【特集】南木曽から世界を見つめる元大学王者…中京学院大・馬渕賢司監督【2007年11月15日】




 今年の内閣総理大臣杯全日本大学選手権は今月8〜9日、岐阜県の中津川市で行われた。名古屋から特急で1時間足らずの地とはいえ、東海道からはずれた山間(やまあい)の人口約8万5000人の市。来年の国体開催地でもないのに(注:この大会は国体のリハーサル大会として開催されることが多い)、「なぜ?」と思われた人もいるかもしれない。

 その理由は2012年の岐阜国体のレスリング開催地に内定しているからだけではなく、岐阜県レスリング協会の丸山充信会長(丸山木材工業)のお膝元であり、丸山会長の強力バックアップのもとで一貫強化体制が進行中だからでもある。キッズから中学、高校を経て大学生に至るまでの普及と強化が着々と進んでおり、一貫強化のモデル都市となることもありうるほどレスリングを取り巻く環境は充実している。

 今年は中京学院大の鎌田学選手がアジア・ジュニア選手権フリースタイル74kg級で銀メダルを獲得。中津商高の山口剛選手(84kg級)が全国高校生グレコローマン選手権を含めて全国大会4冠を制覇するなど、“中津川レスラー”が大活躍。今回の全日本大学選手権を切り盛りした中京学院大の馬渕賢司監督(右上写真)は「中津川というより、岐阜県のレスリングを活性化させたい」と張り切る。

 この大会を開催するにあたり、1競技の大学選手権とは思えないほどの協賛企業が集まった。政財界に顔のきく丸山会長がいればこその結果だが、国体へ向けてレスリングを盛り上げようとする気持ちが十分
(左写真=開会式であいさつする丸山会長)。いずれ“レスリングの地”として日本のレスリングを支える逸材を数多く輩出する日が来るかもしれない。

■岐阜県出身のオリンピック・レスラーは4人

 岐阜県のレスリングといえば、1988年ソウル五輪の代表であり、現在は全日本男子グレコローマン・チームの伊藤広道コーチ(自衛隊)のように中津川市出身の強豪もいたが、どちらかといえば岐阜市が中心だった。岐阜工高は団体戦でインターハイ2位などの実績があり、個人戦の全国王者も数多く輩出。最近は岐南工高が同じくインターハイで2位、3位によく顔を出すなど全国トップレベルの実力を持っている。

 生まれた五輪選手4人のうち、伊藤コーチを除く3人が岐阜市でレスリングを学んだ選手。1984年ロサンゼルス五輪の安藤正哉(グレコローマン100kg以上級=岐南工高卒)、1992年バルセロナ五輪の大橋正教(グレコローマン48kg級=岐阜一高卒)、1992年バルセロナ五輪・96年アトランタ五輪の野々村孝(グレコローマン100kg級=岐阜西工高卒)だ。

 この岐阜市を中心とした勢力に、馬渕監督が丸山会長の経営する恵峰学園に籍を置きつつ中京学院大の監督に就任した2003年ごろから中津川が加わった。最初は西日本の地方大学ということで、相手にもされていなかったが、日体大時代に全日本大学グレコローマン選手権で優勝経験のある指導者の加入で急速に力をつけていき、西日本の一部リーグへ昇格するのにさしたる時間はかからなかった
(右写真=岐阜のレスリングを熱く語る馬渕監督)

 「昔はけっこう厳しくやりましたよ。でも、今は1を言えば10分かるような選手が入ってくれていますから、楽になりましたね」。初期の頃は岐阜県の選手しか来てくれなかったが、実力がアップするにつれて全国区としての地位を確立。自身のつてで拓大、青山学院大、専大、早大などとも合宿を実施。来年は部員も初めて20人を超える予定で、西日本学生リーグ戦での打倒立命館大、打倒徳山大も見えてきた状況だという。

■昨年キッズ・クラブが創設され、一貫体制がスタート

 「まず西日本のリーグ戦で優勝できるチームにしたい」と希望に胸を膨らませる一方、「個人優勝を出すことはできても、団体優勝というのは本当に難しい」と壁の厚さも痛感している。自身は日体大のリーグ戦19連覇の真っ只中にいた人間だが、「当時は何とも思わなかった(笑)。外から見てみると、本当にすごいことですよね」と、あらためてその偉業の価値を感じるという。

 同時に「自分の場合は0からのスタート。自分のやったことが歴史になる。責任を感じる」とも言う。どんな分野でも、創始者の苦労を支えているのは、この気持ちだろう。

 トップを目指すにあたって一番注意しているのは、情報を逃がさないこと。ルールは微妙な部分で年々変化しているし、解釈ひとつにしても、文章だけでは分からないことが多い。「常に中央とのつながりを持ち、世界の情報も含めて情報に乗り遅れないことが必要と思っています」。

 さらに「自分の力だけでやろうと思ってはいけない。多くの人の力を結集させることが大切だと思います」と、団結の必要性を強調する。それは、全国から選手を集める基盤ができたのと並行して、大学の後輩にあたる若山真毅さんが監督となりキッズの中津川ジュニア・クラブ(中学生を含む)も昨年スタートさせ、馬渕監督もコーチとして全面的に協力していることを見ても分かる(左写真=地元の商工会などが協力して盛大に行われた日本協会への歓迎レセプション)

 中津川ジュニアには、中津商高の有賀浩樹監督にもコーチになってもらっており、中津川で生活する“レスリング人”の団結力は十分。クラブは今年の全国少年少女選手権で2位の選手を輩出するなど、勢いに乗り始めた。伊藤広道以来の五輪選手誕生への道は間違いなくスタートしている。

■原動力は恩師への恩返し

 もっとも、馬渕監督は岐阜西工高出身なので、岐阜市ほかのレスリング界に対抗意識があるわけではない。「やはり県全体で協力して発展させていくことが大事だと思います」と、思いの基本は岐阜県。「高校時代からレスリングを始め、大学チャンピオンになり、今の自分がある。恩返しをしなければならないと思っています。まず岐阜県に恩返しです」。

 そして、大学時代にお世話になった指導者へも、その気持ちは忘れない。「藤本先生(英男=日体大部長)、安達先生(巧=日体大監督)、佐藤先生(満=専大コーチ)、西口先生(茂樹=拓大部長)…。皆さんが必死にやっているのに、自分が何もしないわけにはいきません」。だからこそ大会運営も必死にやった。選手の育成にも必死に取り組んでいる
(右写真=1995年に全日本大学グレコローマン選手権82kg級で優勝した馬渕監督)

 いろんな思いを胸に、中津川でレスリングに熱き思いを寄せる人たちの今後に注目だ。



《iモード=前ページへ戻る》

《前ページへ戻る》