【特集】女性指導者のパワー爆発! 選手OGの山下和代さん(高松ク)川井初江さん(金沢ジュニア)【2007年11月1日】








 女性の指導者率いる東京・ゴールドキッズ(成国晶子代表)が全国少年少女選手権で団体優勝したことにより、キッズレスリングにおける女性の指導力が注目されている。10月28日に大阪・吹田市立北千里体育館で行われた押立杯関西少年少女選手権では、かつて東京・日体クラブで成国代表とともに汗を流した2人の元女子選手がチームを率いて参戦。ゴールドキッズを目標に、レスリングへの熱い思いをマットに注いでいた。

 香川・高松クラブの山下(旧姓麻生)和代さんと、世界選手権への出場経験もある石川・金沢ジュニアクラブの川井(旧姓小滝)初江さん
(右写真=左から山下さん、川井さん、成国さん)。ともに1980年代後半から90年代前半の女子レスリングの初期に活躍し、日本の女子レスリングの基礎を築いた功労者だ。

■ゴールドキッズの練習を手本に、さらなる発展を…高松クラブ・山下和代さん

 成国代表と同い年の山下さんは、夫・忍さん(1989年世界選手権フリースタイル48kg級代表=日体大卒)が13年前につくった高松クラブにスタートから携わっていた。一時は選手が4人しかいない苦境にも見舞われた。近くの大会に出て勝っても、全国大会に行くと闘ったことのないタイプの選手が数多くいて、簡単には勝てない。「え? キッズでこんな技を使うの?」と驚いたこともあるそうで、「それなら。もっと大会に出よう」となり、大阪までも遠征するようになった。

 そんな努力が実り、全国少年少女選手権で優勝選手を輩出し、今年は全国中学生選手権でも優勝者を育てるまでに成長した。現在の部員は約40人。順調にチームを育ててきたと言っていいだろう
(左写真=1990年全日本女子オープントーナメントで闘う山下さん)

 しかし、キッズクラブの指導者としては成国代表よりキャリアが長い。今夏のゴールドキッズの快挙にさぞ悔しがっていると思われるが、「東京と地方では練習環境が違いますし…。悔しいというよりは、どうやったらそんな強いチームができるのか、どうやって選手をやる気にさせているのか、という気持ちの方が強いですね」と言う。

 そこで、全国大会のあと成国代表に電話やメールで練習や指導についていろいろ聞いたという。「選手を怒ったことなんてない。選手が積極的にやってくれる」という成国代表の答えに、「それなら、どうやって選手をやる気にするの?」という疑問が消えなかった。そこで、「一度、一緒に練習してみよう」となって、今回の大会前日に関西学院大のマットを借りて合同練習してみた。

 「飽きない練習というか、ダラダラさせない練習でした。選手の気持ちが高揚するようなおだて方、乗せ方…。ウチの選手も感じるものがあったみたいです」。選手以上に、同行してきた保護者が全国一のチームの練習に関心を示し、「今度、あれをやらせてみてください」などと言ってきたという。「コーチだけでチームを変えていくのは無理があります。保護者とともに選手の意識を変え、チームを変えていきたいですね」。全国一のチームに接し、今後どう変わっていくか
(右写真=長女・峰央さんのセコンドにつく山下さん)

 クラブのスタート直後の教え子の一人は、今年小学校の教員として地元に帰ってきてくれ、「キッズレスリングに携わりたい」と言ってくれたという。「うれしいです」と感慨無量の表情だ。

■5年前、約10年ぶりにレスリングシューズを履く…金沢ジュニア・川井初江さん

 1992年10月に石川県で養護学校教員をやっていた孝人さん(1989年グレコローマン74kg級学生二冠王=日体大卒)と結婚した川井さんは、日本におけるレスリング選手同士の第1号カップル。したがって石川県在住15年になる。しかし、金沢ジュニアクラブのコーチとして活動するようになったのは5年前のこと。子供がレスリングを始めたことがきっかけだった。

 最初からコーチだったわけではなく、1年間は保護者としてクラブに出入りしていただけだった。そのうちに、レスリング選手だった血が騒いだ。コーチの声がかかり、レスリングシューズを履いてマットに上がることになって、「とてもうれしかったです」と振り返る。「今から思うと、もっと選手を続ければよかった、という気持ちがあるんです」。そんな後悔が、日々の熱心な指導へとつながっていった
(左写真:1991年に新潟県の“虎の穴”での全日本合宿に参加中の川井さん=右から2番目)

 今では筒井昭好代表から指導を全面的に任されている。その方針は「がんばる力を持つこと。勝ち負けだけではなく、点を取られてもあきらめず取り返す心の強さを持たせること」。もちろん礼儀も忘れない。試合に負けた選手にも、必ずマットに一礼させて終わらせている。「マットを大事にすることで、マットが味方になってくれるって思っています。最初はできない子もいたけど、これだけは必ずやらせます」と言う。

 週2回の練習だが(今夏から週3回)、県外の大会にも出るようになり、そうした熱烈指導が昨年の全国少年少女選手権でクラブとしては1991年以来15年ぶりのチャンピオン誕生へとつながった。今年の全国大会は2人を優勝させることができた。川井体制も順調な発展を遂げていると言っていいだろう。

 2歳上の成国代表の快挙については、山下さんと同じで特に悔しいといった気持ちはないという。「まだ『追いつこう!』という段階ではないので…」がその理由で、追いつくためには、「もう4ランクも5ランクも上がらなければならないでしょう」と言う
(右写真=セコンド席から選手に熱い応援を送る川井さん)

 「どんな練習をしているのか聞いてみたいけど、根掘り葉掘り聞くのもどうかな、という気持ちもあります。学ぶべきところは学びながら、自分で練習方法を見つけていくべきではないかな、と思います」。山下さんに比べて遠慮が出てしまうのは年下だからか。しかし、多くの大会に参加できる東京のチームにうらやましさを感じるのは同じだ。

■その原動力は、ともに「レスリング好きだから」!

 まだ子育てが終わっていない段階。それでも、キッズ選手相手にマットで汗を流すことに多くの時間を割いている。「その原動力は?」という問いには、2人とも間髪入れずに「レスリングが好きだから」と答えた(注:取材は2人別々に行った)。「現役の時よりレスリングの幅が広がって上手になっていると思います」と山下さん。「志(こころざし)半ばで選手をやめてしまったので、その過ちは繰り返したくない。辛くて放り投げたくなる時もあるけど、逃げることはしません」と川井さん。

 2人とも「いずれはオリンピック選手も」と思っている。山下さんは今年中学生の全国王者を育てたことで、川井さんもチームの基礎固めを終わり、ともにおぼろげだった目標が少しはっきり見えてきた段階だという。

 レスリングへの情熱がもっと燃えるのは、これからなのだろう。指導者に一番必要なものは、選手としての実績ではない。レスリングへの限りない愛情だ。こうした情熱あふれる指導者がいる限り、日本のレスリングの未来は必ず開けていくことだろう。

(文・撮影=樋口郁夫)



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