日本協会・馳浩理事がプロレス生活に終止符【2006年8月28日】






  衆議院議員であり文部科学副大臣、日本レスリング協会の馳浩理事(副大臣在任中は規約により休職)が8月27日、東京・両国国技館で行われた全日本プロレスの大会で引退試合を行い、プロレス生活に終止符を打った

 馳氏は石川・星稜高校から専大でレスリングを続け、高校時代に国体、大学時代に全日本学生選手権で優勝。大学卒業後、星稜高校で国語の教師をやりながらレスリングを続け、1984年ロサンゼルス五輪グレコローマン90kg級に出場した。

 85年、大学の先輩の長州力を頼ってジャパンプロレス入り。その後、新日本プロレスでファイトし、アマレス・チーム「闘魂クラブ」を立ち上げるなど古巣の振興に尽力した。95年に自民党から参議院選挙に出馬し当選。これを機に新日本プロレスを退団し、フリーの立場で全日本プロレスへ闘いの場を移した。00年には衆議院議員に当選し、昨年9月、3期目の当選を果たした。専大の監督も務めており、レスリングの試合会場にもしばしば顔を見せていた。

 6人タッグマッチで臨んだ引退試合では、brother"YASSHI相手にジャイアントスイング45回転の超美技を見せ、最後は必殺技のノーザンライトスープレックスで試合を決めた。「プロレスが大好き。毎日プロレスのことを考えてきた。1人でも多くの人にプロレスのよさを伝えたかった。その気持ちが貫けた」と満足そう。今後、引き続きレスリング界からも有力な選手をスカウトし、プロレスの発展に情熱を注ぎたいという。

 レスリング界に対しては、「八田イズムの闘魂を忘れずに頑張ってほしい」と後進にエールを送り、専大監督として、また日本協会の理事として、「これまで以上に発展に尽力したい」と話した。

 なお、試合後にリング上で行われたセレモニーでは、日本協会の福田富昭会長から記念品が、現役引退を表明したばかりの元世界チャンピオンの山本聖子さんが花束を渡した。


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