【特集】元世界王者の夫との二人三脚で北京五輪に挑む女子48kg級、デパオラ(イタリア)【2007年8月2日】






 
【プラハ(チェコ)発、ビル・メイ記者】1990年の初めから女子レスリングに取り組んだイタリア。男子では五輪2連覇(1984年ロサンゼルス大会・88年ソウル大会)のビンセンゾ・マエンツァを筆頭に、時たま強豪が生まれてきた。しかし、女子ではなかなか強い選手が育たず、2001年の世界選手権62kg級でディレッタ・ジアムピッコロ(ハンガリーの元欧州王者と結婚し、現在はハンガリー・コーチ)が2位に入ったのが世界選手権で唯一のメダル獲得だった。

 しかし昨年、48kg級のフランシネ・デパオラ(27歳=現在、
左写真)が欧州選手権と世界選手権でともに3位に入賞し、今年の欧州選手権でも元世界チャンピオンのブリジット・ワグナー(ドイツ)を破って2位に入る躍進を見せた。夫はキューバから亡命した1990年東京・世界選手権(フリースタイル)48kg級優勝のアルド・マルチネス。7月下旬には、チェコのプラハで行われた女子の国際合宿にも2人で参加した。夫との二人三脚で目指すのは、北京オリンピックの金メダルだ(右写真=チェコ合宿中の7月27日に27歳の誕生日を迎え、夫からお祝いされる)

 ジュニア時代はフランス国籍で、1997年欧州ジュニア選手権50kg級優勝、2000年世界ジュニア選手権54kg級4位などの活躍をしている。2000年の世界ジュニア選手権では日本の選手と闘っている。「だれ?」という問いに、「忘れました」。そこでフランスの旧友に「あの美人(Belle)はなんという名前だった?」と聞いたところ、「Seiko」との答え。「そうそう、Seiko Yamamoto(山本聖子)。強くて、すごい美人です。だから、フランスの選手は皆が彼女のことをBelleと呼んでいます」−。

 2001年に妊娠。これにフランスの監督が怒ってしまい、「そんなことでは強くなれない」と突き放され、父の国籍であるイタリアに移り、国籍も変えた。最初はなかなか周囲に溶け込むことができず、ミドル・オブ・パック(群れの中のたった一人の選手)状態だったという。

■世界王者マルチネスとの出会いで急成長

 しかし、2003年に亡命してきたマルチネスがイタリア女子チームのコーチとなり、結婚し、夫の指導で急速に力を伸ばした。今ではイタリア女子の中心選手。デパオラは「夫はここ数年で私のレスリングのすべてを変えてくれました。信じられないくらいに変わりました。私がやるべきこととできることを指導してくれ、レスリングというものが分かりました。また、私に自信というものを植え付けてくれました」と話す。今が一番成長している時かもしれない。

 自信を持つことのできた大きな転機は、昨年の世界選手権の準決勝、伊調千春選手との試合だ。「第1ピリオド、伊調選手のタックルを返して3点をもらいました
(左写真=伊調のタックルを受け止め、場外へ投げ出した)。うれしくて、やればできると自信が沸いてきました」。

■伊調千春へのリベンジなるか

 しかし、第2ピリオドに入ると伊調選手が地力を発揮し、最後はフォールで負け。「よく闘うことができ、試合内容はいいと思いますけど、結果には満足できません」。善戦で満足する気持ちはなく、今年の世界選手権でのリベンジに燃える日々。「バクーでの対戦を楽しみにしています。世界一になれるかどうかは分かりませんが、挑戦します」と力強く語った。
(右写真:チェコ合宿で練習するデパオラ=左)

 夫のマルチネスも「伊調との試合は大きかった。世界チャンピオンから3点を取って大きな自信を持つことができました」と話す。伊調の独壇場になるかと思われた48kg級だが、イリナ・メルニク(ウクライナ)の復帰に続き、安閑とはしていられない状況になりそうだ。


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