【特集】世界選手権へかける(14)…男子グレコローマン120kg級・鈴木克彰【2006年9月18日】






 けがによる戦線離脱期間はあったものの、2004年までの数年間は国内で無敵の存在を築いた男子グレコローマン120kg級の鈴木克彰(警視庁、左写真)。2005年は世界選手権の日本代表権を取ることができなかったが、2005年12月の天皇杯全日本選手権と今年の明治乳業杯全日本選抜選手権にきっちりと勝利。3年ぶりの世界選手権出場を決めた。

 グラウンドの得意な鈴木にとって、パッシブによるパーテールポジションの攻防が廃止されたアテネ五輪後のルールは、やりづらいものだった。05年5月にグラウンドの攻防のルールに変わり、水を得た魚のようにグラウンド攻撃ができた。

 ことし6月の全日本選抜選手権の決勝は、昨年日本代表の沢田直樹(徳山大職)に第3ピリオドのラスト2秒まで負けていたものの、そこで執念のローリング。「まだ第一人者の座は明け渡さん」と言わんばかりの意地で取り戻した日本代表権だった
(右下写真=全日本選抜選手権で逆転勝ちした鈴木)

 しかし、長年のレスリング生活で体はかなり傷んでいる。ひざの負傷が腰へと伝わり、8月下旬、ヘルニアが出てしまってスパーリングができない状況に陥ってしまった。9月9日からの全日本合宿(東京・国立スポーツ科学センター)では、道場を離れてトレーニング場で汗を流す日をすごすことを余儀なくされた。

 それも順調に回復。満足の練習という意味ではないだろうが、「できることを必死にやってきた」と振り返り、「試合ではやるだけです」と、3年ぶりの世界選手権への気持ちを高めている。

 2005年は世界での闘いを経験できなかった。全日本王者に返り咲いたものの、ことしは3月の欧州遠征も4月のアジア選手権も派遣メンバーからもれてしまった。したがって、国際大会は04年3月のアテネ五輪予選最終ステージ以来、1年半ぶり。もちろん新ルール下では初の国際大会になる。

 温厚な選手なので、その表情からは悔しさがどれほどなのかはかり知ることはできないが、12月のアジア大会(カタール)も重量級カットという厳しい決定をされてしまったことに話がおよぶと、ちょっぴり表情を厳しくし、「勝てないできた自分が悪いのですが、(派遣なしの)決定を聞いた時はショックでした。出たことのない大会ですから」と無念さを表した。

 そして、「その分、世界選手権に集中し、頑張りたいと思います」ときっぱり。今大会に臨む重量級選手の共通の思いを広州のマットにぶつけるつもりだ。

 リフトのあるルールになり、重量級はパワーの差がもろに試合に表れるようになって、日本選手は厳しい闘いを強いられているのが現状だ。パワーの差というより、日本選手は平均して手足が短いので、俵返しを持ち上げるのに著しく不利。何ともしがたい壁である。

 しかし、クロスボディロックの組み手でグラウンドの攻撃をスタートするからといって、必ずしも俵返しを狙う必要はない。鈴木は俵返しで持ち上げることは最初から考えておらず、すばやく腕を組み替えてのローリングに活路を見い出す作戦をたてている。

 「7月の菅平合宿
(左写真)で、いつもとちょっと違うローリングを試してみたら、意外にかかった。今回、それを仕掛けてみたいと思っています」と、無駄な攻撃を仕掛けることなくローリングで勝負をかける腹積もり。そのためにもスタンドの攻防で負けないこと、防御になった時に、何が何でも守って0ポイントに抑える闘いを目指しているという。

 全日本レベルの選手ともなれば、苦しい練習の先に見つめているものを問われると、「オリンピック」と答えるのが普通だ。だが鈴木は「目の前の試合に全力を尽くします」と、直近の大会こそが見つめるものだとし、北京オリンピックへの思いを“封印”している。

 今日がなければ、明日はない。今大会で燃えられなければ、北京オリンピックはない。全力投球で臨む3年ぶりの世界選手権で、重量級の復権をかける。


 ◎鈴木克彰の最近の国際大会

※なし



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