【特集】負傷を乗り越え春夏連覇を達成した和製ジョン・スミス、田中幸太郎(京都・京都八幡)【2007年8月5日】







 相手の足首を狙う低い片足タックル(通称ローシングル)を武器に、2度の五輪を含めて世界を6度制し“米国史上最高のレスラー”と言われたジョン・スミス。そのスミスをほうふつさせる構えとローシングルを得意技に持つ55kg級の全国選抜王者、田中幸太郎(京都・京都八幡=
左写真)が、苦しみながら春夏連覇を達成した。

 大会の1週間前の練習で、右足首(くるぶしの上)のじん帯を断裂するけがを負った。大会が近づいても足を引きずってしまう重傷。浅井努監督は棄権も考えたそうだが、本人の強い意思によって出場を認め、「出る以上、けがは理由にはならないんだぞ」と厳しく言い放ってマットへ送り出した。

■断崖絶壁の4点差を55秒で逆転!

 最高に苦しい試合は利部裕(秋田商)との決勝だった。第1ピリオドを0−3で落とすと、第2ピリオドも0−4とされ、残り時間は55秒と絶体絶命のピンチ。浅井監督も「これで終わりか…」という思いが脳裏をかすめたという。

 しかし、王者は最後まで勝負を捨てなかった。タックルに来た相手をつぶし、レッグホールド2回転で4−4へ
(右上写真)。このままスコアならビッグポイントの差で負けてしまう。あと1点! 必死の攻撃が続いたが、残り時間は20秒を切った。

 ここで腕を取って横崩し、さらにフォール狙い
(右下写真)。結局ニアフォールが2回で、8−4と逆転してこのピリオドを終了。この攻撃の最中に利部が背中を痛めてしまい、医師が呼ばれて診断の結果、棄権へ。第3ピリオドを闘うことなく、勝利を引き寄せた。

 最後があっけなかったため、試合後の田中は優勝の喜びに浸るという感じではなかった。しかし、痛み止めの薬に頼らざるを得ない状況ながら優勝を手にした安堵感が、試合後の田中の体からにじみ出ていた。

 「最後は攻めるしかないと思った」と執念の逆転を振り返った田中だが、「結果的に勝ったことはうれしいけど、内容が全然ダメでした」と厳しい自己評価。初戦や準々決勝、準決勝の不調を問われると、「アクシデントがあって、いつもと違うやり方で減量しましたので…」とかわし、足首の負傷のことは一切口にしない。アクシデントの内容を繰り返し聞いて、返ってきた言葉は「足首をちょっと痛めてしまいまして」だ。

 これも王者の意地というものだろう。真のチャンピオンは、周囲から同情されるような“言い訳”を口にしないもの。「けがも実力のうち」という言葉があるように、けがをしていようが、負けたら「負け」、苦戦したら「苦戦」。今回は、実力がなかったから苦戦したのだ。17歳の選手で、ここまで自己に厳しくできる選手はそう多くはいまい。

■いかなる言い訳もなし! これぞ王者の証明!

 けがの状況を正確に説明してくれたのは浅井監督
(左写真)だった。「ちょっと痛めた」どころの負傷ではなく、足が満足に動かない状況だった。マットワークができなかったので、減量は自転車こぎに頼った。愛知県の気功師に見てもらうなどの治療も試みて迎えた大会だったという。

 苦しい闘いは初戦(2回戦)の第1ピリオドから始まった。2分間を0−0。そしてコイントスで負けた末にこのピリオドを落としてしまった。全国高校選抜大会を圧勝優勝した選手が、初戦からまったく攻撃ができなかった。

 「減量がきついようだ。そのため近畿大会に出なかったらしい」という声や、「周囲に研究されている。勢いももう止まっている」という厳しい声まで。この試合を何とか逆転勝ちし、3回戦をローシングルから一気のフォール勝ちすると、とりあえず酷評はおさまった。しかし最終日の準々決勝、準決勝では攻撃が中途半端で、ベストの状態とは思えず、田中の体調に何らかの異変があることは明白と思える内容だった。

 本人は痛みと必死に戦っていた。IDカードの裏には痛み止めの錠剤が入っており、いっときも離せない状態だった。朝飲んで痛みを抑えることはできても、決勝が始まる頃にはその効果も薄れる。その痛さと辛さは本人にしか分からない。

 だが、ひとつ言えることは、ここまでの負傷を追い、断崖絶壁に追い詰められながらも、そこから逆転する精神力と優勝を引き寄せた経験は、今後に大きく生きるということ。満身創痍(まんしんそうい)でのインターハイ初優勝は、稀代の逸材をより大きくしてくれたことは間違いない。

■なるか、2年生の高校三冠王

 「国体までにはきちんと治して、今度はしっかり優勝したい。一番気をつけるのは、けがをしないこと。あと、けっこう研究されているので、研究されても勝てる強さを身につけること」と田中。浅井監督も今回の優勝には満足しておらず、「国体はしっかり勝たせます」と強調した。
(右写真=相手負傷のため、1人で勝ちなのりを受けた田中)

 フリースタイルの高校三冠王(全国高校選抜大会、インターハイ、国体)は、過去のべ92人が達成している。2年生での達成となると、11人だけ。ソウル五輪で金メダルを取った小林孝至を筆頭に、多くが世界のトップクラスへはばたいている。先人にならうためにも国体での優勝が望まれるが、その前に、今月7日に出発するアジア・カデット選手権(台湾)に出場し、世界での試合経験を積むという。

  けがの悪化の心配もあるが、「JOC杯の王者に与えられたせっかくの機会。どうしてもできない状態なら、棄権させますが…」(浅井監督)と、世界へ飛躍する一里塚として出場させるという。本格的な治療はその後になるが、目標がどこかを間違わず、焦ることなく実力を伸ばしていってほしい。

(文・撮影=樋口郁夫)


 【記録メモ】

◎2年生でのフリースタイル高校三冠王者

(1) 1980年 小林孝至(茨城・土浦日大)   48kg級
(2) 1982年 山下  浩(茨城・霞ヶ浦)     48kg級
(3) 1984年 笹山秀雄(青森・光星学院)   48kg級
(4) 1985年 花田秀実(青森・光星学院)   52kg級
(5) 1997年 松永共広(静岡・沼津学園)   46kg級
(6) 1997年 小幡邦彦(茨城・霞ヶ浦)     74kg級
(7) 2000年 鈴木崇之(京都・立命館宇治)  63kg級
(8) 2001年 松本真也(京都・網野)      76kg級
(9) 2002年 高塚紀行(茨城・霞ヶ浦)     58kg級
(10) 2004年 荒木田進謙(青森・光星学院) 120kg級
(11) 2005年 永田裕城(京都・網野)      74kg級




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