【特集】インカレで再び燃えられるか、男子フリースタイル55kg級・稲葉泰弘(専大)【2007年8月21日】







 きょう8月21日から東京・駒沢体育館で始まる全日本学生選手権(インカレ)。昨年は湯元健一(日体大=現日体大助手)など学生時代から全日本の頂点に立った世代が大活躍。両スタイル14階級中、9階級を最上級生が制した。今年はそのゴールデン・ゼネレーションが抜け、各階級は群雄割拠の戦国時代に突入。優勝の行方は混とんとしてきた。

■天性の才能に五輪金メダリスト直伝の技術を上積み

 昨年のインカレフリースタイル55キロ級で3年生ながら優勝した稲葉泰弘(専大=
左・右下写真)は、数少ない連覇を狙える選手だ。高校レスリング界の強豪、霞ヶ浦高から専大に進み、ソウル五輪金メダリスト・佐藤満コーチの指導を惜しみなく受けられる環境で3年半過ごしてきた。佐藤コーチも稲葉の指導には力を入れており、元世界王者を“独り占め”できる時もある。稲葉は「金メダリストからスパーリングなどで技を直伝してもらえるなんて普通ありえない」と他選手とのアドバンテージを感じている。

 稲葉の強みは周囲が“天才”と称するほどのセンスのよさだ。技術は金メダル仕込みとあって、試合での適応能力は群を抜く。欠点を探すのが難しいほど、どんな技でもこなせる。「基本は攻撃スタイルですよ」と本人は分析するが、受けてもよし、カウンター攻撃も得意技だ。

 非凡なセンスで大学2年の時(2005年)でJOC杯ジュニアオリンピック優勝。2ヶ月半後の世界ジュニア選手権(リトアニア)に出場し、銀メダル結果を残した。決勝で対戦したベシク・クドゥコフ(ロシア)は翌06年の世界選手権で準優勝し、今年欧州王者に輝いている選手。そんな選手と互角近くに渡り合っているだけに「自信になりますよね」と世界で再戦する日を夢見ている。

■全日本2位と世界へ好位置つけるも、どん底へ

 05年の最後には全日本選手権で2位に躍進。昨年は2月の「デーブ・シュルツ杯国際大会」(米国)でロシアの代表選手を破って銀メダルを獲得。ゴールデンエイジの湯元進一(拓大→自衛隊)らを破って念願の学生王者となった。

 今年は学生界にもはや敵なしかと思えるが、稲葉は、「楽に勝てる相手ばかりではないです」と謙虚に気を引き締めた。全試合フォール勝ちという目標を掲げて臨んだ5月の学生リーグ戦で稲葉は“不覚”を喫している。青山学院大戦でまさかのフォール負け。それ以外はすべてフォール勝ちだっただけに痛い1敗、そして痛い記憶となった。

 「油断がありましたけど、いい薬になりましたよ」。だが、稲葉にとってリーグ戦での敗北は、大きな挫折の序章にすぎなかった。6月の全日本選抜選手権(東京・代々木第二体育館)でどん底にたたき落とされたのだ。斎藤将士(警視庁)との初戦、1−1で迎えた第3ピリオドの残り数秒のことだった。稲葉はスタンドの状態で斉藤を場外へ追いやった
(左写真=青が稲葉)。「相手の足が場外に出たので手を離しました」(稲葉)。

 だが、審判は斎藤の場外逃避を取ってくれず、その直後、稲葉のバックを取った斎藤の技を有効とした。場内に湧き起こる歓声とブーイング。セコンドは必死にアピールしたがビデオチェックは行われず、その1点が決勝点となって稲葉は初戦敗退に終わった。

 「試合で負けたら泣くほうですが、マット上で涙をこぼしたのは初めてでした」(稲葉)。人前であまり感情的にならない稲葉の顔から大粒の涙がこぼれてゆくのは観客席からもハッキリと確認できるほどだった。

■再び燃えるためにはインカレ連覇しかない

 勝負にタラレバはないが、初戦を突破すれば、2回戦は対戦成績五分の湯元進一であり、準決勝は一度も負けたことがない昨年のアジア大会銅メダリストの田岡秀規(自衛隊)との対戦だった。優勝を目指すには絶好の組み合わせだった。消化不良のまま稲葉の北京五輪挑戦の第一ステージは幕を閉じた。

 「気持ちの切り替えには時間がかかりました。練習はしていましたけど、気持ちが乗らなかったです」。05年の天皇杯全日本選手権で準優勝しているが、当時より確実に技術やフィジカル面では成長している。しかし「あのころに比べたら気持ち的に下降気味。燃え尽きそうにもなりました」。稲葉は再び燃えるきっかけを欲していた。

 心の傷がようやく癒えた7月上旬。連覇のかかるインカレまであと1ヶ月となった。「インカレで連覇したい。やってやろうという気持ちが戻ってきました。優勝すれば元の自分に戻れるかも」。就職活動も終わり、レスリングを続ける環境は確保した。あとは、北京五輪、そしてロンドン五輪に向けて気持ちを高めていくだけ。「優勝して自信を取り戻します」と静かに闘志を燃やした。

 大会当日、佐藤コーチは世界ジュニア選手権(中国・北京)にコーチとして参加するため来場しない。それでも不安はない。「いつも言われている『展開を早くして自分の構えを崩すな』を実践するだけです」。全日本選抜選手権で燃え尽きそうになった心を、インカレ連覇で再燃させることができるか。稲葉の学生最後の夏はもうすぐ始まる。

(文=増渕由気子)


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