【特集】30歳のオジサンでもレスリングは続けます…元世界選手権代表・村田知也【2007年7月13日】







 天皇杯全日本選手権2度のタイトル獲得歴を持ち、世界選手権に2度出場(2001・02年)という輝かしい経歴を持つグレコローマン55kg級の村田知也(三重・久居高校教=左写真)が、7月7〜8日に行われた全日本社会人選手権に出場し、1階級上のグレコローマン60kg級で3位の結果を残した。

 全国津々浦々から社会人レスラーが一堂に集結するこの大会。例年、優勝者には海外遠征、3位以内入賞者にはその年度の天皇杯全日本選手権の出場権が与えられる。しかし、村田は6月の明治乳業杯全日本選抜選手権で3位に入っており、天皇杯への出場資格は取得済み。では、なぜ三重からはるばる千葉まで遠征して試合に出場したのか――。

■「レスリングは趣味ですから。試合をやってみたくて」

 村田は、ふだんは高校の生徒と練習している。指導が中心となることは言うまでもなく、自らのための練習とはならない。「ふだん、強い選手とできない」というのが悩みの村田は、1試合でも多く試合をしたくて、なんと学生のリーグ戦以来というフリースタイルにもエントリーした
(右写真=フリースタイルで闘う村田)

 最近はフリースタイルとグレコローマンのルールに差があることから、学生でも両スタイルに出場する選手は減ってきた。それでも、「グレコもフリーも通じるところがある。レスリングには変わらないので」と、2日間連続でマットに上がった。

 減量がないように階級を60kg級に上げての挑戦で、グレコローマンでは3位、フリースタイルは1回戦敗退の結果だった。 「優勝できなかったのは残念。でも自分には勝てました。一流の選手とも対戦できましたし」と最低目標は達成したようだ。そんな元世界代表の姿に、「レスリングが本当に好きなんだな」と役員の方々も村田の熱意にいい意味で“あきれ顔”だ。

■シドニー五輪、アテネ五輪をあと一歩で逃した過去

 もともと48kg級の選手。1996年にはグレコローマンで大会史上3人目の1年生学生王者となり、五輪を本格的に狙った。だが、シドニー五輪に向けて最軽量の階級が54kg級に引き上げられた不運もあって、シドニー五輪出場の夢はかなわなかった。全日本選手権54kg級で初優勝したのはシドニー五輪の後の2000年12月
(左写真)。やっと54kg級に慣れたと思ったら、2002年から55kg級に引き上げられてしまった。そして今年6月、30歳を迎えた。

 「やるからには夢はあります。北京五輪に出たいです」と、今でも最終目標は高いところにある。だが、アテネ五輪への挑戦が終わると、教員採用試験の勉強などセカンドキャリアの道にも力を入れ、今では教員とレスリングの二束のわらじを履く。2002年には世界9位まで行った選手だけに、世界に出る苦労は身を持って経験している。中途半端な練習では世界は狙えない。

 そう分かっていても、村田がマットに立ち続ける理由は、「レスリングに完成はないんですよ」ということだ。どんなに強い選手でも年齢とともに、フィジカル面で衰えてゆく。けがも増えてくる。でも村田は挑戦する。体力が衰えても、歳をとっても、レスリングは続けるつもりだ。

 学生はリーグ戦に個人戦にと、試合が多すぎることが問題視されるが、社会人になると逆に試合の機会がめっきり減ってしまう。「物理的に可能なら、マスターズの大会にも出て、一般男子の部にも出たい。4階級制覇を目指してね(笑)」。マスターズの出場権利は35歳以上。5年後は、4階級制覇に意欲を見せている村田の姿が見られるかもしれない。

■“隠居”の意思は全くなし! 半永久的にレスリングを続ける!

 次の試合予定は10月の国体の予定。順調に勝ち進めば、若手の成長株・長谷川恒平(福一漁業)との対戦が実現するだろう。「過去一度も負けたことはないけど、もう抜かされているかも(笑)」と冗談を飛ばしたが、すぐに“勝負師”の目になった。「負けるつもりはないよ。嫌がらせをしてやります」とニヤリ。

 同期の笹本睦らが入る今年のグレコローマンの世界選手権代表メンバーを見て、「年寄りが占めているね」と苦笑したが、自分も“隠居”するつもりはさらさらない。地方で教員を続けながらレスリングを続ける。「辛くはないが、恵まれてない」と本音をもらすが、彼のレスリング愛が冷めることはない。次の秋田国体で目指すはもちろん、表彰台のてっぺんだ。

(文・撮影=増渕由気子)


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