【特集】やっと開花した逸材、大月葵斐(早大)が運命のトーナメントを制して優勝!【2007年11月9日】








 大分・日本文理大付高時代に高校5冠(国体2度、全国高校選抜大会、インターハイ、JOC杯カデット各1)を獲得した大月葵斐(早大=
左写真)が、大学でやっと頂点を極めた。太田拓弥コーチが「もっと早く優勝しなければならない選手。それをさせてやれなかったのは、自分の責任」としきりに反省するように、3年生の秋にして初タイトルというのが遅すぎるほど実力のある選手だった。それでも、本人にとっては、やっと獲れた大学ナンバーワンの称号。「うれしいです」と初優勝に表情が緩んだ。

 3年前、フリースタイル74s級で学生タイトルを総なめにした長島和幸(現クリナップ)と入れ違いに早大に入学したスーパールーキー。即戦力として期待された。新人戦や2006年のJOC杯ジュニアオリンピックと、同世代間のカテゴリーではすぐに頭角を現したものの、全日本学生選手権(インカレ)など学生主要大会での最高成績は3位。

 団体戦でも勝負どころで黒星を喫するなど、期待に応えられずにいた。特に今季はけがに悩まされ、本人の弁によると「最悪の年」。1月の天皇杯全日本選手権ではレスリングに復帰したシドニー五輪代表でプロ格闘家の宮田和幸(フリー)に敗北。リーグ戦も不本意な成績に終わり、インカレではまさかの表彰台を逃した。

 けがなどもあって、肉体的、精神的に満身創痍の状況だった9月。学生にとって重要な全日本学生王座決定戦(団体戦)が行われた。ことし、創立125周年を迎える早大は節目の年の悲願達成に向けて部の強化を積んできた。だが、大月はそれを承知で大事なリーグ戦を欠場。それも響いて早大は、2位に終わり、ことしも悲願達成はならなかった。「フリー王座の借りを返すために今大会がんばりました」。大月には、どうしても負けられない理由があったのだ。

■宿敵との対戦が続いた運命のトーナメント

 強いと言われながら不完全燃焼で苦杯をなめ続けた大月は、シードのない全日本大学選手権で運命的なくじを引く。初戦の荒川翔(東洋大)など、勝ち進むたびに一度負けたことがある選手とぶつかる組み合わせだったのだ。「大月の真価が問われるトーナメント」と太田コーチは大月を奮いただせ、大月もその期待に応えて順調に勝ち進んでいった。

 決勝戦の相手は拓大の米満達弘。本来なら66s級の選手だ。「対戦は初めてだったけど、(74s級でも)強いと聞いていた」と油断せず臨んだ。開始早々、米満が得意のタックルを仕掛けてくる。それをかわし、足をかけて足首をすくうタックルを出すと、米満は大きくバランスを崩し、背中から崩れ落ちた。そこをすかさず抑え、開始わずか1分でフォール勝ち
(右写真)。大学主要タイトル初戴冠を最高の形で締めた。

 太田コーチが「インカレの後はけがの治療に専念できて、今大会に向けては走りこみもできていた」と語るように、大月の状態はいままでで最高だった。“やっと”手に入れた大学王者の称号。それを胸に、12月の天皇杯全日本選手権で2005年の佐藤吏(現ALSOK綜合警備保障)以来の早大現役学生の全日本王者を目指す。

(文・撮影=久坂大樹)



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