【特集】世界選手権へかける(18)…男子フリースタイル84kg級・松本真也【2006年9月21日】






 「京都の怪獣? もう、ずっと昔のことですね」。世界選手権へ初出場する男子フリースタイル84kg級の松本真也(日大)は、京都・網野高校時代のことを聞かれ、照れくさそうに笑った。4年前、誰もが達成したことのない高校8冠(全国高校選抜大会2度、インターハイ3度、国体3度)を独占した。全国高校選抜大会は高校生活で2度しか出場できないので、9冠王者はありえない。並ばれることはあっても追い越されることはないレスリング界に永久に残る金字塔である。

 88年ソウル五輪の金メダリストの小林孝至(敬称略、以下同じ=現日本協会広報副委員長)は、茨城・土浦日大高時代に史上初の2年連続三冠王を達成した選手だが、1年生の時は全国大会に出場することはできなかった。その後、松永共広(静岡・沼津学園高=現ALSOK綜合警備保障)や小幡邦彦(茨城・霞ヶ浦高)らが2年連続三冠王を達成しているが、いずれも1年生で全国王者に輝くことはなかった。

 また、93年に大橋理秀(大阪・吹田高)が初めて1年生でのインターハイ王者に輝き、その後3連覇と、史上初の記録を打ち立てた、全国高校選抜大会も2度優勝しているが、国体は3年生の時にしか勝っていない。95年に同じく1年生インターハイ王者となった野口勝(鹿児島・鹿屋中央高)も、その後の全国タイトルは、けがもあって翌年の全国高校選抜大会だけに終わっている。

 松本は「あの時は、試合で負ける気持ちは全くなかったです。優勝するために試合にいくという感じでした」と振り返る。それは外国での試合も同じ。00・01年のアジア・カデット選手権を2年連続で制し、よくある内弁慶の選手でないことを証明した。

 大学へ進んで76kg級から84kg級へ上げた。そこに強豪の磯川孝生(拓大)がいたため、国内タイトルを総なめにはできなかったし、まして社会人にも強豪がおり、負けることを経験した
(右写真=大学進学直後のリーグ戦で闘う松本)

 しかし、「階級を上げましたし、大学のレスリングはレベルが違いました。高校8冠王者という過去を捨て、0からのスタートでした」と気持ちを改めて再出発。時に黒星を喫しながらも、1年生で全日本大学王者へ輝き、3年生の昨年12月に全日本王者へ。順調に育って世界選手権へ初出場することになった。

 ことしは、冬の間に手首を負傷して欧州遠征もアジア選手権も辞退。6月の世界学生選手権も、教育実習の期間と重なったため権利を他の選手へ譲った。国際大会の不足が気にかかるが、「全日本を制したあたりから、高校時代のときのような気持ちになってきました。扉が開かれたというか…。高校時代は身近な山でしたが、今は本当の山を登ったという感じですね」というから、海外であっても勝つことだけを考えて闘ってくれることだろう。

 ただ、84kg級はこれまで日本選手があまり勝てていない階級だ。松本も「重量級は世界で勝てない、という意識を植え付けられている部分はあります」と話し、マイナスの先入観に心を支配されてしまう心配を口にする。それを克服するため、「初出場だし、どの選手が強いとか、過去の日本選手の成績だとかは一切考えずに闘いたい。考えると悪い方へと考えてしまうところがある。それで負けてしまったことがある。過信は禁物だけど、大胆に闘いたい」と考えている。

 そんな松本に、あるエピソードを挙げながら人一倍のエールを送るのは、日本協会の村本健二・組織普及委員長だ。レスリング王国のイランで行われた2002年の世界選手権での出来事。強化委員会の佐藤満ジュニア担当コーチ(専大教)ほかの要望により、この頃からインターハイ王者など次世代の逸材を世界選手権の観戦(視察)へ連れて行き、いち早く世界を目の当たりにさせる試みが行われた。

 この年、日本は55kg級の田南部力が6位に入賞したものの、他は全員が予選リーグ敗退で、国別対抗得点21位に低迷した。この時、「見ていてください。オレ達の時代は…」と唇をかみしめ、雪辱を強く誓ったのが高校8冠王の偉業を目前にしていた松本だったという。

 「あれから4年。あの時の思いを忘れずに世界選手権へ出場する選手に成長した。でも、出るだけじゃダメ。メダルを取ってきたほしい」と村本さん。今こそ、その時の気持ちを思い出してほしいと思う。

 15日、全日本学生王座決定戦を終えた松本は「世界選手権の前に、世界的なベストセラーの哲学書『ジェームス・アレンの法則』(英語タイトルは「As A Man Thinketh」)を読み、心を落ち着けて臨もうと思っています」と話した。じたばたしても仕方ない、後は気持ちの問題ということだろう。“京都の怪獣”ならぬ、“京都のインテリ”の世界での活躍は?


 ◎松本真也の最近の国際大会

 【2006年2月:デーブ・シュルツ国際大会(米国)】


1  回  戦 ●[1−2(3-0,1-1,0-1)] Bryce Hasseman(米国)
敗者復活戦 ○[2−0(2-2,1-1)] Ryan Lange(米国)
敗者復活戦 ○[2−0(6-0,6-2)] Tony Gansen(米国)
敗者復活戦 ●[0−2(8-9,3-8)] Gregory Parker(米国)

 
【2006年8月:ベログラゾフ国際大会(ロシア)】

1  回  戦 ●[0−2(0-3,0-3)] Darid Dichinashivili(ドイツ)
敗復1回戦 ○[不戦勝] Abdasov Reman(ロシア)
3位決定戦 ●[0−2(0-4,1-5)] Abdsalamov Yusup(タジギスタン)



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