【特集】3年連続世界10位以内を確保し基盤はできた…男子グレコローマン84kg級・松本慎吾【2006年9月26日】






紙一重の差で準決勝進出ならず、がっくりの松本慎吾。

 初日に二本柱の一本、60kg級の笹本睦が初戦敗退となり、いっそう期待が高まった男子グレコローマン84kg級の松本慎吾(一宮運輸)。初めて世界選手権に応援に来た彰子夫人の前で2回戦(初戦)と3回戦を勝ち上がったものの、4回戦(準々決勝)はわずかの差で惜敗。昨年と同じく準決勝を目前に涙をのんだ。

 4回戦のハドリ・ハサヤ(グルジア)戦はピリオド・スコア1−1となり、決勝の第3ピリオド、場外への投げ合いとなって松本が1点を獲得した。このまま残り38秒をこらえれば、グラウンドの攻防は自らの攻撃でスタート。ここでリフトが爆発すれば快勝だし、ポイントが取れなくとも、最後の30秒をしっかり守れば松本の手が上がる。誰もが、そのどちらかのシーンを想像したことだろう。

 だが40秒すぎ、もつれてバックを取られて1−1へ。このためグラウンドの攻防では先に防御となった。これはしっかり守り切ったものの、最後の30秒の攻撃で0ポイントに終わったことで、相手の手が上がってしまった。

 痛恨の1失点だった。嘉戸コーチは「攻撃していった末の失点です」と松本をかばい、守りに入らなかった姿勢を評価したが、松本は「あんなに簡単に1点をやることはなかった。腰をかばって足が出ていなかったんじゃないかな」と、自らのミスだったことを口にした。

 8月初めのハンガリー合宿で背中を強打し、練習もままならない日が続いた。この大会も痛み止めを飲みながらの出場。それでも2試合目あたりから「だんだん重くなってきた」と言う。05年1月から、1回戦から決勝までを1日でやってしまうことにルールが変わり、試合間隔も短くなっている。「疲れが取れなかった」と、多くの試合をこなすには無理のある体調だったようだ。

 しかし、そんな状態ででも欧州2選手を破って昨年と同じ準々決勝まで進んだのは価値がある。最終的な順位は9位。04年アテネ五輪を含めて3年連続で10位以内に入ったことは、今後に向けて大きな土台となるだろう。「自分の実力はそこにあることが分かった。今回の経験をもとに、また上を目指したい」。アテネ五輪の前までに比べてワンランクアップしたことは間違いないだろう。

背中を負傷していながらも、俵返しにかけた松本。

 12月には、今年のもうひとつのビッグイベント、アジア大会が控えている。4年前に日本男子で唯一金メダルを取り、世界への飛躍となった縁起のいい大会だ。そのシーンを再現することが、今年最後の目標だろう。「来年から五輪の予選も始まりますし、来年は必ずメダルとって世界一になりたいです」と言う。

 そのためにも、今年はけがのため成果を出すことができなかったが、海外での修業が必要だと考えている。「今回のエジプトの選手(優勝)も、国内では練習ができなくて、海外遠征をやってきたそうです。その成果が出ての結果でしょう」。それは松本自身も研究されてしまう両刃の剣でもあるが、「それであっても勝つだけの強さを身につけなければ、世界では勝てません」ときっぱり。

 年度内はアジア大会と大学院の卒業論文があるため難しいというが、来年春には再び世界で腕を磨く姿が見られそう。闘いはまだ終わらない。あと2年間、命をかけた闘いが続く。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)


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