【特集】北京五輪にはつながらないけれど、打倒千春に挑む!…女子48kg級・坂本真喜子(自衛隊)【2007年12月13日】
今年9月の世界選手権(アゼルバイジャン)で金メダルを獲得したことにより、女子48、55、63kg級の北京五輪日本代表が早々と内定した。そのため、55kg級で五輪を目指した坂本日登美(自衛隊)は本来の51kg級に戻して来年の東京・世界選手権に照準を合わせ、63kg級で五輪を目指した正田絢子(現網野ク)は、まだ日本代表の決まっていない72kg級に階級を上げて五輪につながる道を選んだ。
しかし、48kg級で北京のマットを夢見た坂本真喜子(自衛隊)には、こうした選択がなかったと言っていい。年齢的(22歳)には2012年のロンドン五輪を目指すことができるが、まだ北京五輪も終わってない段階で、ロンドンをしっかり見据えることは至難の業だろう。
しかし、今月21〜23日に行われる天皇杯全日本選手権へ向けて“打倒伊調千春”という目標をしっかりと持ち、毎日の練習に励んでいる。北京五輪への道は絶たれても、勝負の世界に生きる人間の性(さが)が、このままで終わることを拒んでいる。「千春さんに挑むのは、これが最後になるかもしれません。オリンピックの道はなくなっても、自分の気持ちの中ではまだ終わっていないという気持ちで頑張っています」−。(右写真=フィジカル・トレーナーの指導で体力づくりに励む坂本)
■伊調千春とは最後の闘い? 「負けたまま終わるわけにはいかない!」
9月に伊調が金メダルを取った時には、さすがに落ち込み、前を向いての練習ができなかった。「現実を受け止めなければ」と思うことにしたが、北京五輪を目指してかけてきた分だけ、モチベーションを上げることが難しかった。「何度も自分に言い聞かせました」。
出た結論が、「負けたまま終わるわけにはいかない」だった。旧ルールだった2004年4月のアテネ五輪選考プレーオフを含めると伊調千春に5連敗中。「このまま終わっては悔いが残ると思います。自分にも負けたくない。周囲からも、このまま終わってほしくない、という気持ちがひしひしと伝わってきます」と言う。
新ルールになってからの伊調との4試合は、すべて0−2の黒星だが、内容は大半のピリオドが0−0でクリンチにもつれるか、0−1または1−1の接戦の末の敗北。実力差は紙一重と言ってもいい。
《伊調千春と坂本真喜子の対戦成績》
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その差を坂本は「千春さんという存在が、自分の中で……」と言ったあと、一番ぴったりの言葉を探しつつも適当な言葉が出てこない。「何て言っていいのかな…。言葉では言い表せない。目に見えない何かがあるんですね」と続けた。五輪選手の実力や貫録なのか、あるいは世界一に輝いた選手だけが持つ他を寄せ付けない力なのか。負けが続いていることによって、知らず知らずのうちに弱気の気持ちが忍び込んでいるのかもしれない。
ルールは今と違うが、2004年2月のジャパンクイーンズカップで勝った試合の勝因を振り返ってもらうと、「気持ちだと思います。今も勝つ気持ちを持ってマットに上がっていますが、あの試合は特に『勝つんだ!』という自信を持ってマットに上がった自分がいました。勢いもありました」と話す。この時の気持ちが、なぜ消えたのか。やはり負けが続いているからだろうか(左写真:今年4月の対戦では、第1ピリオド0−0からクリンチの攻撃権を得たが、勝ち急いで? 自滅。0−2で落とした=青が坂本)。
自衛隊で指導している藤川健治コーチは「体力も技術も、絶対に千春選手には劣っていない。練習が足りないとか、もっと練習しなければ、という段階でもない」と断言する。ならば、やはり気持ちだろう。「切羽詰った勝負の時に、冷静に自信を持って自分のレスリングができるかどうか。競った時に一歩踏み込む勇気を出せるかどうかだと思う。練習ではできない。試合で実践して身につけていくしかない」と言う。
■姉も吉田沙保里も、壁を乗り越えて世界一へ
それは世界チャンピオンになるために絶対に必要な勇気だ。いみじくも伊調千春がアテネ五輪の決勝で負けたあと、「踏み込む勇気が足りなかった」と話したが、大舞台でおかしてしまったこの痛恨の思いと経験の差こそが、その後の両者の対戦成績につながっているのではないだろうか。
今回の大会で伊調千春を相手にこの勇気を出す経験しておかなければ、北京五輪の後は経験する機会がないかもしれない。いま、千春越えを実現しておくことが、ロンドン五輪で金メダルを取るためにも必要なこと。そう考えると、今回の勝負を「北京五輪にはつながらないから…」と捨てるわけにはいかない。
姉の日登美は、かつて伊調千春に「子供の頃から10連敗くらいしていた」という。それが1999年の全日本選手権でその壁を乗り越えると、翌年世界一へ登り詰めた。白星街道を突っ走っている吉田沙保里も、かつては山本聖子という大きな壁があり、中学生以降だけでも公式戦で5連敗を喫していた。しかし2002年のジャパンクイーンズカップでその高い壁を越えると、同年秋の世界選手権で一気に世界チャンピオンへ輝いた。
2人とも、負けが続いていた事実を克服し、この壁を乗り越えたからこそ世界一にたどりつけたのであり、ここを踏ん張れなかったなら、世界の頂点に5度も6度も君臨する選手にはなれなかったことだろう。
藤川コーチは「22歳で、2度もオリンピックをかけた闘いを経験できる選手なんて、そう多くはいませんよ」と言う。姉・日登美や吉田沙保里がその年齢の時には持つことができなかったすごい財産を築いている。あと一歩の壁を乗り越えれば、必ず世界の頂点にたどりつけ、そこに5度、6度と立つ選手になれるはずだ(右写真:一度は伊調越えを果たした坂本=2004年2月)。
まだ、その形も見えてはいないかもしれないが、坂本にとってのロンドン五輪へ向けての闘いは、間違いなくスタートしている。