【特集】北京五輪チーム・ジャパンに力強い助っ人登場! 宮鴻雁さん(中国)【2007年12月5日】








 11月12日から11日間にわたって国立スポーツ科学センター(JISS)で行われた女子の世界合宿。外国から参加した9ヶ国の母国語は、中国語、韓国語、タイ語、モンゴル語、スウェーデン語、英語、トルコ語、スペイン語と多岐にわたり、通訳を務めた武田明子・日本協会事務局員ほか裏方の苦労は絶えなかった。

 その中で、中国と台湾に関してはスムーズなコミュニケーションがとれた。中国生まれで、日本在住7年8ヶ月の宮鴻雁(きゅう・はんえん=27歳、愛称Qちゃん=
右写真)さんが連日JISSへ通ってくれ、通訳をかってくれたからだ。今回だけではなく、昨年9月に中国・広州で行われた世界選手権と今年8月に北京で行われた世界ジュニア選手権では日本チームに同行して通訳として活躍し、選手の健闘を裏から支えた。

 来年の北京オリンピックは、IDカードの関係でチームにつくことは難しそうだが、支援役員として現地に向かい、できれば外側からチームを、それができなくとも応援団が不自由しないようにサポートしたい気持ちを持っている。チーム・ジャパンは心強い“戦力”を得たようだ。

■レスリングとの出合いは名古屋ワールドカップ

 中国の東北部の都市、大連生まれ。同地は日本ともつながりの強い街で、親日家が多いという。中国といえば、反日感情がまだかなり残っているように思いがちだが、宮さんは「それは人によって違います」と力説する。宮さんも日本に興味を持ち、高校卒業後の2000年4月、東京に住んでいる親戚を頼って来日し、2年間、日本語学校に通った。

 2002年4月に拓大の国際ビジネス科に入学し、昨年3月に卒業。この6年間で日本語を完全にマスター。文化にも溶け込めたという。ただ、今でも難しいと感じるのが敬語の使い方。中国語にも敬語はあるが、日本語ほど使い分けは細かくないそうだ。

 この段階ではレスリングとのつながりはなく、拓大が時に大学のチャンピオンになるほどレスリングの強い大学ということも知らなかった。レスリングとのつながりは、卒業後に豊国警備保障のグループ会社であるビルメンテナンスのケーティ企画に勤務し、グループの川口会長と日本レスリング協会の福田富昭会長とのつながりに始まる。

 川口会長の肝いりで同年5月に名古屋で行われた女子ワールドカップに派遣され、中国チームの通訳として活躍。これがレスリングとの出合いだった。初めて見たレスリングの印象は「力だけじゃなく、技術も必要で、頭を使うスポーツ」。アテネ五輪代表の浜口京子、吉田沙保里、伊調姉妹(馨・千春)のファイトは特に印象に残ったという
(左写真=世界合宿で台湾コーチにアドバイスをおくる宮さん)

 以来、日本や中国のトップ選手と接する機会が多くなる。大会で日本選手と中国選手が闘う時は、「どっちを応援していいか分からず、ちょっと複雑な気持ち」という悩み(?)を抱えることになるが、マットを降りた時のレスリング選手は、マット上のファイトが信じられなくくらい穏やかで、親切な選手ばかりだという。こんなことも、レスリングにのめりこむ一因となったのだろう。

■一人っ子だが、日本へ永住か?

 広州や北京への同行は有給休暇を使っての遠征。今回のJISS通いは、会社の厚意で勤務を午前だけにしてもらってのボランティアで、通訳料が出ているわけではない。それでも、自らの通訳で中国と台湾の選手に安心して練習に打ち込める環境をつくってやれたことがうれしい様子だ。

 自らはバドミントンをやっており、現在はテニスやボウリングに汗を流すスポーツ好き。「自分でもレスリングをやってみたい気持ちは?」という問いには、「この年では、もう無理でしょう」と笑う。いきなり全日本トップレベルの大会は無理にしても、「全日本女子オープンや全国社会人オープン選手権のような大会なら、十分に出られる」との説明に、「そうなんですか」と、まんざらではなさそう。いずれ、その姿をマット上で見ることができるか
(右写真=アテネ五輪金メダリストの王旭選手とともに)

 両親は大連で健在。一人娘なので、さぞ心配していると思われるが、日本が大好きな宮さんは、日本を離れる気持ちはない。「年2、3回は帰っていますし、頻繁に電話で話しています。日中の架け橋としての活動をしたい」と異国で頑張るつもり。国際舞台で活躍することを、両親も誇りに思ってくれることだろう。

 まず来年夏、北京でレスリングのチーム・ジャパンを力強く支えてもらいたい。



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