【特集】納得いなかい判定…男子フリースタイル74kg級・マキシモ・ブランコ(ベネズエラ=日大出身)【2007年9月20日】







 5月のパンアメリカン選手権で3位に入賞し、世界で通じる力をつけたマキシモ・ブランコ(ベネズエラ=日大出身、2005年学生二冠王者)は、初戦の萱森浩輝戦で納得のいかない判定を受け、無念の初戦敗退となった。

 2分間を0−0で終わった第1ピリオド。クリンチの攻撃権を得たブランコは萱森を場外際に追い詰めて押し出し
(右写真)、レフェリーは1点を挙げた。勝ったと思ってセコンドのもとへ戻ったブランコだが、審判団はビデオを見て協議。グラウンド状態での場外とみなし、11秒の段階から、スタンドで試合を再開した。

 マキシモは第2ピリオドが始まったとばかり思い、ピリオド開始直後に見られるような探り合い。そのうちに19秒が経過し、萱森の第1ピリオドの勝ちが宣せられた。あ然とするブランコとベネズエラ陣営。テークダウンを取った(と思った)あと、汗をふいたり、第2ピリオドへの作戦をさずけるなどしていたため、審判団がビデオをチェックしていることを知らなかったようだ。

 「第2ピリオドだとばかり思っていた。納得いかない。勝てる相手だった」と悔しそうなマキシモ。相手が第二の故郷である日本の選手だということで、やりづらい面はあったようだが、マットに上がれば私情は関係なかったはず。この夏は、ベネズエラに戻り、キューバに遠征するなど国際経験を積んでこの世界選手権に臨んだだけに、無念さは隠せない。

 昨年4月にPRIDEを主宰するドリームステージ(DSE)と契約し、現在もDSEから支援を受けている。PRIDEデビューも予定していたが、現在はPRIDEが休止状態。北京五輪を目指してレスリングに専念しているという。

 「来年もオリンピックのチャンスはある。ベネズエラ国内では敵がいないので、世界で勝つことを考えて練習していく。あきらめない」。北京への思いを胸に10月初めに日本へ戻り、仕切り直しに挑む。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



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