【優勝選手特集】男子グレコローマン96kg級・加藤賢三(自衛隊)【2007年12月24日】








 自らの手でもぎ取った五輪行きのキップを、他の誰かにみすみす譲るわけには行かない。男子グレコローマン96kg級の加藤賢三(自衛隊)は、トーナメント全4試合を通して、手堅い攻めの中にもその気迫を存分に漂わせて優勝。その直後、思わず両ヒザをマットつき、マットに顔をうずめて目頭を押さえた(右写真=気迫十分で斎川と相対した加藤)

 9月の世界選手権で5位に入賞。世界で苦戦がつづく日本の重量級に久々に届いた吉報は、同時に北京五輪出場枠獲得というこれ以上ない朗報でもあった。だが、加藤にとっては手放しで快哉を叫ぶわけにはいかなかった。今回の全日本選手権で優勝して、初めて日本代表の資格を与えられるからだ。

 「世界が終わっても、今度は国内で勝たなきゃいけない。不安の3ヵ月間でした」。不安を払拭する方法はひとつしかない。「練習は誰よりもやってきました…。日本一、やってきました」。世界5位になったことで、意識も変わった。何事においても最後まで妥協することがなくなった。気持ちの変化と歩をあわせるように、練習の質と量も充実していった。

 そして迎えた今回の全日本選手権。2回戦(初戦)のフォール勝ちから順調に勝ち上がっていったが、準決勝では全日本選抜3位の山本雄資(山梨学院大学)、決勝では学生四冠王者の齋川哲克(日体大)と、次世代エース候補たちを相手にあわやという場面も。特に決勝は第1、2ピリオドとも勝負はグラウンドにもつれ込み、投げ技の体勢に持ち込まれたりもした。しのぐことができたのは、抜群のボディバランス以上に勝利への執念だろう。

 けりをつけたのは、第2ピリオドのグラウンドでの攻守交替後だった。齋川にあっさり立たれたものの、粘りに粘って押し倒し、こん身のフォール。レフェリーがマットをたたき五輪行きが決定した瞬間、全身で喜びを表した。

 試合後、若い齋川にかけた言葉は「(次は)お前らの番だ」だったという。北京五輪を最後に、現役生活を終えるつもりでいる。「国内で先頭に立って戦うのは今回が最後。オリンピックで自分の人生を飾りたい。後輩たちが『重量級でもここまでやれるんだ』と思ってくれるよう、一生懸命練習してメダルを取りにいきたいと思います」。

 痛めた右ひじと左ひじの治療を終えたら、グラウンドの防御に課題を置いた特訓を始めるという。日本一、いや世界一の練習量と自分自身で納得するまで加藤はマットに立ち続ける。

(文=藤村幸代、撮影=矢吹建夫)



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