風間杯全国高校選抜大会の第50回記念祝賀会が盛大に【2007年3月28日】



 風間杯全国高校選抜大会の第50回記念祝賀会が3月27日、新潟市のホテル新潟で新潟県のレスリング関係者のほか、日本協会と全国高体連の関係者ら約200人が集まって盛大に行われた。

 日本協会の福田富昭会長は「新潟県のレスリング関係者の努力に敬意を表したい」とあいさつ。柔道出身の全国高体連レスリング専門部の糸永隆章部長は「私は柔道をはじめ、いろんな競技に接してきたが、50年間、同じ場所でやっている選抜大会はそう多くない」と話し、時代の流れによって会場や主催が移っていったいくつかの競技を紹介。「レスリングほどの粘り強さを持っている競技はあまりない。永遠に続いてほしい」と、新潟市での永久開催を望んだ。

 新潟県の泉田裕彦知事のメッセージが紹介されたあと、大会の功労者に感謝状が贈呈された。日本協会の福田会長から飯塚實・前新潟県協会会長、渡辺和義・前新潟県協会理事長(所用で欠席につき、和田喜久雄現理事長が代理)、加藤美明・前新潟県協会理事に、新潟県協会の池田進会長から長年大会の救護を担当してきた元北越高の柄沢ハツエ養護教員へ、全国高体連専門部の糸永部長から、この3月に専門部を勇退される小橋主典・専門部前強化委員長、上野三郎・同副部長、服部勤・同副理事長へ、それぞれ贈られた。


 全国高校選抜大会は、1953(昭和28)年7月、新潟県のレスリング協会が、当時は一般に知られていなかったレスリングの普及と若い選手の発掘、県内の高校選手のレベルアップなどを目的とし、県内4校、県外4校の計8校の参加で新潟市・寄居中で第1回大会を開催したことに始まる。日本アマチュアレスリング協会(現日本レスリング協会)、新潟県教育委員会、新潟市教育委員会、新潟県高等学校体育連盟、新潟日報社などが協力した。

 翌年の第2回大会からは、全国高等学校体育連盟も主催に加わり、規模を大きくしながら、1964年の第12回大会まで毎年5月開催が定着した。

 しかし、この年6月の新潟地震の影響と、その数年前から全国高体連主催の全国規模の大会は年度1回に限るとの指導がなされたこともあり、1965年から中断を余儀なくされた。

 しかし、新潟県協会は全国高体連の主催承認が得られないながらも、日本アマチュアレスリング協会、新潟県、新潟市、新潟県教育委員会、新潟市教育委員会、新潟日報社などの協力のもと、1970年に大会を復活。参加16校による第13回大会開催にこぎつけた。

 1972年からはBSN新潟放送も支援し、参加校も32校へ。北海道から九州・沖縄の各ブロック代表が集まる大会となり、インターハイと並ぶ高校選手の一大イベントに成長。1984年の第28回大会から全国高体連の主催大会として承認され、現在に至っている。

 現在は、団体戦・個人戦とも、北海道1、東北6、関東8、東海4、北信越4、近畿6、中国5、四国3、九州8、新潟2の計47チームおよび各階級47選手が参加する大会となっている。




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