【特集】外国選手の“粘り”を学んだ…男子フリースタイル74kg級・萱森浩輝(新潟・新潟県央工高教)【2007年9月20日】







 1回戦で、日大出身で2005年学生二冠王者のマキシモ・ブランコ(ベネズエラ)と対戦することになった男子フリースタイル74kg級の萱森浩輝(新潟・新潟県央工高教)は、続く2回戦でジョセフ・ヘスケット(米国)に敗れ、初陣を飾ることができなかった。

 ブランコとは1学年違い。大学時代に1度対戦したことがあり、その時は自分が勝っていたという。「(相手が相手だけに)世界選手権に来たという感じはしませんでした。2回戦からが自分にとっての世界選手権。レスリング大国のアメリカが相手だったので、思い切ってぶつかった」というが、力及ばなかった。

 日本代表になってから約3ヶ月。全日本チームとしての海外遠征は8月のロシア〜ブルガリアの1度だけ。世界選手権へ向けての国際経験が足りなかったとも思えるが、「経験とかの問題じゃない。強い選手なら国際経験がなくとも上がっていける」と自らの実力不足を強調。「勝負どころの判断やパワーなど、全体的に力が足りないことを再確認した。レスリングの基本が、世界基準で考えればまだ下の方でした」と厳しく自己採点した。

 米国選手から最も感じたことは“粘り”だったという。「脚をつかんだら、最後まで、へとへとになっても離さずにポイントを取りにくる。自分は(脚をつかんでも)相手の力が強いと思ったら、そこで止まってしまう」
(左写真=ヘスケットに片足タックルを決められた萱森)。感じることの多い初の世界選手権だった。

 男子の日本代表選手の中で、ただ一人地方在住の選手。2009年の新潟国体へ向けていくつかの優遇はあるものの、教員をしながらのレスリング活動という大きなハンディはあった。しかし、それを勝てなかった理由にするつもりは毛頭ない。

 「100日合宿には入れなかったけれど、全日本合宿にはすべて参加し、内容のある練習を積んできた。東京にいなければ強くなれないなんてことはない」。これからも教員をやりながら北京オリンピックを目指す予定だという。

 練習環境は“プロ選手”に比べて劣るかもしれないが、学校の生徒たちが応援してくれるので、熱い思いを数多く受ける度合いはチームのトップクラスかもしれない。「勝ったことを報告したかった。しかし、落ち込んで帰ってくることを期待はしていないと思う。胸を張って帰ります」。今回はいい報告ができなかった。この経験を無駄にせず、次の闘いに生かすことが、応援してくれた人たちに対する恩返しだろう。

 ただ、「先ばかり見てしまって国内で負けてしまっては意味がない」と、まず国内予選に勝つことを目標におく。全日本チームでの3ヶ月の実力養成を12月の全日本選手権でしっかりと生かしたい。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



《iモード=前ページへ戻る》

《前ページに戻る》