プロ選手の参加(3)

プロアマ・オープン化と過去のプロ選手の出場


日本がプロアマ・オープン化を提唱

 かつてアマチュアスポーツ界は、「金を稼ぐ」「宣伝する」などの行為が禁止されており、プロとは完全に一線が引かれていた。しかし1980年代、純然たるアマチュアリズムが崩れ始め、サッカー、テニスなどがプロアマ・オープン化に踏み切り、両者の垣根がなくなり、このムードが他のスポーツへも広がっていった。

 レスリング界もこの流れに乗り、1986年、福田富昭・強化担当副理事長が時の国際レスリング連盟(FILA)の笹原正三副会長を通じてFILAへプロアマのオープン化を提言。国内大会で事前のFILAの承認がある場合に限って、プロの選手もアマの大会に出場できるルールを勝ち取った。

 ここで白羽の矢が立ったのが、全日本選手権で5度優勝の実績を持ち、プロレスの世界で活躍していた谷津嘉章(日大〜ジャパンプロレス)。1986年6月の全日本選手権フリースタイル130kg級に復帰参戦し、5試合を勝ち抜いて優勝。会場となった東京・駒沢体育館には、ふだんとは比べられない報道陣が集まり、世界で最初のレスリングのプロアマ・オープン試合を見守った。

 日本は、その年の秋にハンガリー・ブダペストで行われたFILAの総会でプロアマ・オープンを提案。ミラン・エルセガン会長は、テニス、 はプロアマ・オープンが実現しており、世界のスポーツ界の流れであることや、日本ではFILAの承認のもとプロレスラーが大会に出たことを説明する一方、「レスリングでは時期尚早。将来、多くの競技がオープン化へ踏み切った場合は改めて検討するが、当分の間はアマチュア規定を遵守したい」との見解を示し、プロアマ・オープン化は先送りとなった。


1992年にプロアマ完全オープン化が実現

 しかし、時代の流れで1990年には賞金マッチを解禁。米国ニューヨークで、88年ソウル五輪フリースタイル57kg級優勝のセルゲイ・ベログラゾフ(ソ連)と同62kg級優勝のジョン・スミス(米国)との間で世界初の賞金マッチが行われ、プロアマ・オープンの流れが続いた。

 1991年のFILA理事会で、プロ選手のアマチュア大会参加を認める決議がなされ、翌92年の総会でプロアマの完全オープン化が決定。プロの選手がアマの大会に出ること、アマの選手がプロの大会に出ること、賞金マッチの開催、ギャラの受け取りなどすべての制限が取り払われた。

 この決定を受け、92年10月のプロフェッショナルレスリング藤原組の東京ドーム大会に、バルセロナ五輪フリー120kg級銀メダリストのデビッド・ゴベジシビリ(EUN)らが出場。以後、リングスや修斗などで、アマチュアの選手がファイトするなど、プロのリングでファイトマネーを稼ぎつつレスリングの世界でも闘う選手が生まれた。99年2月にはグレコローマン130kg級で無敗を誇っていたアレクサンダー・カレリン(ロシア=
左写真)がリングスのリングに参戦した。


現役五輪金メダリストもプロのリングへ

 逆のケースとしては、93年3月のアジア選手権代表選考会に、新日本プロレスのレスラーだった元全日本チャンピオンの石沢常光(早大OB)が参戦し、続く6月の世界選手権代表選考会にも出場した。もっとも、石沢は、両大会とも途中で敗れ、OBといえどもルールの違う競技で勝ち抜くことの大変さを感じさせた。

 2004年12月の「Dynamite!!」では、同年のアテネ五輪金メダリストのイブラヒム・カラム(エジプト)が参戦したものの、藤田和之にKO負け
(右写真)。あらためて、違うルールの競技に出場して勝つことの難しさを感じさせた。

 過去にアマ挑戦した逆挑戦したプロ選手は下記の通り(男子のみ=アマ選手がプロの試合に単発で出場し、その後、アマに出場したケースを除く)


 ◎プロ選手のアマ大会への出場成績

 《谷津嘉章(ジャパンプロレス)》

 【1986年全日本選手権フリー130kg級】

1回戦 ○[警告、5:34]猿田充(山梨県民スポーツ事業団)
2回戦 ○[フォール、0:58]三田晴康(日体大)
3回戦  BYE
4回戦 ○[フォール、0:52]奈良英則(日大)
5回戦 ○[警告、3:50]浅井功(日体大)


 《石沢常光(新日本プロレス)》

 【1993年アジア選手権代表選考会フリー90kg級】

2回戦(初戦)   ○[Tフォール、3:57=10-0]大村達哉(長崎・島原高教)
3  回  戦   ●[2−3]藤田和之(日大)
敗者復活1回戦 ○[Tフォール、3:00=11-0]小玉康二(高知・室戸高教)
敗者復活2回戦 ●[フォール、4:25=3-7]菅原文太(大東大)
5・6位決定戦  ●[不戦敗]平野准矢(国士大)

 【1993年世界選手権代表選考会フリー90kg級】

1回戦 ●[3−4]菅原文太(大東大)


 《浜中和宏(猪木事務所)》

 【2004年天皇杯全日本選手権フリー84kg級】

1回戦 ●[0−2(1-4,3-5)]柴田寛(徳山大職)



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