【特集】揺るぎない信念で復活! 世界一奪還を目指す山本聖子






 坂本日登美(自衛隊)、正田絢子(ジャパンビバレッジ)という頼もしい戦力が戻ってきた日本女子レスリング界に、また1人、強力な逸材がよみがえった。世界選手権に4度出場し、無敗の山本聖子(ジャパンビバレッジ)。昨年末の全日本選手権59kg級で、世界チャンピオンの正田を破り4年ぶりに日本一へ返り咲いた(写真左)

 2003年の世界選手権で4度目の世界一に輝き、実力は世界の一級品だ。しかしアテネ五輪は吉田沙保里(当時中京女大)に敗れて出場を阻まれた。その後、04年ワールドカップに出場して再起を目指したものの、サリー・ロバーツ(米国)に黒星。この大会で右ひざを痛め、手術に踏み切って2か月半後の全日本選手権は棄権。

 再度のカムバックをかけた05年3月の「ジャパンクイーンズカップ」では、階級を下げてきた正田に敗れたばかりでなく、右ひざと肩をさらに痛めてしまった。以後半年間、マットに上がれない苦境。いつしか「マットに上がらない」と伝わり、闘う気持ちが萎えてしまい、このまま選手活動の引退か、といううわさも流れたほどだ。

 だが、山本は信念をもってリハビリに打ち込んでいた。「マットに上がってしまうと、どうしても思い切ってやってしまう。だから、マットには一切上がりませんでした」。練習しない勇気というのは、口で言うほど簡単ではない。山本はこの勇気を貫き通した。強い意思をもった行動だったので、この時期は周囲が思うほど辛くはなかったようだ。

 辛かったのはマットに上がれるようになったあと、ひざと肩の負傷が癒えていながら、ブランクのせいか体が思うように動かないというギャップに直面した時だったという。負傷が治っているのかどうかは、はっきりした数字に出るものではないから、その意味での不安との闘いもあったはずだ。医師のお墨付きをもらっても、自分の体のことは他人には分からない。それらの困難を乗り越え、正田にリベンジしてつかんだ栄冠。「うれしいです」と、半月がたった今も笑みが浮かぶ。
(写真右:マットに上がれるめどがついた昨年9月、全日本合宿に参加した山本=右から2人目)

 代々木クラブ(注・山本の練習しているクラブ)の吉村祥子コーチ(エステティックTBC)は、ひざの大手術からの復帰を遂げて日本一に返り咲いた過去を持つ。不安と闘う山本の気持ちを理解できる人間であり、自らの経験からいろんなアドバイスを送ったという。しかし、復活の最大の要因は「聖子が自分で考えて行動したことだと思います。ケガをきちんと治してからマットへ上がるという、しっかりした考えを持っていました」と振り返る。世界を4度制した選手の信念と精神力は並ではない。この気持ちの強さこそが、あらゆることをプラスに押し上げてくれたのだろう。

 とはいえ、この勝利で喜んでいられないのも事実。吉村コーチは「挑む立場で臨んだ全日本選手権は、伸び伸びでき、それがよかったと思う。でも(3月の)ジャパンクイーンズカップは追われる立場。守りに入ってしまわないとも限らない。やらなければならないことは、まだたくさんある」と言い、山本自身も「レスリングができるようになってから、まだ1、2か月しかたっていない。まだ走ることがしっかりできないし、体力をつけなければならない」と手綱をゆるめない。

 1月5日から東京・国立スポーツ科学センターで行われている世界合宿でも、外国選手と久しぶりに手合わせした感触うんぬん以前に、「ウォーミングアップでばててしまっていますから…」と、全盛期の体力に程遠い現状を痛感している。体力を元に戻さなければ、ワンマッチに勝つことはできても、1日に最大で6試合をこなさなければ優勝できない世界選手権を勝ち抜けるはずがない。
(写真左:55kg級世界2位の蘇麗慧=中国=と闘う山本)

 いずれ55kg級へ落として吉田沙保里との闘いという試練も待っている。しかし、その時期についてはまだ考えが及んでおらず、「体がばっちり動き、自信が完全についてからですね」と言う。当面の目標は、59kg級で今年の世界選手権へ出て、世界一に返り咲くこと。いま念頭にあるのは、3月のジャパンクイーンズカップでの優勝、すなわち世界選手権の日本代表権の獲得だ。

 体力が完全でないにもかかわらず世界チャンピオンを破ったという事実は、山本の卓越した資質を意味する。その資質を、ことし再び開花させることができるか。北京五輪の55kg級決戦は、筆舌を超える過酷な闘いになりそうな雲行きだ。

(取材・文=樋口郁夫)


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