【特集】世界王者包囲網が完成。今年のフリー55kg級は期待がいっぱい【2006年3月13日】






 フリースタイル55kg級の03・05年世界王者ディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)相手に、全日本2位の稲葉泰弘(専大)と3位の田岡秀規(自衛隊)が善戦した。田岡はマンスロフをタックルのみならず飛行機投げで横転させたほどで、アテネ五輪銅メダルの田南部力選手をしても、マンスロフにここまできれいな大技をかけたことはない。

 2選手ともマンスロフを「勝てない相手ではない」ときっぱり。世界選手権5位の松永共広(ALSOK綜合警備保障=この大会は負傷のために欠場)とともに、この階級の日本のトップ選手の実力は世界王者と比べてもそん色はないことが証明された。“世界一”という目標がはっきり定められたわけで、まずは成果を出した全日本チームのウズベキスタン遠征となった。

 最初に闘ったのが2月初めの「デーブ・シュルツ国際大会」(米国)で銀メダルを取った稲葉
(左写真=銅メダルを取り、賞金を受け取った=右手=稲葉)。初戦で世界チャンピオンのディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)と当たる組み合わせが分かった時、和田貴広コーチ(日本協会専任コーチ)は「おめでとう」と言って握手を求めた。修業に来たのなら、世界一の選手と当たる方がいい。

 稲葉も「せっかく来たのですから、やりたかったです」と言い切った。世界王者と相対しても、おじけづくものは何もなく、第1ピリオドは惜しいタックルを何度も仕掛ける積極性があった。終盤、場外へ押し出せる寸前まで追い込みながら
(右写真)、マンスロフの驚異的な粘りで逆に自らの足が外に出てしまった不覚。決してテークダウンを奪われたわけではない。痛恨の1失点だった。

 第2ピリオドはグラウンドでの実力差が出てしまい、結果としてピリオドスコア0−2だったが、スタンドではよく攻撃しており、その積極果敢さは、マンスロフの脳裏に「日本選手は攻撃してくる」と焼き付けられたことだろう。稲葉は「研究して、次に闘うときには勝ちたい」と力強く口にした。

 初の全日本チーム参加となった田岡は、「(昨秋に優勝した米国の)サンキスト・オープンとはレベルが違いますね」と話したものの、1、2回戦で旧ソ連の国選手を撃破し、準決勝で待望のマンスロフ戦を迎えた。試合前、「来るべき時がきましたよ」と静かに話した。

 そしてマット上。「緊張もしなかったし、威圧感も感じなかった」。気持ちで負けなかったので、攻撃も許さなかった。第1ピリオドは0−0。コイントス勝負かと思われた時、審判団は田岡が相手に頭をつけていたとして警告(コーション)をとった。地元びいき判定としか思えないジャッジ。

 だが気持ちを切り替え、第2ピリオドにタックルと飛行機投げを決めた。「マンスロフからしっかりしたポイントを取った日本選手はいないと聞いています。ポイントを取っただけではなく、ピリオドを取れたのは大きな自信になります」。そう言ったあと、「あそこまでいったら勝ちたかった。第3ピリオド、バテてしまって…」と続けた。
(左写真=勝負の第3ピリオド、あと一歩まで追い詰める)

 善戦した喜びなど感じていなかった。勝てなかった悔しさが残った。それほどまでに世界王者の存在を身近に感じ、勝つことは不可能でないと思い始めている。この気持ちこそが全日本コーチたちの望んでいるもの。和久井始監督(自衛隊)、和田コーチともに「銅メダルを取ったり、世界チャンピオンと接戦したこと以上に、そうした気持ちが出てきてくれたことが大きい」と、選手のやる気に満足そうだ。

 もっとも、両者とも次にマンスロフと闘う前にやらねばならないことがある。「オリンピックに出たい。そのためには松永さんを破らなければ」(稲葉)、「選抜(明治乳業杯全日本選抜選手)に勝って日本代表になりたい」(田岡)。2人の実力アップと向上心は、松永を刺激することは言うまでもない。マンスロフ包囲網をつくって世界王者を追い詰めると同時に、国内での日本代表争いは、より過酷になるわけで、その争いの中から世界一に昇り詰めるまでの底上げが見込める。

 誰が日本代表になっても、ことしのフリースタイル55kg級には期待がいっぱいだ。


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