【特集】夢は東京ドームのメーンイベンター! 輝く星となれ、山口竜志(拓大)【2006年6月9日】






 キャリアの差を露呈してしまい、加藤賢三(自衛隊)とのプレーオフに敗れて世界選手権への道は逃してしまった。しかしグレコローマン96kg級の学生二冠王、山口竜志(拓大)は明治乳業杯選抜選手権の本戦で優勝。あす10日に出発する世界学生選手権(モンゴル・ウランバートル)へはずみをつけるとともに、来年1月の天皇杯全日本選手権での真の日本一が見えてきた。

 同時に、あこがれのプロレス入りへ一歩前進した。身長180cm、通常体重は100kg超。ベンチプレスは150〜160kg級を上げ、背筋力は約300キロ。体格、体力、マスク、レスリング・センスに優れたプロレスにうってつけの人材のプロレス志望宣言で、今年後半にはプロレス団体からの争奪戦が起こりそうな気配だ。

 10年ほど前までは、プロレスの最大の人材供給源がレスリング界だった。最近ではPRIDEやK−1のような総合格闘技が盛況で、プロレスは老舗(しにせ)の新日本プロレスが身売りを余儀なくされるなど低調。その影響もあってか、中尾芳広(02年全日本王者)、宮田和幸(シドニー五輪代表)、永田克彦(シドニー五輪銀メダリスト)らが総合へ進む一方、プロレスへ進んだ日本のトップ級選手といえば、03年世界選手権フリー130kg級代表の諏訪間幸平(当時クリナップ=現在のリングネームは諏訪魔)くらい。

 その諏訪魔は今、全日本プロレスの悪党エースとして大活躍。海の向こうでは、カート・アングル(96年アトランタ五輪フリー100kg級金メダリスト)、ブロック・レスナー(2000年NCAAヘビー級王者)らレスリング出身のプロレスラーが活躍していることもあり、プロレスの醍醐味はヘビー級の肉弾戦であり、低迷しているプロレス界を救うのは、レスリングのできるヘビー級選手との声が起こっている。

 確かに日本のプロレス界を盛り上げた勢力のひとつはレスリングOBだ。ジャンボ鶴田(72年ミュンヘン五輪代表)、長州力(吉田光雄=同)、谷津嘉章(76年モントリオール五輪代表)であり、その後も中西学(92年バルセロナ五輪代表)や永田裕志(92年全日本王者)、藤田和之(95年全日本王者)など。最近では全日本王者にならずともプロレスへ活路を見い出す選手も少なくないが、日本一に輝いた選手の体力やレスリング・センス、そして存在感はひと味違う。今回“日本一”に輝いた山口は、まさにプロレス界が必要としている人材といえるだろう。

 山口は「将来はプロレスへ行きたい。有名になりたい」とはっきり口にする。拓大のOBには、K−1や総合で活躍する須藤元気がいるが、総合は「打撃をやっていないので、なかなか適応できないと思う。行ってもパッとしないと思う」と話し、自分の適性を生かすのはプロレスと考えている。「マイクを持って相手を挑発したり、観客にアピールしたりすることにあこがれます」。“好きこそモノの上手なれ”との言葉が示すように、こうした言葉が出るのだから、プロレスへ進んだ場合の適応は早そうだ。

 もし来春プロレス入りとなれば、日本一(全日本選抜選手権での優勝を含む)からのプロレス入りは、前述の諏訪魔以来。だが諏訪魔は27歳でのプロレス入りだった。大学卒業時の22歳でプロレス入りすれば、諏訪魔よりはるかに有利な位置からのスタートとなるのは言うまでもない。ちなみに日本一を取った22歳の選手のプロレス入りとなると、1974年の長州力までさかのぼることになる。

◎日本一からのプロレス転向選手と年齢
1965年 杉山 恒治 24歳 明 大 1964年東京五輪出場
1965年 斎藤 昌典 22歳 明 大 1964年東京五輪出場
1973年 鶴田 友美 22歳 中 大 1972年ミュンヘン五輪出場
1974年 吉田 光雄 22歳 専 大 1972年ミュンヘン五輪出場
1980年 谷津 嘉章 24歳 日 大 1976年モントリオール五輪出場
1985年 馳  浩 24歳 専 大 1984年ロサンゼルス五輪出場
1992年 石沢 常光 23歳 早 大 1991年全日本王者
1992年 永田 裕志 24歳 日体大 1992年全日本王者
1992年 中西  学 25歳 専 大 1992年バルセロナ五輪出場
1993年 本田 多聞 29歳 日 大 1984年ロサンゼルス五輪ほか五輪3度出場
1996年 藤田 和之 25歳 日 大 1995年全日本王者
2000年 杉浦  貴 30歳 自衛隊 1995年全日本王者
2004年 諏訪間幸平 27歳 中 大 2003年全日本選抜王者

 長州力にあって、今の山口にない肩書きは「五輪代表選手」。あと2年間レスリングに専念し、この肩書きを得てプロレス入りするのもひとつの手だろう。本人も「ここまできたら北京オリンピックを目指したい気持ちも出てきた」と、アマチュア選手なら誰もがあこがれる大舞台への思いも口にする。

 確かに、「五輪代表選手」という肩書きがあればデビューからメーンイベンターでの出場が保障されているようなもの。世間の注目度も違う。「有名になりたい。輝きたい」のであれば、ぜひとも手に入れるべき肩書きかもしれない。

 一方で、その肩書きのない永田裕志が、前座の第1試合からこつこつと力を蓄え、デビュー時からメーンイベンターだったバルセロナ五輪代表の中西学を追い越して新日本プロレスのエースに昇り詰めた例がある。「全日本王者」のみならず「全日本学生王者」の肩書きもない中邑真輔(青山学院大卒業と同時に新日本プロレスへ)は、あっという間にメーンイベンターに成長し、IWGP王者に輝いた。要は本人の生き方であり、プロへ進んだあとの努力。自分の人生を十分に考えて進路を決めてほしいが、いずれにせよ、近い将来は必ずメーンイベンターとして華を咲かせられる生き方を選択してほしい。

 かつてプロレス界とレスリング界の間には大きな溝があり、世間と同じくレスリング界にもプロレスを見下す風潮があった。現在、そうした空気は少ない。永田裕志や中邑真輔が超満員の東京ドームでメーンイベントを闘うことを、同じレスリング人として誇りに思い、応援する時代だ。

 山口が満員の東京ドームでメーンを張り、熱い視線を一身に浴びる日が来れば、そして低迷しているプロレス界の救世主として輝いてくれれば、レスリング界の人間は、オリンピックでレスリング選手が金メダルを取ってくれることと同じように誇りを感じ、さらに応援するだろう。プロレス界の輝く星となることを心待ちにするはずだ。

 そのためにも、今はレスリングの世界でしっかりと輝いてほしい。世界学生選手権、そして全日本選手権での優勝を目指して。

(取材・文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)


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