【特集】稲葉泰弘(専大)が国体初制覇! 「松永先輩は僕が倒します」…国体フリー55kg級【2007年10月7日】








 9月にアゼルバイジャンで行われた今年の世界選手権。日本はお家芸である男子フリースタイルで北京五輪出場枠獲得は1階級もならなかった。「0」とは、だれもが思っていなかったことだろう。これで北京五輪代表選考レースは振り出しへ。10月5日から行われている秋田わか杉国体は、例年の“お祭り的雰囲気”から、一転して天皇杯全日本選手権(12月21〜23日、東京・代々木第2体育館)の“前哨戦”という緊張感漂うステージになってしまった。

■あきらめたかけた北京五輪 もう一度挑戦する

 「北京五輪、目指します!」。昨年の国体王者・湯元進一(埼玉・自衛隊)とアジア選手権優勝の斎藤将士(東京・警視庁)を下して国体を初制覇した稲葉泰弘(茨城・専大=
左写真)は、力強く宣言した。8月の全日本学生選手権で2連覇を達成し、復活ののろしを上げていた。当時、北京五輪については「松永さんが世界選手権代表に決まってしまったから、もうどうしようもないです」と、半ばあきらめの言葉を発していた。来春、警視庁に就職も決まり、長いスパンで2012年ロンドン五輪へ向けて気持ちを切り替えていた矢先、松永が世界選手権で初戦敗退に終わり、メダルどころか五輪出場枠も獲得できなかった。

 稲葉は若手育成計画の一環として、また代表選手のサポート役としてアゼルバイジャンに同行していた。その目の前で再び北京五輪の道が開けた。この国体に参加するにあたり、「やる気が出てきました」と、いつも以上の気持ちが入っていたことを明らかにした。秋田という開催地のため、地元が生んだ金メダリスト・佐藤満(専大コーチ)がテレビの解説者に抜てきされた。「オレが解説するから、負けるなよ」と言われ、大きなプレッシャーもプラス要素になった。

 最初のヤマ場は準決勝の湯元戦だった。昨年のチャンピオンでもあり、この夏の欧州遠征では2大会連続優勝を飾るなど存在感を見せつけた。稲葉も「対戦成績は五分」と侮れない相手と認めているだけに、「準決勝のことしか考えていませんでした」と気合十分だった。

 試合展開はスピードがある湯元が積極的に前に出て、タックルで1点を先制。だが、受けが強い稲葉は、再び前に出てきた湯元を捕まえてタックル返し
(右写真=青が稲葉)。場外際にもつれビデオ判定になったが、ジャッジの判定は稲葉の2点を有効とし、2−1で先攻した。第2ピリオドは稲葉のタックルがさく裂! そこからアンクルホールドで1点を追加し2−0。終盤に両足タックルで1点を失ったが、2−1のきん差で勝利した。決勝でもないのに稲葉はガッツポーズを見せるなど、終始気合が入っていた。

■“因縁”の相手、斎藤下して国体初戴冠

 決勝戦の相手は、6月の全日本選抜選手権で敗北している斎藤。“因縁”のある相手だ。その試合は、第3ピリオド残りわずかで稲葉が斎藤に圧力をかけて場外へ追いやったが、場外をとってもらえず、逆に斎藤に点数が入った。微妙な判定だったため、稲葉のセコンドがビデオチェックを求めるも却下され、スコアボードの点数はフリーズしたまま動かない。

 納得いかない判定に、稲葉は生まれて初めてマット上で大粒の涙をこぼした。疑問は「なぜ、ビデオチェックをしなかったのか」というところに尽きる。世界選手権では浜口京子選手が疑惑の判定に泣き、ビデオチェックもしてもらえなかったが、稲葉の時も同じくらいに微妙な判定だった。

 稲葉自身は準決勝の湯元戦に集中し、決勝のことは考えていなかったようだが、「斎藤選手とやりたかった」。決勝戦もタックルが要所で決まり、2ピリオド連取の快勝
(右写真=赤が稲葉)。斎藤が地元・秋田出身の選手ということもあって、会場からはため息がもれ、ヒール(悪役)になってしまったが、「これで北京五輪を狙える。国体優勝を励みにしていきたい」とうれしさを隠さず笑顔を見せた。

 佐藤満・専大コーチも「斎藤に“2連勝”したね」とご満悦。6月の“落とし前”をきっちりつけ、全日本学生選手権、国体とビッグタイトルを連続して手中にした稲葉。12月の全日本選手権では、王者の松永の首を狙いにいく。

(文・撮影=久坂大樹)



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