世界選手権4度優勝の山本聖子選手が選手活動を引退【2006年7月29日】






 女子59kg級などで世界選手権を4度制している山本聖子選手(ジャパンビバレッジ)が7月29日、今月末での退社と選手生活の引退を明らかにした。今月上旬に会社に申し入れ、認められた。今後は来年1月に結婚し、夫となるハンドボールで北京オリンピック出場を目指す永島英明さん(大崎電気)をサポートするという。

 山本聖子選手は「結婚するので選手を引退するように報じられたけれど、それが理由ではありません。結婚しても、気持ちがあれば続けます。レスリングを続けようという気持ちがなくなったからです」と“寿引退”の報道を否定。「燃え尽きた」という表現が適当かどうか分からないが、アテネ五輪出場を逃したあと、「ここでやめては悔いが残る」と手術を乗り越えてカムバックし闘ってきたが、今年の世界選手権出場を逃し、燃えるものがなくなったようだ。しかし、この2年間で「レスリングが好きだという気持ちを確認できました」と振り返る。

 今後はキッズ選手の指導という形でレスリングに接していきたいという。復帰は「絶対にない、と言い切ることではない。やりたくなったら、やるかも」と話した。最後に「多くの人にお世話になりました。オリンピック出場という形で恩を返すことはできませんでしたが、感謝の気持ちでいっぱいです」と、全国のファンと支援者にメッセージを贈った。

 ジャパンビバレッジの鈴木光監督は25歳(8月22日で26歳)という若さでの引退を惜しみながらも、「本人の意思を尊重したい」と話した。将来、選手活動を再開したくなったら、代々木クラブではいつでも受け入れるとしている。

 山本聖子選手はミュンヘン五輪代表の山本郁栄さんの二女で、姉・美憂、兄・徳郁(山本“KID”徳郁)というレスリング一家の末っ子。99年に世界選手権51kg級に初出場初優勝。翌00年と01年には55kg級で勝ち、03年には59kg級で世界一になった。しかし、アテネ五輪は55kg級で吉田沙保里選手(当時中京女大)との代表争いに敗れた。

 その後、負傷を乗り越えて復帰し、昨年12月には全日本チャンピオンへ返り咲き
(右写真)、ことし4月にはアジア・チャンピオンに輝いた。しかし59kg級の世界選手権代表決定プレーオフで同じジャパンビバレッジ所属の正田絢子選手に敗れ、2大会ぶりの世界選手権出場を逃していた。


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