【特集】世界選手権へかける(13)…女子67kg級・坂本襟【2006年9月17日】






 「代表になったので、やるしかありません」。9月11・12日に中京女大で行われたプレーオフ(参考試合)を経て、女子67kg級代表に決定した坂本襟(ワァークスジャパン、左写真)は自分に言い聞かせるように話した。

 この日まで、自分が世界選手権に出られるのかという不安と戦ってきた。代表に確定した今も、大会までに残された時間でどれだけ自分の技術を高められるかという不安と戦う。しかし、決まったからにはやるしかない。覚悟を決めて世界の舞台に上る。

 昨年12月の天皇杯全日本選手権と今年3月のジャパンビバレッジクイーンズカップを連続優勝し、世界選手権の代表権を獲得。悲願のメダル獲得へ集中して練習にも取り組めていた。しかし4月、合宿中に左足の腓骨と頚骨を骨折。どん底に落とされた。

 5月に地元で開催された国別対抗戦「女子ワールドカップ」はもちろん欠場。2本のボルトで固定された足を引きずり、会場の観客席から仲間の活躍を見届けるしかなかった。

 夏も、リハビリのため東京(国立スポーツ科学センター)と中京女大のある愛知・大府市を往復する日々。1人の孤独な戦いを続けた
(右写真=左足手術の痕を見せる坂本)。8月に入ると足のボルトも抜け、やっとマットで練習するところまできた。万全に仕上げて世界選手権に出たい、という気持ち一心で練習を始めた。

 9月、回復状況を見るための参考試合を行うことが急きょ決定した。相手は後輩の新海真美(中京女大)と井上佳子(愛知・至学館高)。「私が出ていいのだろうか、万全な人が出たほうがいいのではないか」と思う一方で「いや、私が権利を得ているんだから出られなかったら悔しい」、と自分の世界選手権への思いの強さを痛感した。

 スパーリングができるようになったのは、参考試合のわずか1週間前。当日も、今度はヒザの痛みと戦いながらの試合だった。もどかしさを抱えて臨んだ結果は初日、2日目ともに、大きな決め手がないきん差の試合で1勝1敗。代表は坂本に決まったものの、悔しさでいっぱいだった。

 参考試合時点の力は「全盛期の半分くらい」(坂本)と、本来の実力に程遠いレベルだった。しかし相手2人は後輩。どんな状況であろうと、絶対負けてはいけないと自分でも感じていたのだろう。「あんまりうれしくないです。ケガをして練習してきたことは良いとしても、代表で世界に行くとなると、ああいう試合はしてはいけないと思う。三つ巴という結果は結局誰が出ても一緒ということ」と笑顔はなかった。

 また日本協会の女子ヘッドコーチも務める中京女大の栄和人監督
(左写真の左)も「坂本は権利を手にしながらケガでこうなった。3人が同じレベルなら坂本で行こう、という気持ちだった。本大会では気持ちを切り替えて攻撃的になってほしい」とさらなる進化を求めた。

 試合をしたことで、今後の課題ははっきりした。まずは足の強化。ヒザの痛みに加え、本格的に練習を始めてわずかしかたっていないこともあり、足を使った攻めができていなかった。「今みたいなレスリングではなく、もっと攻めるレスリングに変えていかなくてはいけない」。体力を戻すことも大事だという。

 そして、なによりも気持ちで負けるわけにはいかない。「今年、こういう形になってしまったが、ケガをしたこと全部がマイナスではない。いろいろ課題はあるが、世界選手権に出るからにはあれこれと言っていられない。メダルを狙いたいです」。昨年女子チームで1人、表彰台を逃している坂本。強い気持ちで逆境を跳ね除け、今年こそ、喜びを味わいたい。


 ◎坂本襟の最近の国際大会

 
【2005年9月:世界選手権(ハンガリー)】

1  回  戦 ○[フォール1P1:54(F1:54=3-0)] Hayat Quassir(モロッコ)
2  回  戦 ●[0−2(1-@Last,1-4)] Martine Dugreiner(カナダ)
敗復1回戦 ●[1−2(2-0=2:22,0-1,1-3)] Katie Dowing(米国)



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