベスト8。出場した全国大会はこの2大会だけ。「あとはすべて県大会で負けた」そうだ。

 当然、どの大学からも声はかからず、自衛隊のスカウトにもかからなかった。しかし、最後の大会となった全国高校生グレコローマン選手権での負けが悔しく、日野高校の南敏文監督に「卒業してもレスリングを続けたい」と直訴。レスリングを続ける手段として、一般隊員として自衛隊に入隊し、レスリング班に入れてもらう道を選んだ。

 自衛隊の規定で最初の半年間は一般教育が行われ、マットに上がることはできなかった。その後、集合教育の一環としてレスリング班の練習に加わることができ、1年後、晴れて正式な部員となった。何の実績もない選手が1年間の遠回りをしてスタートラインへ。大きなハンディを持っての再スタートだった。

 スポーツの世界は早咲きがすべてではない。レスリングのような激しいスポーツの場合、若くしてトップに立って厳しい闘いを数多く経験すると、その後、けがに悩まされ、伸び悩むケースも少なくない。遅咲き選手の方に将来の期待が持てる一面もある。しかし、全日本選手権で2位になった21歳選手で、高校時代にここまで実績のない選手も珍しいだろう。

■永田克彦以上の遅咲き選手

 実績のない選手で大成した例としては、シドニー五輪で銀メダルを取った永田克彦がいる。永田も高校時代は県大会すら勝ち抜けない選手だった。21歳の時は学生二冠王に輝いたものの、全日本選手権は4位だった。無名の存在から21歳にして全日本2位に駆け上がった清水の急成長ぶりは、日本レスリング界初の快挙かもしれない
(右写真=全日本選手権決勝で飯室と闘う清水)

 清水は2位という結果を「自分でも驚いています」と振り返り、初戦で学生王者の藤山慎平(日体大)を破ったことで「勢いに乗った。あの勝利ですべてが自分にいいように回った」と分析する。この勢いは、2回戦で前年度の全日本選手権と前年の全日本選抜選手権で連敗していた先輩の江藤紀友(自衛隊)を破り、準決勝では2ヶ月前の全国社会人オープン選手権で負けていたやはり先輩の浮田幸博(自衛隊)をも破る快挙へとつながる。

 自信が自信を生んだような好循環。それなら、勢いがつく前の藤山戦の勝因は? この問いには、少し考えたあと、「デフェンスがしっかりできたからだと思います」と答えた。グラウンドの攻防の弱さを感じており、練習でグラウンドの攻防を徹底的にやってきた成果だと言う。

 そして「学生選手には負けたくありませんでした」とも。自衛隊体育学校レスリング班の選手は“レスリングのプロ”。「プロのプライドとして、学生には負けたくない」ときっぱり。まして清水の場合、遠回りし苦労した末に入った体育学校レスリング班だ。スカウトという形で、ある意味で“三顧の礼”を尽くされて大学へ進んだ選手には負けたくない、という気持ちがあって当然だろう。

 聞かれもしないのに、約4ヶ月前の兵庫国体の準決勝で村瀬洸介(拓大)に負けたことを持ち出し、「学生に負けたことが悔しくて…」と唇を噛みしめた。「全体の練習が終わってからも、よく練習している」(宮原厚次監督)という練習熱心さの最も大きな源は、学生選手へのライバル意識なのだろう。

■試合前から負けていた飯室雅規との決勝戦

 もともと負けず嫌いだったそうで、その気持ちから高校を卒業してからもレスリングを続ける気持ちになった。そんな負けじ魂が、全日本選手権の決勝では完全にしぼんでしまったという。決勝の舞台に上がっただけで独特のムードに飲まれてしまい、まして相手がアジア3位の飯室とあって、「まだ勝てない、と思ってしまった。気持ちで負けてしまっていた」と反省する。

 それでも全日本2位になったことで、21日からの冬の遠征に抜てきされ、ギリシャ〜ハンガリーと渡って試合出場と合宿をこなしてくる。外国選手との手合わせは初めて。「不安です」と言う清水に対し、手ぐすねをひいて遠征を待っているのが監督として同行する自衛隊の元木康年コーチ。「せっかくの機会だから、積極的にやらせます。練習ではマットの隅にはいさせない。どんな時でもマットの中央にいさせて、強いヤツと闘わせます」と楽しそう
(左写真=清水を指導する元木康年コーチ)

 元木コーチは自衛隊入隊後にレスリングを始め、実績が何もないところからスタートしてシドニー五輪代表になった努力家。自らの若い頃を思い出すのか、15日から行われた全日本合宿でも熱心な指導を展開。「オレと同じ? オレは21歳の時に全日本2位にはなっていない。(全日本選手権に)出られもしなかったよ。オレより上」と笑う。

■「全日本2位の実力はない」…厳しく言い放った伊藤広道コーチ

 もっとも、21歳の新星の出現を喜んでいるコーチばかりではない。男子グレコローマンの全日本ヘッド・コーチでもある自衛隊の伊藤広道コーチは「まだ全日本2位の実力はない。練習では藤村義(準決勝で飯室に負けて3位)には全く勝てない。それが実力だ。全日本選手権では、江藤も浮田も『いつもでポイントを取れる』という油断があり、すべてが清水によく回っただけ」とピシャリ。

 欧州遠征で今の自分の実力を知り、「0に戻って頑張る、という気持ちになってほしい。全日本2位で浮かれていたら、ここで終わりだ」と、期待の裏返しで厳しい言葉が続く
(右写真=伊藤広道コーチも熱烈指導)

 時をほぼ同じくして、同級大学王者の板倉史也(青山学院大)が「デーブ・シュルツ国際大会」(米国)で現役世界王者を破るというニュースが入ってきた。清水、そして板倉の快挙に誰もが刺激され、一段と練習に熱が入っていることだろう。

 全日本2位になったことで、他選手のマークも厳しくなる。今回の結果に満足していては、あっという間にその座を追われてしまう。必死の思いで勝ち取った全日本2位の座を守り、全日本王者へつなげることができるか。清水の本当の試練は、いま始まったばかりだ。


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