【特集】一時は“北京絶望”! しかし“本命”にカムバックか…男子フリースタイル66kg級・小島豪臣【2007年10月15日】








 3階級でアテネ五輪の出場資格を取った2003年の世界選手権(米国)と対照的に、今年の世界選手権(アゼルバイジャン)では、男子フリースタイルは1階級も北京五輪の出場資格を取れなかった。その結果を、人一倍悔しい思いで受け止めていたのが、66kg級の小島豪臣(周南システム産業)だろう。

 60kg級で学生王者や全日本王者に輝き、05年末に66kg級へ。1年が経った昨年末のアジア大会(カタール)では、銀メダルを獲得。階級アップも順調に進み、北京五輪を目指しての追い込みに入るはずだった。しかし今年6月、左大胸筋の断裂というアクシデントに襲われ、マットから離れざるをえなかった。

 腫れが引くのを待ち、全身麻酔を受けての手術が行われた。意識が回復してみると、左の肩から腕にかけて全く力が入らず、「本当に治るのか」という絶望に近い気持ちに襲われた。約1ヶ月の入院とその後のリハビリ生活。それでも、10月に入ってマットワークができるまでに回復し、視界が開けてきた
(右写真=負傷箇所の完治をアピールする小島)

 「動きや勘は落ちていない。筋肉やスタミナは多少落ちていると感じるけれど、(全日本選手権まで)2ヶ月あれば十分に間に合う」。世界選手権9位で五輪出場権獲得にあと一歩だった鈴木崇之(警視庁)や、成長著しい学生王者の米満達弘(拓大)ら実力者がひしめく同級に、本命が万全の体調で戻ってくることは確実となった。

■全日本選抜選手権の2回戦でアクシデントに襲われる

 負傷した明治乳業杯全日本選抜選手権を振り返ってみたい。2回戦の佐藤吏(ALSOK綜合警備保障戦)で、「最初は筋肉がつった感じ。そのうちに肉ばなれのようになり、最後は腕が上がらなくなった」という異変が起こった。試合には何とか勝ったものの、マットを下りた時、その痛みは尋常でないことが分かった
(左写真=佐藤吏との試合。この試合の最中に左大胸筋が断裂した)

 この段階で、「これ以上は闘うことができない」という気持ちもあった。しかし、全日本王者として世界選手権代表の最短距離にいながら、マットに背を向けることはできなかった。左腕の上がらない状態で準決勝の池松和彦(K−POWERS)戦に挑み、0−2(0-1,0-1)の敗戦。この段階で辞める道もあっただろうが、鈴木崇之(警視庁)とのプレーオフにも臨み、0−2(0-3,1-1=ラストポイント)で敗れ、世界選手権の道が断たれた。

 翌日(日曜日)をはさんで2日後に受けた診断では左大胸筋の断裂。柔道のシドニー五輪金メダリストの井上康生選手が2005年1月に負った負傷と同じケガだった。この状態では、勝ち上がって日本代表権を獲得しても世界選手権へは出場できなかっただろう。

 ならば、最後の2試合は病状を悪化させただけで、必要のない試合だった。だが、それは結果論。その段階で負傷の詳細は分からなかったのだから、世界選手権のマットを目指して力を振り絞ったことを、誰も責めることができまい。

■マットを離れたからこそ得た貴重なエネルギー

 こうしてリハビリの生活が始まった。最初は絶望感に襲われたものの、徐々に下半身のなど動く部分のトレーニングを開始し、9月に入ってやっと左腕の筋力回復トレーニングができるようになった。「9月に入ってからでしたね、全日本選手権に出られる、と思ったのは」。

 その時期は世界選手権の直前。自分が出るはずだった世界選手権に出られなくなった時、選手の行動パターンは2通り考えられる。ライバル(日本代表選手)の勝敗を気にする選手と、世界選手権に背を向け結果を知ろうともしない選手。昨年の湯元健一(フリースタイル60kg級)などは、完全に後者だったという。

 今年の場合は、世界選手権で3位以内に入ったら北京五輪の代表に内定することもあり、小島は鈴木崇之選手の成績が気になったそうだ。テレビ(CS放送)でもしっかりチェックしたという。北京五輪への気持ちがあればこそだろう。まだ本格的な練習は再開できなかったが、自分が北京へ行くという気持ちは燃え上がっていたようだ
(右写真=10月から本格的に練習を再開。日体大の学生と汗を流す小島)

 マットを離れてみて、プラスになったこともある。「視野が広がり、考え方が新鮮になった。多くの人がお見舞いに来てくれ、勇気付けられて北京に向けて気持ちが高まった」。けがをしたからこそ得ることのできたエネルギー。体力が完全に戻れば、以前よりも実力を増した小島が見られるかもしれない。

 自信を裏づけるように、小島の口から「世界で勝つ練習をしているので、国内の闘いはあまり考えていない。(ライバルとしては)誰も考えていない」という強気の言葉も出てきた。ブランクを経ての実戦になるが、「緊張はするでしょうけど、あの緊張感が好きなんです。去年(今年1月)の全日本選手権は、勝って当たりまえだったから、正直なところモチベーションが上がらなかったんです。でも、今回は気持ちが乗っています」とも。

 ブランクがあっても、アジア大会2位の自信は揺ぎない。逆境の方が力を発揮するケースは多い。一時は北京オリンピック絶望状態だった男が、日本代表を目指してエンジンを全開にする。



《iモード=前ページへ戻る》

《前ページへ戻る》