【特集】王国再建への誓い…日体大が年末年始合宿
東日本学生リーグ戦で18年連続優勝など、学生レスリング界にさん然と輝く金字塔を打ち立てた日体大が、王国再建へ向け、正月返上の合宿を行っている。
日体大は昨年、シーズンを通じた学生の団体戦4大会(東日本学生リーグ戦、全日本学生王座決定戦、全日本大学選手権、全日本大学グレコローマン選手権)のいずれにも優勝できず、無冠に終わった。これは1974年以来31年ぶりの屈辱。来季はフリー96kg学生二冠王の米山祥嗣や04年の全日本フリー60kg級王者の小島豪臣が抜けるため、かなりの苦戦が予想される。
この非常事態に、安達巧監督(写真右の右端)は天皇杯全日本選手権の疲れも取れやらぬ12月27日に集合をかけ、1月7日まで午前・午後2回の年越し合宿を敢行。窮地の打開に必死だ。「過去に例がないほどの不振。2006年は全員が一丸となって取り組みたい」という気持ちを、行動で選手に伝えた。
「勝つだろう、という気持ちではダメ。勝つ、という気持ちを持たなければならない。辛い思いの中から、その気持ちを持ってもらいたい」。技術は合理的・科学的な練習の中からでも身につくが、勝利への執念は、厳しさを耐え抜いた中からしかつかない。年末年始の数日間といえども、勝利を目指す魂を眠らせるわけにはいかなかった。
全日本選手権のあとから大みそかまで練習したことや、年内いっぱい休んで元旦から練習をスタートしたことはあったそうだが、全日本選手権の4日後から2年にまたがっての合宿練習は「最近では記憶にない」(安達監督)。王国再建へ向けての揺るぎない気持ちの表れだ。
練習は元旦もおこなわれた。前夜はプロ格闘技の2大イベントが大阪と埼玉で行われ、選手たちはテレビで観戦したが、1夜明ければ、自分達の新たな闘いのスタートだ。朝8時、合宿所から約3km離れたところにある琴平神社へ初詣を兼ねてランニングへ出発。9時すぎに大学へ到着。キャンパス内には人影が見えず、気温は約3度。底冷えのするようなレスリング場だったが、すぐに選手たちの熱気が充満した。
新主将に推された世界選手権代表の湯元健一(フリー60kg級=写真左)は、全日本選手権で学生王者の高塚紀行(日大)らを下し、初の全日本チャンピオンに君臨。主将としての意地を見せた。3試合とも2−0の勝利で、コイントスにもつれた試合は1試合もなく、計6ピリオドのすべてを2分間で決着をつけるという素晴らしい内容だった。
昨年のリーグ戦で決勝進出を逃したのは、早大に3−4で敗れたため。その中には0−0のあとのコイントスで負けたことが原因での敗戦もある。2分間でポイントを取る闘いが大事なわけで、新主将は最高の手本を示した。安達監督は「選手のモチベーションも上がってくれると思う」と、湯元効果を期待する。
その湯元主将は初めて経験する年越し合宿に、「すごいことをしていると思いますよ」と苦笑い。しかし「チームが強くなるためには必要なことです」と受け入れ、「無冠は悔しい。1冠でも取り戻す、なんて気持ちは持っていない。4冠全部取りにいきます」ときっぱり。このままズルズルと坂道を転げ落ちるか、踏ん張って上昇へつなげられるか、分岐点とも言える年の主将となったわけだが、「自分たちの代は仲がよく、結束もあります。絶対に4冠を取ります」と決意している。
無冠に終わったとはいえ、その印象は薄く、言われてみて、「そういえば、そうだね」と気がつく関係者が多い。日体大が日本のレスリング界で依然として“与党”に君臨しているからだろう。一昨年のアテネ五輪では男子9選手中6選手が日体大のOBであり、昨年の世界選手権は男子14選手中7選手が日体大の選手(OB6選手、現役1選手)。5位の松永共広、8位の松本慎吾、10位の笹本睦と上位選手はすべて日体大のOBだ。多くの人が「日本レスリング界を支えているのは日体大」と、そのすごさを認めているからこそ、日体大の“弱体”が実感できていない。
だが、“貯金”はいつまでもあるものではない。負けが許されない伝統の中で闘い、それに勝ち抜いてこそ、世界へ出ても勝てる選手が育っていく。20年近くにわたって常勝軍団を築いたからこそ、世界で勝てる選手が次々と生まれてきた。「勝てない日体大」の中からでは、世界で勝つ選手はいずれ生まれなくなってしまうだろう。
