【特集】全力で“闘った”4年間の最後にご褒美…高体連専門部・斎藤修審判委員長【2007年4月1日】







 理事長が代わり、役員が大幅に変わった感のある全国高体連レスリング専門部で、斎藤修・審判委員長(千葉・佐倉南高教)が2期4年間の役職を終え、4月から事務局長として高体連の発展を支えることになった。

 そんな斎藤審判委員長の顔に、全国高校選抜大会最終日の個人戦の最後の試合が終わったあと、「最後に一番の思い出ができたよ」と最高の笑みが浮かんだ。120kg級の決勝戦で、教え子の増田拓也選手が谷田昇大選手(奈良・大和広陵)に逆転勝ちし、優勝を成し遂げたからだ
(右写真=増田選手と斎藤委員長)

 「出る以上は優勝を狙わせました。でも、現実のものになるとは思わなかったですね」と苦笑い。これまで国体の優勝選手を育てたことはあるそうだが、春(全国高校選抜)夏(インターハイ)では29年間の監督生活で初の王者誕生になるという。

 増田選手は、中学時代はバレーボールの選手。100kgを越える選手ながら「軽量級の選手と同じ練習をやらせた。タックルも、綱登りも特別扱いはしなかった」という。

 「審判委員長を必死でやってきたご褒美かな」と笑うが、就任当初から「2期4年間」と期限を決め、数々の改革を実行してきたという自負がある。かなり以前は“高体連ルール”というルールが存在し、国際ルールが変わっても、高校レスリングは独自のルールで試合を実施していた。

 1993年に当時の中田保彦審判委員長らの努力で独自ルールが廃止され、国際ルールに合わせた試合が行われるようになったが、大会の要項をつくった時点でのルールが採用されたので、半年、あるいは1年というタイムラグが生じるケースもあった。斎藤審判長は「ルールはひとつ。そうでなければ世界で勝てる選手も育たない」という考えから、国際ルールが変わったらすぐに取り入れるよう規約を変えた。

 「敗者復活戦がない以上、初戦で強豪同士が当たるのはおかしい」として、大会におけるシード制も詳細に決めた。強豪同士が早いラウンドでぶつからず、同じ地区の第1シードと第2シードは決勝まで対戦しないようなシステム。今大会でも団体戦のベスト16には各地区のシード校がずらり。個人戦も平均してシード選手が上位へ進んだ。

 多くの改革を後輩に託すことになるが、「これだけは続けてほしい」と思うのが、一人の人間が委員長の座に長々と居座ることなく若手にどんどんバトンタッチしてほしいこと。自ら「2期4年」と決め、未練を持たずに委員長の座を譲ったのは新陳代謝を促すためで、「新しい審判委員会には30代の審判も入りました。若い力で高校レスリング界を盛り上げてほしい」とエールを送った
(左写真=優勝した増田選手を迎えた斎藤委員長)

 今後は事務局長として、また就任する日本協会の審判委員長として活動する。数々の改革を期待したい。


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