【特集】5年ぶりの挫折。2度目も立ち上がることができるか、霞ヶ浦高【2006年8月4日】






 「その時、歴史が動いた!」となるのか。インターハイ第2日の8月3日午前11時ころ、高校レスリング界の王者に君臨してきた霞ヶ浦が、岐南工に敗れた(右写真=84kg級で決着)。全国高校選抜大会に続く3回戦敗退。昨年まで3年連続春夏制覇、インターハイでは4年連続18度の優勝を達成していた強豪が、春夏とも準々決勝に残れない不振。大きな衝撃が岸和田市総合体育館を襲った。

 いくら常勝軍団とはいえ、勝負の世界である以上、時に負ける時もある。2001年にも春夏とも優勝を逃す不振を経験している。しかし、その時は全国高校選抜大会が今回と同じベスト16だったが、インターハイでは3位に入っていた。春夏ともに表彰台に昇れなかったのは、1982年以来24年ぶりのこと。86年に初のインターハイ王者に輝き、“最強軍団”の名をほしいままにしてから、初めての屈辱となる。

 「体重調整で失敗した。2日前に全員がリミットだった。試合まで空きすぎてしまった…」。敗戦の弁を語る大沢友博監督の表情は疲労感と悔しさとでいっぱい。「優勝してもおかしくないチームだったと自負している。ミスがない状況で負けたのなら、あきらめがつくと思うが、ミスが多すぎた。こんなに悔いが残る敗戦は初めてです」。

 それでも、個々の選手を責めることはしなかった。「みんなガチガチになってしまっていた」。春負けたことで、いつの間にかしのびよっていたプレッシャー。伝統は、選手を力強く後押しもするが、時に足かせともなってしまう。今年は悪い方向へ出てしまったようだ。

 この敗戦は果たして“霞ヶ浦時代”の終えんを意味するのか。01年の不振の時は、02年春も優勝を逃しており、3季連続で優勝から遠ざかった。しかし、そこから這い上がり、昨年夏まで7季連続で優勝という快挙へつなげた。

 この日は、残念ながら再起へ向けての力強い言葉は出てこなかったが、まだ個人戦もある。新チームのことを考えることができないのは当然だろう。

 しかし、昨年の優勝のあと、大沢監督は力強く言った。「65歳までも指導して、絶対に破られない記録をつくりたい」。個人戦が終わったあと、大沢監督の胸の中にこの気持ちがよみがえってくれば、高校レスリング界の歴史は“動かない”可能性が高いのだが…。


★霞ヶ浦の最近20年間の成績

選抜大会 インターハイ 優  勝  校
1987年 2 位 優 勝 選抜は埼玉・埼玉栄
1988年 優 勝 優 勝   
1989年 優 勝 (不出場) インターハイは鹿児島・鹿児島商工
1990年 優 勝 優 勝   
1991年 優 勝 優 勝   
1992年 優 勝 優 勝   
1993年 優 勝 優 勝   
1994年 3 位 優 勝 選抜は北海道・岩見沢農
1995年 優 勝 優 勝   
1996年 優 勝 優 勝   
1997年 優 勝 優 勝   
1998年 優 勝 優 勝   
1999年 優 勝 優 勝   
2000年 優 勝 優 勝   
2001年 ベスト16 3 位 選抜・インターハイとも青森・八戸工大一
2002年 ベスト8 優 勝 選抜は静岡・沼津学園
2003年 優 勝 優 勝   
2004年 優 勝 優 勝     
2005年 優 勝 優 勝    
2006年 ベスト16 ベスト16 選抜・インターハイとも秋田・秋田商   



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