【特集】屈辱とリベンジの中から成長を続ける学生のホープ…フリー60kg級・湯元健一【2006年2月28日】





 一貫強化システム構築の効果なのか、最近の日本レスリング界、特にフリースタイルは学生選手の躍進が目立つ。全日本選手権は2年連続で3人の学生のチャンピオンが誕生。将来に期待を抱かせる結果となった。昨年の場合は60kg級の湯元健一(日体大3年)、66kg級の佐藤吏(早大3年)、84kg級の松本真也(日大3年)で、この中で9月の世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)に出場し、一歩先を行く経験を積んでいるのが湯元だ。

 世界選手権では初戦でアテネ五輪の金メダリスト、ヤンドロ・クインタナ(キューバ)と激突。この強豪相手に臆することなく戦い、第1ピリオド(コイントス)、第2ピリオドともわずかの差で取られての惜敗だった。第1ピリオドのコイントスで勝っていれば、「もしかしたら」と感じさせてくれた善戦。世界のデビューとしては堂々としたものだった
(右写真)

 しかし、その後の国体と全日本大学選手権でともに大沢茂樹(山梨学院大1年)に黒星を喫し、実力不足を感じさせた。全日本選手権では地力を発揮して優勝したものの、2月3〜4日のデーブ・シュルツ記念国際大会(米国)では全米ランキング5位のマイク・ザディクに第3ピリオド、フォール負けして上位進出を逃した。

 55kg級の稲葉泰弘(専大2年)が銀メダルを取り、同じ階級の高塚紀行(日大2年)、さらには同じ全日本チャンピオンの佐藤吏と松本真也がいずれも5位に入賞していることを考えれば、不本意な成績だったと言わざるを得ない。全日本選抜選手権や全日本選手権といった勝負どころで勝つ精神力の強さは賞賛されるが、この不安定さでは今後に不安が残ってしまう。

 デーブ・シュルツ大会の敗因は「ばててしまった」こと。ルールが2分3ピリオドに変わったことで、「短時間集中の瞬発力の養成に力を入れすぎてしまった」と振り返る。「やはりスタミナの養成にも力を入れないといけませんね」と反省し、それ以外にも、全日本王者に輝いて意地を見せたことで、「心のどこかにすきがあったかも」と厳しく分析した
(左写真=全日本合宿で田南部力と練習する湯元)

 だが、若い選手にとってはすべてが経験だ。成功と失敗、屈辱とリベンジ、自信と不安を繰り返しながら成長していくもの。湯元のここ数年間の成績をたどってみると、山あり谷ありの中から、徐々にいい成績を残していることが分かる。
【2002年】 全国高校選抜大会=優勝
  インターハイ=優勝
  国民体育大会=決勝で1学年下の高塚紀行に敗れて2位
【2003年】 東日本学生春季新人戦=ベスト8
  全日本学生選手権=3回戦敗退
  東日本学生秋季新人戦=優勝
【2004年】 JOCジュニアオリンピック杯=優勝
  東日本学生春季新人戦=優勝
  アジア・ジュニア選手権=3位
  全日本学生選手権=3位
  全日本大学選手権=高塚紀行に敗れて予選リーグ敗退
  全日本選手権=3位
【2005年】 デーブ・シュルツ記念国際大会=2回戦敗退(谷)
  ユニバーシアード予選=初戦敗退
  全日本選抜選手権=優勝
  国民体育大会=大沢茂樹に敗れて3位
  全日本大学選手権=大沢茂樹に敗れて3位
  全日本選手権=優勝
【2006年】 デーブ・シュルツ記念国際大会=順位なし

 幼少年の頃から無敗の白星街道を突き進む逸材が頼もしく感じることは言うまでもないが、そうした選手はつまずいてしまうと、そこから前へ進めず、普通の選手になって終わるケースがこれまで多々あった。幾多のつまずきを経験し、それを乗り越えながら一歩一歩上へ昇っていく選手の方が、これから先に訪れるであろう、より厳しい困難に直面した時、その壁を乗り越えてくれそうな気がする。いや、絶対に乗り越える強さを身につけているはず。アテネ五輪で銅メダルを取るまでの井上謙二(自衛隊)がそうだった。

 そんな意味で、湯元に期待するものは大きい。山と谷のバイオリズムからすれば、3月のウズベキスタン・欧州遠征は「山」の時。国際大会のメダルを獲得する絶好のチャンスだ。それが達成された時は、一歩上へ行くことができるだろう。ライバルの高塚も同行する。デーブ・シュルツ大会に続いて下回ってはなるまい。負けられない試練の遠征だ。


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