かつての常勝軍団・日体大に最大の試練の時が訪れている。2006年、どのチームよりも早く戦闘モードに突入した日体大の活躍に期待したい。
(取材・文=樋口郁夫)
◎最近20年間の日体大の成績
年 度 | 東日本学生 リーグ戦 |
全日本学生 王座決定戦 |
全日本大学 選手権 |
全日本大学 グレコ選手権 |
全日本学生選手権 優勝選手数 |
全日本大学選手権 優勝選手数 |
全日本大学グレコ 選手権優勝選手数 |
1986年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 2 位 | 10選手(F6、G4) | 7選手 | (団体戦のみ) |
1987年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 10選手(F6、G4) | 5選手 | (団体戦のみ) |
1988年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 12選手(F5、G7) | 4選手 | (団体戦のみ) |
1989年 | 優 勝 | 2 位 | 優 勝 | 優 勝 | 11選手(F5、G6) | 5選手 | 5選手 |
1990年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 11選手(F4、G7) | 6選手 | 4選手 |
1991年 | 優 勝 | 優 勝 | 2 位 | 優 勝 | 10選手(F3、G7) | 3選手 | 5選手 |
1992年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 11選手(F4、G7) | 4選手 | 4選手 |
1993年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 13選手(F6、G7) | 7選手 | 5選手 |
1994年 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 優 勝 | 9選手(F3、G6) | 4選手 | 6選手 |
1995年 | 優 勝 | 優 勝 | 3 位 | 優 勝 | 10選手(F5、G5) | 1選手 | 7選手 |
1996年 | 優 勝 | 優 勝 | 2 位 | 優 勝 | 11選手(F3、G8) | 3選手 | 6選手 |
1997年 | 3 位 | 3 位 | 2 位 | 優 勝 | 9選手(F4、G5) | 3選手 | 3選手 |
1998年 | 優 勝 | 優 勝 | 2 位 | 優 勝 | 7選手(F4、G3) | 3選手 | 4選手 |
1999年 | 優 勝 | 5 位 | 3 位 | 優 勝 | 7選手(F2、G5) | 2選手 | 5選手 |
2000年 | 3 位 | 優 勝 | 3 位 | 3 位 | 5選手(F2、G3) | 1選手 | 1選手 |
2001年 | 3 位 | 優 勝 | 優 勝 | 2 位 | 6選手(F3、G3) | 4選手 | 2選手 |
2002年 | 3 位 | 優 勝 | 2 位 | 2 位 | 5選手(F2、G3) | 1選手 | 1選手 |
2003年 | 2 位 | 2回戦敗退 | 優 勝 | 2 位 | 5選手(F3、G2) | 2選手 | 0選手 |
2004年 | 優 勝 | 2 位 | 3 位 | 優 勝 | 6選手(F3、G3) | 1選手 | 2選手 |
2005年 | 3 位 | 3 位 | 2 位 | 2 位 | 3選手(F1、G2) | 1選手 | 3選手 |
※全日本大学グレコローマン選手権は1989年にスタート。それ以前は「東日本学生グレコローマン対抗戦」として団体戦トーナメントを実施。
※階級数は、1996年までが10階級、97〜2001年が8階級、02年以降が7階級。
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