【特集】練習方法と指導方針を大変換! “強い霞ヶ浦”が復活【2007年3月29日】







 66kg級で霞ヶ浦が3勝1敗とし、“王手”をかけた全国高校選抜大会・団体戦の決勝戦。だが、秋田商が昨年王者の意地を見せて反撃。3勝3敗となって、勝敗の行方は120kg級での結果次第となった(右写真=チームスコア3−3に追いつかれ、120kg級の森内にアドバイスする大沢監督)

 森内和也(霞ヶ浦)と菊地匠(秋田商)の1点をめぐる緊迫した攻防。4分間を闘って森内の勝利が決まると、大沢友博監督はコーチのみならず、選手達とも抱き合い、喜びを表した。

 試合後の礼が終わると、選手からの胴上げ。大会を盛り上げるために行われた場内マイクを使っての勝利者インタビューでは、1を聞けば10が帰ってくる饒舌(じょうぜつ)ぶりで、周囲から「あんなにしゃべった大沢監督、見たことがないよ」という声が出るほど。それは、喜びの表れか、それともこぼれ落ちそうになる涙を抑えるためか。

 「うれしい」「最高です」「選手に感動した。感謝したい」「応援してくださった方、ありがとうございました」…。大沢監督の気持ちがすべてこめられていた王座奪還の言葉の数々。昨年春夏を制し、そのメンバーも残っている秋田商相手の勝利は、喜びもひとしおだという
(左写真=優勝を決め、全身で喜びを表した大沢監督)

 2003年から続けた春夏(全国高校選抜大会・インターハイ)連覇が昨年途切れ、それだけではなく、24年ぶりに両大会の表彰台を逃した。個人戦でも全国大会で優勝選手を輩出することができないという(JOC杯カデット選手権は除く)屈辱のシーズンになってしまった。

 “常勝”霞ヶ浦の名をほしいままにしてきた大沢監督にも、この大会の王者転落は過去2度あった。最初が1994年、2度目が2001年。2度目は3年間のトンネルに入ったが(03年に2年ぶりに王座返り咲き)、不死鳥のようによみがえり、その後、春夏連覇のできるチームを育てた。

 つまずいても、より強くなって立ち上がった経験を2度持つ監督だけに、今度もより強大なチームをつくってよみがえってくることは十分に予想された。だが、それは周囲が思うだけであって、過去の例どおりにいけば苦労はない。

 「年もとってきたし…」。若い時の反発力が残っているかどうかも分からない。ここで勝てないと、そのままズルズルといってしまうことが脳裏をよぎってしまうだろう。「今年は絶対に優勝しなければならないと思っていた。優勝の2文字しか頭の中になかった」。傷口の浅いうちに元に戻しておかなければならない、と思う気持ちを持ち続けた復活ロードだった。

 不振の打開策は練習方法の一新だった。3分2ピリオドから2分3ピリオドに変わって1年以上がたっていたが、昨年の段階では、まだ高校レスリング界を制した“スタミナ重視の粘りのレスリング”を踏襲していたという。しかし、これでは勝てないことがはっきりした。「言い方は悪いが、2分間で1点を取って逃げ切る」が新しいやり方。他に「場外へ押し出しても1点」「グラウンドはほとんどない」ということを徹底し、新ルールに合わせた練習を積み重ねたという。

 その成果は結果に如実に表れていた。決勝だけでも、1−0で勝ったピリオドが計6ピリオド。貴重な1点を固い防御で守り、あるいは0−0でこらえ、終盤に決勝の1点を取って勝ったピリオドが目立ち、勝利につながった
(右写真=第1ピリオドを落としながら、その後を1−0、1−0で勝った50kg級の水越智也)

 「見ている人にとっては、面白くないかもしれない。でも、1ポイント勝負で勝つ勝ち方を身につけないと、世界へ出たときに勝てない。世界で勝つ選手に育てるためにも、2分間で1点を取る瞬発力が必要なんです」と言う。

 選手への接し方も変わったという。「選手の中に入って、一丸となってやってきました」。近寄りがたい監督というイメージを捨て、選手と一緒に苦労してきた。厳しくしごいて強くする時代ではない。時代の流れと選手の気質に合わせて指導を変えるという柔軟さも、長い期間にわたって最強チームを続ける条件であることは言うまでもない
(左写真=生天目主将がフォール勝ちし、生天目に合わせてガッツポーズをとった大沢監督)

 次の目標はインターハイでの王座奪還だ。「どこも強い。紙一重のチームばかりなので、もっと精進します。競い合って全体のレベルを上げていけばいい」と控えめだったが、「60kg級の福山は試合前にかぜで1週間休んだ(ので調子が出なかった)。夏はこんなものではないよ」といった“本心”も。

 体の動く限り監督を務めることも宣言しており、高校レスリング界にさん然と輝く霞ヶ浦の火は、まだまだ力強く燃え続けそう。それを確かなものにするためにも、インターハイでの王座奪還を目指す。


★霞ヶ浦の最近21年間の成績

選抜大会 インターハイ 優  勝  校
1987年 2 位 優 勝 選抜は埼玉・埼玉栄
1988年 優 勝 優 勝   
1989年 優 勝 (不出場) インターハイは鹿児島・鹿児島商工
1990年 優 勝 優 勝   
1991年 優 勝 優 勝   
1992年 優 勝 優 勝   
1993年 優 勝 優 勝   
1994年 3 位 優 勝 選抜は北海道・岩見沢農
1995年 優 勝 優 勝   
1996年 優 勝 優 勝   
1997年 優 勝 優 勝   
1998年 優 勝 優 勝   
1999年 優 勝 優 勝   
2000年 優 勝 優 勝   
2001年 ベスト16 3 位 選抜・インターハイとも青森・八戸工大一
2002年 ベスト8 優 勝 選抜は静岡・沼津学園
2003年 優 勝 優 勝   
2004年 優 勝 優 勝     
2005年 優 勝 優 勝    
2006年 ベスト16 ベスト16 選抜・インターハイとも秋田・秋田商   
2007年 優 勝    





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