【特集】1年間の努力が結実した銀メダル…男子グレコローマン60kg級・笹本睦(ALSOK綜合警備保障)【2007年9月17日】







 世界一の悲願を胸に、最後の30秒のグラウンド防御に臨んだ笹本の体とマットとが遠ざかっていった
(右写真)。次の瞬間、ベディナーゼ(グルジア)の体が見事なブリッジ。笹本の体が完全に宙を舞い、世界一の悲願、そして日本の男子レスリング界が23年間待ち望んでいる金メダルの夢が消えてしまった。

 世界選手権の銀メダル−。立派な成績だ。世界選手権に限れば1995年以来の獲得。来年の北京オリンピックの出場資格獲得のみならず、日本代表を内定させた価値ある銀メダルだ。胸を張って日本に帰国してほしい。

 だが、ここまできてみると、何とも言えない悔しさが、誰の胸中にも去来してしまう。笹本自身も言う。「あそこで上げられなかったら金メダルだった。(実力に)大差があったわけではない。本当に悔しい。銀メダルやオリンピックの出場資格獲得の喜びが沸くのは1時間くらいたってからでしょう」−。

■価値あるアテネ五輪金メダリストへの勝利

 絶好調というわけではなかった。夏の欧州遠征であばら骨を痛め、大会直前に左足首を痛めるなどして、練習量は少なかった。「オリンピック出場権獲得がかかっているので、内容より勝つことです」。どんな勝ち方でもよかった。とにかく勝つこと。

 この気持ちがよかったのか、初戦から3連勝。3試合目のクリメント(ハンガリー)戦では第1ピリオドを取られる不覚を喫したが、ワンチャンスを逃さずにフォールで斬って落とし、この段階で五輪出場資格を獲得と最低のハードルはクリアした。

 しかしコーチの目には、今ひとつ消極的で受けに回ってしまう笹本がいた。「押しが足りない。もっと圧力をかけろ」というゲキ。これにこたえた笹本。アテネ五輪金メダリストの鄭智鉉(チョン・ジヒョン=韓国)との準決勝は、開始早々にバッティングで右目を切るアクシデントがあったりもしたが、これも前へ出ていればこそ。

 これにこりずに、さらに前へ出るファイト。第2ピリオドはスタンドの攻防で相手が体勢を崩した時を見逃さずにバックへ回り、逆転勝ちへの伏線をつくった
(左写真=アテネ五輪王者を破った笹本)。嘉戸洋コーチ(日本協会専任コーチ)は「踏み込む中で、ああいう1ポイントにつながる」と評価した価値ある1ポイント。「左足が踏ん張れなかったんですよ」と試合後に明かしたほど体は動かなかったが、闘争心は真っ赤に燃えていた。

 そんな体調の中でも勝ち上がり、アテネ五輪王者を破ったことは「自信になる」と言う。やはり価値ある銀メダルだ。昨年の1回戦敗退の屈辱から、ドーハ・アジア大会優勝、世界王者のいる米国遠征、世界2位のいるグルジア遠征、そしてブルガリア遠征と修行を重ねた努力が結実した成績だったのである。

■北京オリンピック金メダル獲得のエネルギー!

 もちろん銀メダルで満足してはならず、満足してはいない。「スタンドでは、ポイントを取るどころかバテさせることもできなかった。グラウンドのデフェンスがよかったと(コーチから)言われたけど、練習では学生にもかかってしまうんですから…」と本人の口からは次々と反省の言葉が出てくる。

 また、組み合わせの運に恵まれたことは笹本自身が認めている。過去3連敗のエウセビウ・ディアコヌ(ルーマニア)は反対側のブロックだったし、鄭智鉉のブロックはアジア大会2位、パンアメリカン王者、05年世界2位、05年欧州王者が固まっており、強豪相手に3連勝してきた影響が、笹本戦には少なからずあったことだろう。

 「まだ自信がついた、とまでは言えない」という言葉は、偽らざる気持ちのはずだ。だからこそ、北京五輪へ向けて努力が続けられる。そんな笹本に対し、伊藤広道監督(自衛隊)は「99年の世界選手権に勝って(翌年の)シドニー五輪で優勝した選手は1人もいない。03年の世界選手権に勝って(翌年の)アテネ五輪で優勝した選手は1人しかいない(120kg級のハサン・バロエフ=ロシア)」との言葉を贈った。

 優勝を逃した悔しさがあるから、努力が続けられる。昨年2位のベディナーゼが1年後の今年にその悔しさを晴らしたように、今回の悔しさを笹本が晴らすのは、来年の北京のマット。アジア大会王者は、一段上がるためのエネルギーをしっかりと貯えた。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



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